先日、深夜番組「HKT48のおでかけ!」の中で、HKT48の劇場支配人でもある指原莉乃とフットボールアワーの後藤輝基が、AKBグループのファンニーズへの対応についてダーウィンの言葉を引用して語っていたので、ここにメモっておくと同時にこの言葉について記しておこう。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」
この言葉、淘汰のすべてを説明することはできないだろう。強くもなく、或いは賢くもないが生き延びている種はたくさんある。また、どうみても環境の変化に対応しているとは思えないまま、今日まで形状を変えていない、いわゆる「生きている化石」も多く知られている。従ってその文言だけだと、大して特徴もないにも拘らず淘汰されていない種の存続を説明することは難しい。
小生は、そこにもう一つ大きな要素が働いていると考える。それは「数」だ。
例えば、鰯の様な魚が種として存続できている理由は、鰯の圧倒的な数量が奏功しているのではないか、と思うのだ。
鰯をエサとする、或る一頭の魚が一生の間に捕食する鰯の量よりも多く鰯が生まれていれば、鰯は種として存命可能なわけだ。たとえ弱くて賢くなくても、或いは環境に適応しなくても鰯は淘汰しない。
つまり、捕食被食の関係を解明する上では、強いとか賢いとかいった様な抽象的な形容詞で比較せず、物理的、或いは数学的に客観性を持つ物理現象といった自然法則で解析すべきなのだろう。方程式自体は複雑であったとしても、方程式が正しいとすれば、種の存続についても、それから逸脱することなく、事象は淡々と方程式通りに進んでいるのに過ぎない。
ところで、この辺りの関係、即ち捕食者と被食者との間には「捕食者の増加に伴って被食者が減少し、被食者の減少によって捕食者も減少する」という相関関係がある。この捕食者と被食者の増減関係をモデル化し、その増殖速度を表現すると非線形微分方程式となる。捕食者と被食者の量的な変異を縦軸を量、横軸を時間としてプロットしてみると、ある一定の位相差を伴った発振波形が描ける(ロトカ・ヴォルテラの方程式)。
ところがこれが人間社会となると話は全く異なってくる。即ち、物理量での比較ではなく、強いとか賢いと云った抽象的な形容詞で比較したほうが説明し易いし、更に「変化への対応能力」の様な適応性は大きな評価基準となる。
人間関係というサバイバルゲームでは感情が入るから物理的な方程式の通りとはならないが、少なくとも変化への対応は「生き残る為の手段」として必須と思うが、会社の場合はゼッタイだと思う。
変化への対応という掛け声のみで行動が伴わず、硬直している会社がなんと多いことか。
一方、アイドルも、話のネタにダーウィンまで持ち込むなんて、さぞかし大変なんだろうと思う。