École des Racines 千枝です

前回からの続きで
違和感のおはなしですが

大学生にピアノを教えていて
学生の質問に
いろいろ思うことがありました

まずは
質問その1
「これで合ってますか?」

合ってます?の意味がわからなかったのですが
楽譜と合っているか?という意味らしく
どうやら
音楽的な解釈とか表現方法という深い意味はないようで

間違えているところを直してもらうのがレッスンだと思っているらしい
こういう学生の意識とのギャップにまず驚きました

わたしが教えている学生は
音楽家、演奏家ではなく
小学校や幼稚園の教師や目指しています

カリキュラムの都合なのでしょうが
なぜ小学校の授業で音楽をするのか?
なぜ幼稚園や保育園で音楽が大切なのか?
という大切なところを
考えたり学んだりしないまま
入学するといきなりピアノのレッスンが始まります

ピアノが苦手な学生に
「なんで大学でピアノのレッスンがあるんだと思う?」
と質問すると
「わかりません、そんなこと考えたこともないです」
と答えるんです



子供にとってなぜ音楽が大切なのか考えもしないで
子どもに関わる仕事をしたいの?
ここも凄く違和感なのです

質問その2
「試験で間違えたら不可になりますか?」

間違えたら不可…とはならないし
ミスタッチはプロのピアニストでもありますよね

とにかく学生は
成績や評価がとても気になるのです
優がもらえないなら履修放棄する…という学生もいます

日本の普通の小学校から高校までは
評価されることが当たり前
私自身もそうだったけれど
今はもっと激しくて
社会全体が何でもかんでも評価主義になってしまっているのだから
学生もそうならざるを得ないのでしょうね…

合っているか?間違っているか?
そこにしかフォーカスできない
そんな学び方しか知らないのかもしれません


ピアノは
資格取得のために必要な単位ではあっても
他の講義系の科目と違い
毎週のレッスンに向けて
時間をかけて練習しなければならない
テスト前の一夜漬けができないと
数回レッスンをするとさすがにわかってくる
そして
毎週頑張っていても
試験で上手く弾けないかもしれない
1年間やってみると
これはとてもリスクが高く非効率である…
そう考えて
2年生になるとピアノを選択しなくなる現象が起こるのです

子どもにとって
音楽は遊びであり
表現のひとつの手段
だから
どんなふうに表現しても大丈夫だし
そもそも音楽に間違いという概念はないよね



むむむ
ここで
大きな矛盾が見えて来ました…💦

音楽には間違いがないのなら
なぜテストの評価や成績が必要なのか?
という点

実際には
大学が資格取得システム
と化していて
ピアノや器楽の単位として
学生に与えなくてはいけない
つまり評価する必要が出てくるわけです

その評価は
優、良、可、不可などが
全て点数化された
GPAとして
採用試験にも影響してくるのです
このシステムがあることにも違和感💦なのですが…

だから学生はなるべく優が欲しい
となるわけです

そんな事情があるので
学生が音楽を楽しむような余裕があるはずもなく…
なるべくリスクが少ない
必要最低限の単位で
大学生活を送るようになっていくのもある意味仕方がない
ある意味学生もそのシステムゆえに疲弊しているように感じるのです

このシステムが前提で
教員採用などの仕組みが出来上がっている
そんな日本社会にも
大きな違和感を感じてしまうのです

話を広げすぎて疲れてきたので

続きはまた次回

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