厚みのある話 | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

作家の大沢在昌さんが

「作家と言うのは読むのがとても早いんです」

とラジオでおっしゃっていた。

大沢さん場合、

三行同時に読むのだそうだ。



ひと文字ずつ拾っているものからすれば

これでも十分に早いけれど、

司馬さんの「コーヒー一杯で文庫本3冊」は

同業者から見ても尋常じゃなく早いことになる。

司馬さんが本を読んでいると、

視線が動かなかったというから、

もはや読むではなく写真のように写し取っている

といったほうが正しいかもしれない。

こうして膨大な量の資料を読み込み、

それを絞った一滴として書かれるのが司馬遼太郎作品である、

ということだった。



最近「竜馬がゆく」を読んでいる。

竜馬の後ろを実際についてまわったんじゃないかと思うくらい、

話が細かく書かれている。

それでいて、とんとんと話が進んでいく。

これが400ページの文庫本で8冊分もある。

うそかと思うほどの膨大な資料も、

なるほど、これならたしかに必要だろう。

読み込んだ資料の多さが、話の厚みになっているように思う。



ここでわが身を省みる。

わたしも細々とではあるが、

物語を書いている。

書いてはいるが小学生の水泳みたいなもので、

なかなか最後までたどり着けない。

がんばっていると、

たまに最後まで書ききれることがある。

溺れそうになりながらゴールする。

つまり、書くことだけで精一杯で、

とても内容まで練り上げられない。

悲しいかな、これが現状である。

もう一回つづく。