おこしやす祇園新春始業式[1月7日] 

舞妓の四季 「新春」の行事 始業式  

十日ゑびす 「のこり福祭」  

初寄り 節分 節分お化け 宮川町の始業式始業式とは、祇園甲部の八坂女紅場(にょこうば)学園や、宮川町の東山女子学園、祇園東ではお茶屋組合の二階でそれぞれ行われる始業式のことです。
正装の黒紋付きを着て、かんざしと本物の稲穂を挿した芸妓・舞妓さん、学園の先生、お茶屋の女将などが一斉に揃います。
祇園甲部では「芸妓・舞妓の誓い」の一同斉唱の他、売上の優秀な芸妓・舞妓さん、お茶屋の表彰が行われます。
最後は京舞井上流家元井上八千代師の「倭文」の舞でしめくくられます。
芸妓・舞妓さんの華やかな正月の正装と新年を迎えるにふさわしい厳粛な雰囲気が印象的です。

十日ゑびす「のこり福祭」[1月11日] 恵美須神社

  

商売繁盛の神さまであるゑびす神、いわゆるエベッさんの誕生日を祝って行われる十日ゑびすは、その徳にあやかろうと多くの人がつめかけます。
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日の宵ゑびすに始まり、10日は大祭。翌日の11日は「のこり福祭」で、京都らしく恵美須神社に縁の深い、祇園甲部や宮川町の舞妓さんたちが、福笹の授与を行います。

初寄り[1月13日]巽橋にて

年末13日の事始めで一年をしめくくり、正月準備を始めた芸妓・舞妓さんたちは、正月や始業式を終えて、1ヶ月後の113日に、再び五世井上八千代師宅に顔を揃え、一層の精進を誓い合います。
お屠蘇と雑煮で正月を祝い、お師匠さんから励ましの言葉を受け、新たな気持ちで一年が始まります。
 

節分[2月2日・3日]

八坂神社での奉納舞                        

祇園甲部、宮川町、祇園東が氏子になっている八坂神社の節分祭では、厄除・健康・幸福を祈る神事と芸妓・舞妓さんによる奉納舞と豆まきが行われます。
本来日本の芸事は、五穀豊穣や国家平安を祈って神さまに奉納するためのもので、元々花街が神社仏閣の参道など人の集まる場所に発達した背景もあるので、こうした奉納舞が行われるのです

節分お化け[2月3日]

足早に一力茶屋へ

節分の日、花街では夜になると、「お化け」という行事が行われます。
仲良しの若い芸妓・舞妓さんが、グループで仮装してお座敷を回ります。
「白浪五人男」「越後獅子」など伝統的なものに扮するグループもあれば、最近ヒットした映画の主人公やその年話題になった有名人に変身したり、歌舞伎のまねをしたりと様々な工夫をこらします。
踊りの振付も、衣装もそれぞれアイデアに富み、踊りに合わせた音楽もこの日のために各組用意し、仮装の芸を披露してくれます。      

       春 「春」の行事 →大石忌

              都おどり  京おどり                           大石忌[3月20日] 一力亭

大石忌は、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の七段目「祇園一力茶屋の場」で知られている、四条花見小路の角にあるお茶屋「一力亭」で行われる行事です。
大石内蔵助の命日、320日「一力亭」の仏壇には討ち入りそばや大石の好んだものが供えられます。
馴染みのお客さんだけを招いて、「深き心」を井上八千代師が舞い、芸舞妓3人が地唄「宿の栄」を舞います。
芸妓・舞妓さんたちにより抹茶や手打ちそばも振るまわれます。

都をどり[4月1日~30日]

祇園甲部歌舞練場 

京都の春といえば都をどり。都をどりといえば祇園甲部の芸妓・舞妓さんが日頃のお稽古の成果を披露する祭典で、国内のみならず海外でもチェリーダンスとして知られています。
つなぎ団子の提灯の下、「都をどりはぁ~、よ~いやさ~」の掛け声で始まるまった第1回公演から今まで変わらずに続いています。
井上流家元の井上八千代師指導による、あでやかな井上流京舞が最大の見もので、4月のまる1ヶ月を通しての興行です。
毎年祇園甲部歌舞練場で行われるこの行事は、祇園だけではなく、京都を代表する春の行
幕開けは、明治5年に開催された京都博覧会の付博覧として始事となっています。 

お問い合せ 祇園甲部歌舞会                      TEL 075-541-3391 FAX 075-525-3105
605-0074 京都市東山区祇園町南側

京おどり[4月第1土曜日~第3日曜日]宮川町舞練場

宮川町では4月の第1土曜日から第3日曜日まで、東山女子学園と同じ建物内の宮川町歌舞練場で「京おどり」を開催します。
観客に楽しんでもらうことをモットーに、若柳流の家元が振り付けを担当していて、毎年趣向を凝らした舞台になります。
全体は七景に分かれていて、最後のしめくくりとなる第七景は「宮川音頭」の総踊りとなり、舞台が華やかな空気に包まれます。お問い合せ          宮川町歌舞会
TEL 075-561-1151
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605-0801 京都市東山区宮川筋四丁目306       

    

       花街 - 祇園 -

 芸舞妓「大ざらえ」...10月「温習会」に向け                           

けいこの成果を披露する芸舞妓ら(26日午前11時7分、京都市東山区で)

 古都の秋を彩る祇園甲部歌舞会の「温習会」(10月1~6日)に向け、芸舞妓(げいまいこ)約50人が26日、京都市東山区の祇園甲部歌舞練場で、けいこの総仕上げ「大ざらえ」を行った=写真=。

 けいこは、あでやかな着物姿の舞妓が上方唄「ひとつくずや」や、芸妓が義太夫「子の日の遊び」などを披露。京舞井上流の五世家元・井上八千代さんが振り付けや、立ち位置などを指導し、本番に備えた。  

<京のひと 語る>「そうだ 京都、行こう。」                   

   コピーライター 太田恵美(めぐみ)さん 57

 京都。千年の昔から、時代におもねることなく、常にそのままの姿であり続けたこの街に、いつの時代も人は魅せられ、足を運び、人生を紡いできた。そして今、街は史上かつてないブームの只中(ただなか)にいる。今こそ、ゆかりの人々が語る「京都」に、耳を傾けてみたい。

 今いざなう古の美 

      

高校時代、友人らと胸に秘めた本音をぶつけ合ったという真如堂(左京区)。太田さんは「京都を憎んでいたころの象徴。でも、日が暮れるまで語り合うことが許された場所」と懐かしんだ

 「京都」という印鑑があればよかったんです。ベタ褒めでも解説でもなく、シンプルに、旅人が感じるままに、「そうだ 京都、行こう」と。割と安易だったから、廃れず、古くならなかったのかもしれません。

 旅情をそそられずにはいられない名所旧跡の風景に、響きも軽やかなコピーが踊る、JR東海のキャンペーン「そうだ 京都、行こう。」。1993年の開始時、3800万人だった京都市の観光客は、今や空前の5000万人が目前。太田さんが手がけるキャンペーンのCMやポスターが、〈京都ブーム〉を後押ししたのは、間違いない。

 その第1弾は新聞の全面広告。秋の夕暮れの「清水の舞台」に、太田さんはこんな言葉を添えた。

 「パリやロスにちょっと詳しいより 京都にうんと詳しいほうが かっこいいかもしれないな。」

 バブルを経験して、仕事でパリとかロスとかに行ってたんです。「パリのあそこがおいしいよね」「ロスはどうだった」。そんなことを言い合ってて、ふと思ったんです。なんか格好悪い、自分の足元を知っている方がすてき、と。

 生粋の京女。しかし、その足元たる京都については、何も知らなかったという。その理由は、思春期に抱いた屈折した思いから、説き起こさねばならない。

 古い因習、狭い人間関係......。私にとって京都は悪でした。表面的には私、優等生でした。反発はあるのに、表に出せない。そんな自分が嫌だった。ここにいちゃだめ、とにかく京都を出たい、と願っていた。だから、この仕事で改めて京都を見つめた時、「碁盤の目」以外、何も知らない自分がいた。ちょっとまずかったと思いましたね。

 これまで取り上げたのは延べ70か所以上。1か所につき4回は訪れ、身を置く。満開の桜、涼しげな清流、燃えんばかりの紅葉、凛(りん)と降り募る雪......。不惑を過ぎ、初めて、故郷の「圧倒的な美」を知った。

    

時間かけ役に近づく作業が好き 仕事しなければ、ただのオヤジ 第八十五回 藤竜也さん (写真)藤竜也さん

言葉ではなく嗅覚で役に迫る

渋く、野性味があってカッコいい。円熟した男性ならではの色香も漂わす。しかし、本人に自覚はない。「カッコいいなんて勝手な幻想。僕自身にはあまり関係ない」と煙草(たばこ)をくゆらせ、さらりと言う。

映画「しあわせのかおり」では中国出身の料理人を演じるため、4カ月半かけてプロから手ほどきを受けた。仕事に入ると発奮忘食、時間をかけて徹底的にのめりこむ。しかしオフになれば過去は忘却のかなた、「ただの呑(の)み助オヤジです」と語る藤竜也さん。その素顔に迫った。

--映画「しあわせのかおり」のため、プロの中華料理レッスンを4カ月半受けたそうですね

最初は中華鍋が重くてね、力ずくで何とかしようとするから腕がパンパンになるしさ。中華包丁も、よく切れる包丁なのに力が入りすぎてうまく切れなくて。

--家でも練習されたとか

そう、昼間はキッチンスタジオで教えてもらって練習したのですが、それだけでは全然足りなかったから。もう、必死。ネギを何本刻んだことか。家内なんて4カ月半毎晩中華でした。冗談じゃなくね。でも、そこは役者の妻、一言も文句を言わず、「おいしいですねえ。あなた、役者でなくても料理人でやっていけますねえ」と調子のいいことを言ってくれるので助かりました(笑い)。

--それにしても、なぜ、そこまで

台本を読んだ瞬間、オーナーシェフとしてしっかり厨房(ちゅうぼう)に立てるかどうかが勝負だと思ったから。ふつう料理人が厨房に入ったら、からだが厨房の一部になって、うまくおさまっていると思うんです。王(わん)さんが動くと一緒に厨房の空気もグッと動くぐらいのたたずまい、風情が出せるようにしたかった。そのためにもちゃんと本格中華が料理できるようにしたかった。

--それ以外に役づくりで気を使ったことは

王さんは基本的に異邦人。35年も異国に住むってどういう感覚なのか、異邦人の空気感をどう出すかは考えました。あとは言葉ですね。王さんは日本語を調理場で、耳で覚えたんだろうから、流暢(りゅうちょう)すぎてもよくない。かといって、観(み)てくれる人が華僑なまりに気を取られても困る。そのさじ加減が難しかった。それと王さんの故郷は紹興という町だったので、北京語だけでなく紹興語も先生をつけてもらって勉強しました。

現地の床屋にも通って

--ロケ地へも撮影開始の1週間前から単身で先に入られたそうですが

なんか落っこちていやしないかと思って、僕はどの作品でもたいてい早めに現地入りします。今回は、舞台となった金沢市大野町の長老と出会ったので、通っていた小学校を教えてもらって訪ねてみたり、なじみの床屋を教えてもらい、勝手に王さんをこの床屋の常連に設定したりしました。実際、あの髪形を保つため、撮影中に4回行きました。床屋のオヤジといろいろ世間話をするうちに、同じ痛風持ちなんだと知ったりね(笑い)。そういうのがおもしろい。

--一つの役のために、いろんな準備をされる

考えたらぜいたくなことです。でも、僕はそんなふうにいろんな準備を進めながら、徐々にその人物の内側を手繰り寄せていく作業がとても好きなんです。王さんという人物が本当にこの町に住んでいるように過ごすことで、文字では表せない、嗅覚(きゅうかく)で感じ取ったものを積み上げていくことができる。役者によって役へのアプローチのしかたは違うと思うけれど、僕はこのやり方。

以前「ミッドナイトイーグル」という映画で総理大臣を演じたのですが、あの人の背景を自分でつくりあげていくのが本当におもしろくてね。いろいろ探っていくうちに、どうしても関西出身にしたくなって、勝手に出身大学や、新聞社あがりで赴任先はここで、という経歴まで想定して。そんなふうにしていくと、自然にその気になってくる。まあ、とにかく楽しい作業です。

--役者のおもしろさは役づくり

それもありますが、何といってもうれしいのは、やはり観た人が喜んでくれることですよ。それが役者にとって一番の勲章です。

作品の選択が役者人生の要

--出演される作品の決め手は何ですか

本(台本)です。本がいろいろしゃべってくれるんです。「あなたがこの作品をやると失敗するからやめなさい」とかね(笑い)。逆に「これは出なさい」と指令がくる本に出合えるとめちゃくちゃうれしくなって、「どんな町に住んでいるのか」「舞台は九州?だったら、いつ行こうか」なんて早速調べ始めます。役者にとって、本の選択は実はすごく大事。この判断で僕らの人生、商売は決まっていくこともありますから。

--そもそも役者になったのはスカウトがきっかけですね

たまたまデートの待ち合わせ場所で当時の彼女を待っていたときにスカウトされ、日活へ入りました。だから、決して役者になりたくてなったわけではないんです。とはいえ、やると決めた以上はやり遂げないと気がすまない性分。大部屋俳優から何とか脱しようと、先も見えないのにとにかくあがいていた時代がありました。

先日、日活時代にお世話になった舛田利雄監督と久しぶりにお会いしました。食事をして別れたのですが、その直後、わけもなく涙が溢(あふ)れてきてしまった。あの感情の高ぶりは何だろう、感謝というのかな。いずれにしても、役者という出発点に何とかたどりつけ、多少なりとも仕事を続け、今の自分があるのは、もがき続けていたあの時代に舛田監督と出会ったおかげ。あの監督がいなかったら違った人生になっていたと思います。

--俳優を続けてこられたのはなぜだと思いますか

きっと、過ぎたことをすぐに忘れるからでしょう。どんな映画に出たかはいろんな人の記憶に残り、記録にはなるけれど、僕にとってもはや過去のことで、興味あるのは常に次の仕事のことだけなんです。だから続けていられるんだと思う。もちろん、次の作品がなかなか決まらなくて、失業状態が続き、自分が俳優であることも忘れてしまいそうになることもありますが。

--仕事をしていないときは何を

陶芸、語学、料理、運動など何かしら夢中になっています。ただ、陶芸はしばらくもういいかな。個展のため1年間仕事をせずに700点以上の作品を作ったら、さすがに飽きてしまった(笑い)。

--仕事も遊びもすごい勢いでのめりこむのに、引き際は潔いですね

昔の僕の、女性とのつき合い方もそんな感じ。引きずらなかったな(笑い)。

--そうなんですね。では、過去に執着しないのは昔からの性分ということ

それもあると思うけれど、僕は基本的に役者は贅肉(ぜいにく)がついてないほうがいいと思う。だから過去を引きずらない。どんな作品に出た、どんな賞をもらったというのは無駄な贅肉でしかなく、必要ないわけです。新しい仕事には真っさらな自分で臨みたい。毎回、次の1本が最初で最後ぐらいの気分でね。何よりあまりいろんなものを背負わないほうが気楽でいいんです。

妥協せず、生きる

--昔から男っぽさと独特の渋さ、色気を兼ね備えていますが、そのひけつは

まず訂正したいのは、その印象はありがたいけれど、それは世間の勝手な幻想でしかなくて、僕とは関係ない。実際、僕はただのオヤジだからね、ひけつと言われても本人に自覚はないからわからない。

--とはいえ、公私ともに自分を貫いている。そんな生き方のヒントが何か得られるとうれしいのですが

自分自身を肥大化しないことかな。自分のできることって限られている。でも、才能とまではいかなくてもここまでやって生きてきたんだから、いくらかの「何か」はある。それ以上でも以下でもない「何か」。そこを踏まえたうえで、とにかく僕は自分ができることを一生懸命、楽しみながらやろうと思っている。その意識はありますね。

--楽しみながらやるにしても、ときには我慢も必要

好きなことをしていても、やせ我慢が必要なときもある。頑固を貫くのも意外に大変で、頑固であることの重みを背負わなければならない。ただ、自分が引き受けたことだったら、その結果がたとえ不本意だったとしても納得できるし、自分で責任が取れるでしょう。でも、妥協っていうのは化けものみたいなものでそうはいかない。何より妥協してうまくいかなかったりすると、ものすごく腹が立ちますしね。だから僕は妥協せず、何でも自分の意思で選択し、それを引き受ける人生を貫くようにしている。そのために2年間、長いときで3年間、1本も仕事がないときもありました。でも、それは自分で選択した結果だからしかたない。次がくると信じるほかないわけで。

--妥協しなくても、必ず次の仕事は訪れると信じている

信じるしかないですよね。でも、俳優は待つだけの価値がある仕事。とくに映画はカタチじゃない何かが人の心に触れていく、そんな魔力的な魅力に満ち溢れている。だから、どんなことがあってもやめられないんだと思います。3つの質問

質問1 これまでの人生で最大の買い物(投資)は何ですか?

「俳優」。スカウトされて日活に入り、俳優になったわけですが、最初の3年間は大部屋俳優から抜きん出ようと必死でした。あの時代こそが、僕の俳優への最大の投資期間だったと思います。

質問2 こだわりがある、という生き方をしていると思う人を挙げてください

映画監督の大島渚さん。「愛のコリーダ」「愛の亡霊」の2作品に出演させていただきました。いろいろなタイプの監督がいるのですが、極めて作家的な方で、映像作家とはどういうものかを僕は監督から感じ、学ばせてもらいました。大島監督は映画人としてのすさまじさもすごかった。とくに僕の人生において「愛のコリーダ」の存在は大きい。強烈な影響を受けました。

質問3 人生に影響を与えた本は?

聖書です。信者でもないし、プロテスタントの中高一貫校で毎日礼拝を強制されるのが嫌で騒ぎを起こしたこともあるのですが、でも、やはりあの年齢のころに触れた聖書というのは、自分の中にいろんな意味で影響を与えてくれた気がします。                       (写真)藤竜也さんプロフィール

お知らせ

映画「しあわせのかおり(幸福的馨香)」20081011日(土)よりロードショー

古都・金沢の港町にある「小上海飯店」。店主、王さん(藤竜也さん)が心をこめて作る料理は「しあわせをもたらす」おいしさで、地元のお客さんから大評判。ある日突然、病に倒れた王さんに協力を申し出たのは、デパートへの出店要請のため、足繁(あししげ)く通っていた貴子(中谷美紀さん)。最初はぎこちない名人と弟子の関係だったが、やがて確かなきずなへと変わっていく......。「しあわせのかおり」は、心がほっとする、温かい映画。藤竜也さんが実直で不器用だけれど大きな心を持った料理人・王さんを静かに、そして力強く演じています。

「登場する中華料理は50種類以上。観(み)た後、絶対に食べたくなるので、映画館へ入る前に、見終わったらどこの中華料理屋へ行くか、目星をつけておくことをオススメします」(藤竜也さん)。

  • 公開/20081011日(土)ロードショー
  • 監督・脚本/三原光尋
  • 出演/中谷美紀、藤竜也、田中圭、下元史朗、木下ほうか、山田雅人、甲本雅裕、平泉成、八千草薫
  • 配給/東映
    公式サイト


    「中華そば」 藤竜也さん

  • 「中華そばは夫婦で作りますが、スープの味の最終確認は妻に頼んでいます」

    「中華そばは夫婦で作りますが、スープの味の最終確認は妻に頼んでいます」=小浜誓撮影

    夫婦で一番ハッピーな味

     「中華そばが食べたいなあ、と思うときは、たいてい妻も同じことを考えてますね」

     長く一緒に暮らしていると、食欲のリズムも不思議と合ってくるらしい。夫婦で協力して作ることにしている。

     「昨日は、いためたモヤシなど野菜のあんを上にかける横浜名物の中華そば『サンマーメン』を作って食べました」

     強火でモヤシを一気にいためる。隣で妻がめんをゆで、スープを用意する。「めんはゆで過ぎないこと。具もシャキシャキ感をしっかり残すことが肝心です」

     ユラリと立ち上る湯気、ジュワッという野菜をいためる音。仕上がり時間を合わせて、さっと丼に。作るだけで楽しい気分になる。「今日のスープの味はちょうどいいね、なんて何気ないおしゃべりしながら熱々を食べる。夫婦の一番ハッピーな時間ですよ」と目を細める。

     父を早くに亡くし、家計を支えるために母が働いた。その間、預けられた横浜の親類宅は食事作法のしつけに厳しく、正座して押し黙ったままちゃぶ台を囲んでいた。

     小学生の時、父の法事で中華街の店に初めて連れて行ってもらった。テーブルに並ぶ様々な料理と、楽しそうなおしゃべり。あまりの豪華さに圧倒され、ずっと下を向いたまま、ほとんど食べることができなかった。「モノクロだと思っていた食事の風景が、初めてカラーになった日でした」

     高校生になって、気の合う仲間と映画を見た帰り、裏通りの小さな中華料理店に入るようになった。といってもお金がないので、注文するのはいつも中華そば。熱々のめんをすすりながら、将来の夢を語り合った。

     大学在学中、銀座でスカウトされて、俳優業に足を踏み入れた。ヤクザや刑事など印象に残る役柄を次々とこなし、アクションスターとして活躍した。1976年には大島渚監督の映画「愛のコリーダ」に主演。男女の性を大胆に描いた作品は、国際的な話題となった。その後、陶芸家や写真店主、老舗旅館の主人など、様々な役柄を演じ、芸の幅を広げてきた。

     仕事の予定は、たくさん詰め込まない。脚本を見てしっかり選ぶ。仕事の間の充電期間も大切にしている。若いころはスカッシュやウインドサーフィンを楽しんだ。50歳、60歳と年を重ねるにつれ、スポーツ以外に、陶芸や絵を描くことにも挑戦するようになった。

     「遊び回ってた野良猫もくたびれてきたんですよ。ハハハ」

     料理の腕もそんな充電期間に少しずつ磨き、今では大きな中華包丁を器用に使いこなせるほど。高価な食材に執着せず、めんやモヤシは近所の生協の店で買う。「当たり前の味を食べていると心が平らになります」

     「ひまつぶしになるかも」と、最近フランス語の勉強も始めた。食卓の中華そばの湯気を挟んで、次はどんな新しい世界に挑戦しようかと、妻に語りかける。(西村洋一)

     ふじ・たつや 俳優。1941年、北京生まれ。62年に日活からデビュー。映画やテレビで活躍。映画「村の写真集」で、2005年、上海国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞。10月中旬公開の映画「しあわせのかおり」には、中華料理店主の役で出演。妻は、元女優の芦川いづみさん。

1941年北京生まれ。大学在学中にスカウトされ、62年日活からデビュー。「野良猫ロック」シリーズなど数多くの映画に出演。70年代からは「時間ですよ」などのテレビドラマでも活躍し、人気を博す。主演した大島渚監督作品「愛のコリーダ」(76年)、「愛の亡霊」(78年)は国際的にも大きな話題となる。近年は「アカルイミライ」(2003年)、「海猿」(04年)など若手監督の作品にも意欲的に参加。三原光尋監督作品「村の写真集」(03年)では、05年上海国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞。最近作としては「ミッドナイトイーグル」(07年)、「窯焚 KAMATAKI」「THEショートフィルムズ」(08年)など。今後は、「しあわせのかおり」(0810月)、「感染列島」(091月)などの公開を控えている。


男が学ぶ妊娠 「妊娠検査薬」って、なに?



妊娠を自分で調べられる便利ツール、妊娠検査薬  
「どうして妊娠がわかるの?」「いつ使うの?」妊娠検査薬     今回は、妊娠検査薬を学びましょう

「男が学ぶ妊娠」シリーズ、前回は妊娠の初期症状のひとつ、「つわり 」を解説しましたが、今回は「妊娠検査薬」についてです。
病院へ行かずとも自分で妊娠の可能性を調べることのできるツール、それが「妊娠検査薬」ですが、使い方や判定の仕方、いつ頃使えばいいのかなど男性にはわからないことだらけですよね。これを機会に基礎知識を身に付けておきましょう。さっそく次ページ で解説します。           >>男が学ぶ妊娠シリーズ、今回は「妊娠検査薬」です! >>

妊娠検査薬って、どんなヤツ?!

妊娠検査薬

オムロン妊娠検査薬クリアブルー

薬局やドラッグストア以外にも、最近はコンビニでも見かけるようになった「妊娠検査薬」。複数のメーカーから発売されていますが、アマゾンで検索すると「オムロン妊娠検査薬 クリアブルー 」がトップ表示されました。これをもとにさっそく使い方をみてみましょう。
まずは、妊娠検査薬ってどんなものかという......    これが「妊娠検査薬」、初めて見た男性も多いのでは?
パッケージから取り出した検査薬実物は上記写真のとおり。これにおしっこ(尿)をかけて、妊娠しているかどうかを判定します。初めて見た男性も多いのではないでしょうか。

いつ頃、どうやって使うの?!


妊娠検査薬 両方の検査窓に反応があれば結果は陽性。 つまり、99%以上の確率で妊娠ということになります。 

女性は妊娠をすると、hCGと呼ばれるヒト絨毛性性腺刺激ホルモンが尿中に排出され始めます。検査薬は、このhCGがおしっこの中に入っているかどうかを調べて妊娠しているかどうかの判定をするので、おしっこをかけて1分から数分の間に結果がわかります。
ほとんどの検査薬には判定窓が二つあります。一つは検査終了を知らせる窓で、もう一つが検査結果が陽性かどうかを知らせる窓。この両方に反応があったとき、つまり、右写真のように検査窓の両方に線が出ていれば妊娠しているという判定結果になります。
使用時期の目安としては、生理が遅れておおむね1週間ほどから検査することができます。
ところで、妊娠検査薬の信頼度って、いったいどれくらいなのでしょう。 次ページ へ続きます。>>妊娠検査薬の判定は100%信頼できるの......?! >>

検査薬の精度は99%以上! でも、こんな場合は……

検査薬の使用で最も注意する点は、「検査薬の結果だけで妊娠の有無を判断しない」ということ。陽性反応が出ればかなりの確率で妊娠しているということになりますが、現在が妊娠何週目なのかといった詳しいことまでがわかるわけではありません。できるだけ早く医師の診断を受けるよう心がけましょう。

妊娠検査薬

99%以上の精度を誇る妊娠検査薬。でも、こんなケースでは陰性になることも…

前ページ で紹介したとおり、妊娠検査薬は尿中にhCG(ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン)が含まれているかどうかを判定するものです。その精度は99%以上といわれ、検査薬で陽性反応があった場合はほとんどが妊娠していると考えられます。
ですが、ホルモン剤の投与や不妊治療中などはhCG擬似物質が分泌される場合もありますので、まれに妊娠していなくても陽性反応が出る場合があります。また、生理の周期が不規則な場合や異常妊娠(子宮外妊娠など)では、妊娠していても結果が陰性という場合もありますので、100%ということではありません。

>>男が学ぶ妊娠シリーズ、今回は「妊娠検査薬」です! >>

男が学ぶ妊娠・出産シリーズ記事

§ 男が学ぶ妊娠  「つわり」って、なに?

§ 男が学ぶ出産 「帝王切開」って、なに?

§ 男が学ぶ出産 「出産予定日」って、いつ?

§ 男が学ぶ出産 産まれるサインってあるの?

§ 男が学ぶ妊娠 「羊水」って、何?                    

茲夏☆美流紅ちゃんレポーター お互いに相手の、身体の事を学ぶ事が、気配り・気遣い・思いやりこそ、他人から始まる こころの絆が強くなって行くんではないでしょうか?