去る者追わない年賀状 | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

2015年に入り、年賀状が激減した。

去年まで来ていた数の3分の1になってしまった。

われながら、驚くべき減り方である。



年が変わるのにともなって、こうもたくさんの友人たち

(だと勝手に思っていただけかもしれないが)から、

愛想を尽かされたのか。

わたしの人付き合いのまずさもとうとうそんな境地に達してしまったかと、

来た年賀状を何回も数えた。



が、よく考えてみると、思い当たる節があった。

2年前の2月、わたしはいまの家に引っ越しをした。

その翌年に来た年賀状は前の住所あてでも、うちに転送されてきていた。

それを見て、新しい住所を書いて、先方に挨拶状を送り返した。

これでよしと思っていたが、どうもそうではなかったようである。



わたしがまだ挨拶状ではなく年賀状を書いていたころ、

去年の年賀状をたよりに相手の住所を書いていた。

だからこちらから送る挨拶状に新しい住所を書いておけば、

それを見て来年は新しい住所に送り返してくれるはずだ、

となんの疑いもなく思っていた。

そうじゃなかったのか、といまさら気がつく。

たぶんみなさん、パソコンに住所録を作っていらっしゃるんですね。

だから今年の年賀状も、古い住所に送ってくださったんですね。

きっとそうだ。

そうであったと信じたい。



いまごろわたし宛の年賀状が差出人の元に届いており、

ああ、とうとうあいつも消息不明となりはてたか、

と軽い溜め息くらいはついてもらっているかもしれない。

勘がよくて、ものを簡単に捨てない人なら、

ひょっとして住所が変わったんじゃないかと考えて、

去年の年賀状を引っぱり出し、もう一度年賀状を送ってくれる。

実際、そういう人がひとりいた。

まあ、これはめずらしいケース。

たいがいは消息不明としてあきらめるでしょう。

多くの人にとって年賀状は、来ればうれしいけれど、

是が非でも届けたいものではないでしょうから。



さきにも述べたように、

わたしは昨年の年賀状をとっておく性分なので、

それを見れば友人たちに今年の挨拶状を送ることができる。

新しい住所(といっても2年が経ちましたが)も知らせることができるかもしれない。

そんな考えが少しよぎったが、挨拶状はやはり、

今年もうちに来た年賀状のぶんだけ書くことにした。

これで確実にやりとりが途絶える人も出てくるだろうが、

それも縁の切れ目と思うことにする。

強い縁なら、またどこかで出会うでしょう。



わたしの場合、年賀状というものは年々減っていくものだった。

去るもの追わずという言葉もあることだし、減っていくのはしょうがない。

それよりも、増えないことがまずいなと思う。

年賀状でなくてもいいけれど、

葉書のやりとりができるような友人が増えるように、

今年はたくさんの人と出会えるといい。



このまま年々、年賀状が減っていき、

とうとう1枚も来なくなるようなことにでもなれば残念だ。

なぜなら、わたしは年頭に挨拶状を書くのが、

そんじょそこらの人よりも、圧倒的に好きなのである。