武道に心得を持つ、ある親しい友人のブログに書かれていたことなのだが、
武道の世界で「名人」「達人」と呼ばれる人は、判で押したような生活を送るものだという。
なぜかというと、そうすることによって日常生活のなかに起きる小さな変化を,
読み取る感覚を研ぎ澄ますことができるからだそうだ。
身の危険を逸早く察知し、次なる行動へと瞬時に移れる。武術家は、常日頃そういう訓練をしているという。まぁ、訓練というより、そういう能力を持っている人が武術の名人、達人ということなのだろう。
(尤も、くだんの友人が達人名人かどうかは不明ww)。
そういえば、ステレオタイプな生活を送る輩というと、ネガティブなイメージが先行して「しょうもない奴」と思いがちだが、どうやらそうでもないらしい。これは大変興味深いことだ。
逆に、小生など毎日毎日同じことを繰り返すのが苦手で、出勤経路もわざと通る路を変えてみたり、或いは通る時間を変えてみたりと、いつも変化を求める習癖がある。旅行などでも往復では出来る限り別の道を通っているし、目的地も別のところを選んだりする。因みに、自己紹介では、「初めてする、を毎日最低一つする」と書いている。
そうしたことで新たな発見があるのだと、勝手に思い込んでいたのだが、発見とはそういうことだけで得られるわけじゃないということを知った時は、まさに目からうろこが飛び出てきた。
繰り返す日常の中から、変化を見出すこと。要は、
感性を研ぎ澄まして日常を観察することにより、変化への気付きが得られる
ということ。
なるほど、と思った。
実は、
この方法、科学の世界にもいえる。
トンネルダイオードの発見
科学的な大発見をした人たちは、毎日のように同じ実験を繰り返しながら、そこに僅かな差異を見出し、それにこだわる。こだわってこだわってこだわった挙句、これまで知られていなかった大発見をするのだそうだ。
ちょっとしたデータの違いとか、実はそこにもきちんと説明しうる理由がある。考えて見れば当たり前のことなのだが、これが見落とされる。それが凡人の限界ということなのだろう。
実を言うと(というか、そういう人の方が多いと信じたいが)、学生時代に「電気実験」という課程があり、毎週何らかの実験を行って実験結果とそれに対する考察を提出するという必修科目があったのだが、慣れてくると結果が想像できてくる。というより、そもそも小生たちB級学生にさせる実験なんて基礎中の基礎の実験だから、ずっと昔から知られているアッタリマエの実験であり、実験結果が理論と狂うわけが無い。
ということで、実験中にリニアリティのないデータが生じた時には、適当に改竄して「理論通りの実験結果が得られました」とばかり、秀逸なレポートを提出したものだった。しかも高学年になった頃には、研究室にあった電算機を用いて先にデータをはじき、グラフ化しておいてそのデータを元に実験を済ます、という暴挙もした。
そんなことばかりしていたから、今になってもこの体たらくなわけだが、しかし、卒業に当たっての成績表には、電気実験科目には「優」の文字が並んだ。これが奏功して今、この体たらく

やはり、成功する人は努力を惜しまず、努力する過程においても人一倍優れた観察力、洞察力、そしてそこで得られた結果を分析する体力や気力を持っているということなのだろう。
成功するということ、必ずそこには理由がある。
「偶然は準備をしていない人の前には現れない」という。
この準備というのが観察力なのだろう。それによって日常の中から差分を見出せるということは、日ごろの訓練の賜物なのかもしれない。
武道も科学も同じだ。