削るべきか削らざるべきか | 群衆コラム

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耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

今日はカレーを食べようと思って米を洗い、

水につけておいた。

カレーはなかったが、

あとで買ってくればいいと思っていた。



この日は朝から作業をしていたが、

締め切りが迫っていたために、

気持ちには余裕がなかった。

夜までに創作は終わったが、印刷などの作業が残った。

事務的な作業は怖い。

渾身の作品がここで全部こけることもある。

ある意味で創作以上に神経を使う作業である。

時間はあまりない。

ここで夕食のカレーをどうしようかと思った。



もう米は炊くだけの状態になっている。

この米は炊いた方がよい。

しかし、米を食べるにはカレーを買ってこなければならない。

その時間は惜しい。

カレーにこだわってないで味噌汁と一緒に食べればいいじゃないか

と思われるかもしれないが

この日の気分はカレーだったのである。



夕食と作業が計りにかけられ、作業が勝った。

夕食はうどんだけになりそうだったが、

なんとか焼いた生しいたけと山芋がついて、

一応の体裁を保った。



食べることは生きることの基本であると

わかっているつもりである。

食べなければ、つくれない。

それなのに、つくるために食べることをおろそかにする。

それをかっこいいとはもう思えない。

食べなければ死ぬ。

死ぬはオーバーだけれど、

わたしはただでさえ痩せている。

一食抜いただけでも確実に危機に近づく。



ふと三國連太郎さんの言葉を思い出した。

むかしの人は命を削って書いたものですよ。

この場合は脚本を書いたのだが、

何を書くにせよ、

命を削らないといいものは書けないのかもしれない。



だとすると、食べることを第一と考えている時点で

よいものは書けるわけがなくなってしまう。

書けなくなるのは嫌だが、いいものが書けないもの嫌だ。

悩むところである。