証拠 | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

学校というのはわかりやすくてありがたい。

多くの場合そこで過ごした数年間、

なにかを積み重ねてきた証拠が残る。

卒業というゴールがある。



がんばりました。

あなたはここで確かに積み重ねてきたのです。

友達ができました。

字が書けるようになりました。

読めるようになりました。

計算だっていまはこんなにむずかしいのができます。

けっこうバカなこともやりました。

なにより、あなたは成長しました。

ここに来た時とは比べものにならないほど。



首席でもギリギリセーフの卒業でも、

卒業は卒業。

たしかに積み重ねてきたことを認めてもらえる。

それがなくなったら。

卒業のない生活がはじまったら。

積み重ねてきた証拠はどうなるだろう。



だれかに認めてもらえればいいけれど、

もしそうでなかったら。

認めるのは自分だろうか。

自分で見つけなければならないだろうか。

見つからないときは、どうすればいいだろう。

なにも積み重ねてきていない可能性もあるわけで、

それをあることにしても、

ごまかしは自分にすぐばれる。

ばれる前にばれている。



時間を浪費したことになるだろうか。

ただ生きていただけ、ということになるだろうか。

いままで生きてきて、

いまも生きているだけでめっけもの、

ということにできるだろうか。



今日1日のできごとと

「My Life without me」という映画によって、

沸いてきた後ろ向きな思考。

映画の内容と今日のできごとには

なんの関係もない。

趣味も見かけも金銭感覚もまったく違う両親から生まれた

親にぜんぜんに似ていない子ども、

のようなことを書いた。