生死に直接関与する商品については「高品質だから高価格」。そういう戦略があっても良いのはないか?
しかし、目を他国に向けてみれば、「品質を追求するのはまだ先のこと。先進国水準に追いついてから考える」とあからさまに断言する国もたくさんある。そう言い切られると、品質って何なんだろうって、思ってしまう。。。確かに欲しいものが予算内で入手できるのであれば、不具合品の混入率とか考えずに買う。悩むところは買える価格なのかどうかなのだ。っで不良品を掴まされた時は何となく運が悪かったなと思ったりする。つまり、品質の良し悪しはギャンブル。。。但し、そういう判断基準で問題ないのは生命の存続に関わらないものに対してのみであり、衣食住+交通手段については安全性が最優先すべきで、それを最大の課題とする高品質はゼッタイ条件であるべきだ。
一方、生命とは直接関係ないところでの品質とは何か?そこで高品質を求めることは贅沢なのか。贅沢とは、人間だけに与えられた特権であり、人間らしさが出せるのは贅沢な時間を過ごしている時だ。
今、「節電、省エネ、省資源」という、実践して当たり前のことが美徳の様に形容され、逆に贅沢するということが罪悪とも感じさせる世知辛い時代となっているが、贅沢とは、即ち心の贅沢のことを言うのが本来であって、その種類は人によって千差万別。些細なことでも至福感が得られるのであれば、それに勝る贅沢なことはない。この贅沢、つまり心の贅沢に高品質が入っていてもおかしくない。
但し、実はそんなこと誰でもわかっていることなのだが、問題は、それを実践できないということ。その理由は競争があるからだろう。
結果として低賃金による低コスト化を目論み、例えば路線バスや観光バスなどの外国人運転手が増えるかもしれない。外国人であるということが問題ということではないが、国による価値観の違いは安全性への取り組みや心掛けに影響を与えるだろう。であれば、やはり国としての保護政策は必要となる。規制緩和も聞こえはいいが、安全性についての「たが」まで緩和されるとなれば、それは大問題だと思う。