夏本番をこれから迎えようというときに、
冷蔵庫のない暮らしを人に勧める気はない。
たぶん、みんなやりたくないだろう。
冷たいビールが飲めないなんて、
安売りの肉を大量に買いだめできないなんて、
冷凍食品を置いておけないなんて、
いやだろう。
人がいやがるであろうことを
どうしてわざわざ望んでやっているのか
改めて考えてみると、
やはりどうにかして
電気から遠ざかれないものかという思いがある。
この夏に開かれた電力会社の株主総会で、
脱原発の提案が全9社すべての株主から出たそうである。
東日本大震災から3年が経ち、
福島第一原発の動向にも注目が集まりにくくなっているが、
いまでも福島第一原発は制御し切れていない。
100トン単位という量の汚染水が度々流れ出しているにもかかわらず、
たいしたことない印象を与えているけれど、
たぶんどえらいことである。
今痛くないだけのことで、きっと後からめちゃくちゃ痛い。
あとになったら、
誰がやったのかがうやむやになる。
国全体を相手に
当て逃げをされているようなものである。
流れ出した水にまで責任が負える人はいない。
コップの水に混ざったインクさえも、
人は元どおりに集められない。
インクは触っても無害である。
触ってやけどするようなものなら、
集めるのは余計に絶望的で、
かりに集められたとしても、
見えないところに閉じ込めておくしかできない。