2014年6月8日、これまでずっと「在家信者」だった小生は、今回初めてAKB48の大島優子卒業コンサートに参戦してきた。
そういえば、過去、小生がアイドルコンサートに行ったのは1回だけ、高校時代に武道館で開かれた「天池真理、南沙織、小柳ルミ子クリスマスショー」とかなんとか、そんなタイトルのコンサートだけ。それも確か、レコードについている応募券で行ったのでタダだった記憶がある。なので、2階席のずっと奥のほうだったが、友人とカセットレコーダを持ち込んで録音してきた(たぶん、違反だったろうけど)。
調べてみたら、ちゃんとネットに書いてあった。それによると、「新三人娘による夢のクリスマスプレゼント」。1972年、12月24日だったらしい。なんでもネットに落ちているものだ。今更ながら感心する。
その後、デパートの屋上などで行われる小規模なイベントは幾つか見たことがあったが、とにかく大掛かりなコンサートというのは、今回が実に42年ぶりなのだった。
閑話休題。
大島優子卒業コンサートの始終については数多くの投稿があるのでここでは割愛するが、さすがに王者の風格というか、他を圧倒するだけのパフォーマンスは発揮していたと思う。激しい運動量にも拘わらず、よどみないMCのこなしや間の取り方、例え筋書き通りだとしてもエンターテイメントを心得ている姿は、まさしく「大島優子」だった。
小生は、ここのアリーナ席、C8にいた
この「大島優子」は、他のメンバーにどう映ったか。
よく話題となることに、大島優子の後継は誰がなるのか、或いはどの様に継ぐのかということがあるが、ちょうど2年前の総選挙の後、小生は「世代交代とは現象であり、するものではなく、していくものだ」と述べた。
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11271556782.html
この考えについては、今回の大島優子の卒業コンサートを見て「正しい」と確信した。おりしもコンサートの後、大島優子は「跡を継ぐって大変だし、後継者なんていらないです。みんなそれぞれのオリジナリティーで頑張ってほしい」と語ったと言う。
所詮、メンバーそれぞれ育った環境や境遇も異なるわけだし、時代背景も刻々と変化しているのだから、同じ路線での後継というのはあまり意味がないだろう。たとえリスクがあるとしても、新たな風を呼び込んだ方がエンターテイメント性を持続させることが可能だと考える。つまり、
大島優子の前に大島優子はいないし、大島優子の後に大島優子はいないのだ。
一方、当然のことだが、頭角していくためには努力が必要だ。大島優子も前田敦子とは異なり、当初から脚光を浴びていたわけではなかった。彼女なりに「考え、行動し、反省し、反映させる」という行動を取った。
その行動は、まさしく事業推進でよくいわれる「PDCAサイクル」の実践結果に他ならない。
大島優子がこのPDCAと言う言葉を知っているかどうかは分からないが、やっていることはそれだった。「後継者はいらない」というが、しかし、このPDCAサイクルは受け継がせたいと考えているはず。かつて、テレビインタビューで「努力すればみんな大島優子になれるか」と云う質問に対し、「もちろん誰だってなれると思います。でも、自分と同じぐらい努力するのは大変だとは思う」と語っていたことがあったが、ヒントはそこにあると考える。
努力とは一体なんなのか。がむしゃらに突っ走ることだけが努力ではないのだ。
この卒業コンサートに先立ち、国立競技場でのコンサートが荒天のために中止になったことがあった。大島優子は、その中止発表のあと、殆んど無防備のまま「自らの願い」としてファンの前に姿を現し、ハンドマイク片手に涙と笑いを盛って謝罪と次回の約束をした。それこそ、瞬時にPDCAサイクルを回転させた結果だ。
小生は、これを雑草魂だと述べ、「エンターテイナーはファンを大切にする。また、それを知るファンはそのエンターテイナーを大切にする。そして互いに成長していく。これこそ信頼感関係なのだ」と記載した。
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11811917380.html
このフィードバックと、先に述べたPDCAサイクルが相乗すれば、ファンは確実についていく。
大島優子に於けるこの回転の早さは彼女の持つ天性なのかもしれないが、訓練によって培うことは可能だと思う。
さて、このあと、一体誰がそれに気付くか。