École des Racines 千枝です

前回、前々回からの続きで


またまた
なんとなく感じていた違和感のはなし

シュタイナー算数を学ぶ中で
さらに感じることになったのが

教えること
教え込むこと
への違和感


日本の普通の小、中、高校では
解き方も答えも教えてもらうのが当たり前ですが

シュタイナー教育では
先生は正解をすぐに教えない
解き方も自分で見つけるんです

手を動かして試行錯誤しながら
自分なりのやり方で答えを導き出す
その体験が大切という考え方

ここにとても共感したのですが
だからずっと以前から
ピアノを教えている時に
なんとなく違和感を感じていたんだなと納得もしました


おそらく
一般の学校では正解がわかればそれ以外の解き方をわざわざ教わらない
他の解き方をすると怒られたりすることもあるらしい
時間も限られた中でそうならざるを得ないのかもしれませんが

本来子どもには
自分でできる力があるのに
それを大人が信じて待つことができない
カリキュラム通り、時間通り
大人の都合で決めた余裕がない中で
子どもは自分でやりたいという気持ちを萎ませていくのではないでしょうか?
本当に大切なことが抜け落ちてしまっているような気がします



言われることだけをする
大人にとっての良い子を育てる教育は
昭和の時代だけで終わった
と思っていたけれど
どうやらそうでもないですね

ピアノを教えていて
こちらが質問すると
自分で調べたり考えたりもせずに
「わかりません」
と平気でいう
(もちろん全員がそうではないです)

先生の言うことが全て正しいわけじゃないし
全部教えてもらうのは本当の勉強じゃない

そんなことをピアノのレッスン中に言うのも
なんだかおかしいのですが
そのまま教師になって大丈夫?と
すぐには教えない意地悪な先生
(お節介おばさん)になってしまうこともしばしば🤭



ところで
私が子育てする頃から
《褒めて育てる》
が当たり前となってきたのですが
これもずっと違和感🤭

自分が褒められて育ってないから
というのもありますが💦
褒めること自体が苦手で
それよりも
我が子は褒められても喜ばなかったんです笑

なぜ褒められても嬉しくないのか?息子に聞いてみると

自分が普通に(簡単に)できることを褒められても嬉しくないやろ…と

なるほど
なんでも褒めれば良いというものではない
全然頑張ってないことで褒められたり
すごく頑張ってもうまくできなければ褒めてもらえなかったり…


子どもの何をどこを褒めるのか?
誰かと比べない褒め方が大切なんだと
我が子にはかなり鍛えられました😊


学校現場では
結果だけを見て褒めるのには限界があり
本人が頑張っていることを褒めてあげましょう
みたいな…評価システム?も導入され始めました
そのこと自体はごく当たり前なのですが

それが過剰になり過ぎたのか
息子は中学のとき
頑張ってないから
(例:漢字を毎日◯ページ書いて提出する類の宿題を出さない)
テストが良くても評価しませんよ‼️的な(今考えると脅しのような)通知表をもらって来て大騒ぎ😁
本人はどこ吹く風口笛でしたが
(先生からすれば反省してないともいう)

先生にとって
子どもが真面目に頑張っているかどうかの判断材料でしかなく
答え丸写しでも、他の誰か(親)が代わりにやっていても
見て見ぬふりで
とりあえず期限までに提出しなさいという
そこに意味があるのか?
誰のため何のための宿題なのでしょうね

その頃シュタイナー教育を学んでいたら
そんな教師の評価を気にせず
もっと違う方法で息子の力を伸ばしてあげられただろうなぁ
と今更ながら思います





我が子はあまり褒められずに育ちましたが🤭
最近の褒められて育った世代は
褒めてもらえないと不満を口にしたり
やる気にならないと言ったり…
そして何よりも
間違えることをとても恐れるようになります

自分がしたいからではなくて
褒めてもらえるからする
人から褒められることを基準にするのは他人軸でしかありませんが
なかなか自分に自信を持てないのは
そんなところにも原因があるのかもしれないですね


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