DOCUMENTARY OF AKB48  - 恋愛禁止条例とは? | プロムナード

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映画、『DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』が2月1日に封切りとなり、初日に足を運んだ。具体的な内容についてはネタバレとなるから述べないが、AKBを知っている人なら誰でも知っている出来事が並んでいる映画だ。おりしも峯岸みなみさんのお泊りスクープで大荒れとなっている最中での封切りだったから、高橋みなみさんの舞台挨拶も、いきなり重たいスタートから始まった。


この映画のテーマの一つは、AKB48の有名な条例、「恋愛禁止条例」。

昨年一年間だけ見ても、この条例に引っかかって平嶋夏海さん、
米沢瑠美さん、最近では増田有華さんがAKBを辞退(自主的な辞退となっているが、実際には退職勧告があったものと思われる)、そして指原莉乃さんがHKT48への左遷があった。

ここ数日、峯岸みなみさんの事件と、ケジメとしての衝撃的な坊主刈問題、更にそれに対する様々な論議が、こうしたドラマの展開が描かれている映画とも共振し、ファンのみならずマスコミを中心としてまことにかまびすしい。たまたま体罰問題がクローズアップされている時節でもあるので、なおさらだろう。聞けば、海外33カ国でも取り上げられるほどの話題となっているとのこと。日本人のケジメについて、かつての切腹まで含めた文化比較論まで展開されているらしいので、この事件の影響力は巷の想像を超えるものがある。 



くだんの事件、この恋愛禁止条例という、実は極めて曖昧な条例がもたらす功罪によるものに他ならないのであるが、原則論から言えば、この条例が組織を運営鵜する上で必須であるという条件下において、ルール、或いはコンプライアンスとして定められたものであるならば、メンバーたちが条例を定めた組織に所属している限り、それを遵守することは必須だろう。
幼い子供達には難しいことかもしれないが、組織活動を行う上では教育すべき重要な事柄だ。

ただし、どの程度遵守すべきか、というか、そもそも恋愛に関する明確な定義は無さそうなため、その解釈に関するブレが当事者間で生じてもおかしくないことも事実だろう。実際、秋元康氏も、恋愛している時間なんかないんじゃないかということは言いたいものの、「恋愛禁止と名言したことはない」とラジオ番組で言ったという。つまり、ある意味、取り決めとしてのルール程度なのだろうと思える。


また、処遇、つまり罰則についても、本来、組織運営側としてはコンプライアンス違反を起こしたものを解雇することによって禊を済ませると云う方法もあるにはあるが、条例の違反に対する罰則が明確でない場合には、いきおい、かなり緩い処遇を取らざるを得ないのが現実だろう。


こういう場合には、過去の事例(判例)をリファレンスとして処遇を考えることになると思うが、それから言うと、コンプライアンスの解釈はもとより、違反者が所属する組織に於ける当人の役割によって罰則内容についても相当に違う様にも見えるので、処遇方法の決定は困難さを極める。


但し、コンプライアンス違反をしたことが事実であるならば、まして条例を理解した上での確信犯となれば、謝罪はもとより何らかの罰則は必要だ。そうでなければ、これまで同様の違反を行ったことで離れたメンバーに対する示しがつかない。また、離れた(離れさせられた)メンバーと同様の位置にいる現在のメンバーに不公平感を募らせないためにも、適切な罰則は必要である。

しかし、処遇方法については、そこにファンの意向も組み入れる必要もあろう。


掟破りは、運営側の思惑からすれば大問題なのかもしれないのだが、法律によって裁かれるような人の道を逸した行動ではなく、組織運営を円滑に行うための「緩く定めた程度」であるコンプライアンスならば、その掟破りに対する処遇は、運営判断だけでなく株主であるところのファンに裁断を仰ぐか、少なくともファン意見を参考とするという方法もあったのでないか?



坊主刈にしてでも、AKBに留まりたい。その心意気は理解できるとしても、少なくともコンプライアンスに違反していることは十分に承知の上、すなわち確信犯として行動を起こしたことは事実なのだから、組織に留まれるかどうかは本人の意思で決まることではなく、彼女を支えているファンが決めることだろう。それに委ねることが正しい。これまでの総選挙の例を挙げるまでも無く、AKB48という組織はファンの意向や嗜好に迎合させながら成長している組織なのだから、今回の件、ネットを通じるにせよ何にせよ、要はファンの声を反映させた上で処遇を決定しても良かったと思うのだ。


それよりも、今回の処遇について小生が一番不可解なことは、峯岸みなみさんが自己判断とはいえ坊主刈するといったことを容認し、更にはそれをネタとして扱った運営側の対応である。



坊主刈にするという、若い女の子にとっては、ある意味リストカットに近い行動に出るということも、「予定調和を崩す」という趣旨から、実は秋元氏を含む運営側はその行動を黙認したのではないかと、小生は考えるのだ。もし、本当に坊主刈について、事後まで何も聞いていなかったということだとすれば、運営側のプロデューサーとしての組織把握や管理能力などの手腕が問われても仕方がない。


つまり、たとえ筋書きがなかったにしても、小生、ことが発覚してからの一連の事件の流れを見ると、ある意味、ドラマ仕立てに見えて仕方がないのだ。先に述べたように、坊主刈事件に対してはAKBの姉妹グループが活動している近隣諸国以外にも、アメリカヨーロッパなど、AKBとは殆ど縁のない国まで含めた世界中が関心を寄せているという。この事件、そんなに大きな事件だったのか。世界のマスコミが率先して書き立てるほどの事件だったのか。そう考えると、誰かが各国のマスメディアに対して意図的に情報を流したとしか思えないのである。



ところで、恋愛禁止条例についてだが、確かにアイドルにはリアルとバーチャルとに拘らず、イメージとしてのバージニティは必要だろう。小生はアイドルたるもの云々とかいう、いわゆる「べき論」はともかく、もしも恋愛禁止条例によって組織が成り立っていて今日の様な業績を産んでいるとすれば(AKB商法といわれているが)、条例の有効性は否定できないと考えている。故に、それに従えないのであれば、さっさとやめて独立するか引退すればよい。篠田麻里子さんがドキュメンタリ映画の中で「今、AKB48という組織にいる中で、素敵な人が現れたとしても、それは運命的な人ではないと思うことにしている。運命的な人は、AKBを卒業してから現れると考えている」と言っていた。また、高橋みなみさんも、「普通だったら、恋愛ってみんなが応援してくれるけど、今の立場だったら誰も応援してくれない。そういうものだと思う」と言っている。その通り。組織にいる以上、その組織のコンプライアンスには、たとえ理不尽だと思っても従うのが定法。アタリマエのことだ。そうでなければ組織が成り立たない。くどいようだが、それに従えない、或いは従いたくないなら組織から離れればいい。そういう決断があってもおかしくないし、コアなファンであれば応援続けるだろう。

AKB商法とはそういうものだ。法に背くことなく条例が奏功して稼いでいるのであれば、海外でもこの商法が
禁忌対象となることなく成功しつつある現状を見ても、勝者であることに代わりはない。運営は敗者の遠吠えに迎合する必要はない。四の五の言わず、認めるべき。それが競争社会の原則だ。



しかし、先に述べたように恋愛の定義が緩すぎる。
感情としての恋愛については、年ごろの女性として当たり前の感情として持つものだから、それを真っ向から否定するのも如何なものかとは思う。まして、恋愛を歌う立場にあって、恋愛の感情を実体験していないというのでは、歌の迫力に欠ける気もする。

従って運営側としても、恋愛禁止条例とは、プラトニックな恋愛感情を抑制させる条例というより、むしろ性行為を禁止する条例としたいというところが実は本音かもしれないが、若年層もたくさんいる組織にあっては、そういう即物的な表現ができないところが悩みどころか。


今回の事件、意見が分かれるところは、プラトイックな恋愛感情を超えた「お泊り」という事実から想像される男女行為を、果たしてファンが容認できるかどうかだろう。たとえ、事実関係としては何もしていなくても、だ。

バージニティのイメージとはそういうもの。商法としてそのイメージを活用して成り立っているのであれば、それを反故にするということは、
いわゆる脳内妄想の世界においては背任行為とも言える。



今後も同様の事件はありそうだ。とにかく、結束力にほころびが出ない様、頑張って欲しい。