思い込み縛り | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

うちのことを話すと、

まずテレビがないことが話のネタになる。

あれもないこれもないと続いていき、

炊飯器もありませんとなると、

決まって訊かれる。

じゃあ、どうやってご飯炊いているの?



鍋で炊いているんだね、ではなく、

どうやって炊いているのと訊かれる。

これは、多くの人が

炊飯器がないと米が炊けないと

思い込んでいることを示している。



炊飯器が発明される前から米は炊かれていたのだが、

はじめから炊飯器があったために

それ以外の方法が思いつかない。

そういうことかと思う。



遠くへ行くということも同じで、

九州でも東北でもむかしはどこへでも

歩いて行っていたはずだが、

わたしの世代では

乗り物に乗るのがすでに当たり前となっていた。

おばあちゃんのうちに行くのも

車で行くのが当たり前。

歩いてでも行けるということに気がついたのは、

ずいぶん大きくなってからである。



地面があれば

どこへでも歩いていけることに気がつく人は少ないのではないか。

炊飯器がないと米が炊けないと思い込んでしまうのと同じで、

はじめが肝心なのである。