ビヴァリー・ケニー「二人でお茶を」ビヴァリー・ケニー ビヴァリー・ケニー

 「疲れ切っちゃったよ。可憐な女性ボーカルをお願い」

 カヴァ(カタルーニャ産発泡ワイン )を頼むついでにリクエストした。

 「心身ともに参ったときにはハードな音楽って言ってませんでした?」

 「それは若いころの話。30代までだったらディープ・パープル の《ハイウエイ・スター》を大音量で聴いたけど、いまは無理」

 マスターはCD棚の探索を始め、「最近発掘された音源なんですが」と言いながら白黒のジャケットを差し出した。ビヴァリー・ケニー。長くしなやかな腕とやさしい瞳が印象的だ。

 アルバム名は『スナッグルド・オン・ユア・ショルダー』(1954年頃録音)。デビュー前の彼女がピアノの伴奏だけで歌ったデモテープを起こした作品だ。

 清楚でチャーミングな容貌。聴く者をやわらかく包む可憐な声質。将来を嘱望された人だったが、1960年に28歳で自殺した。

 冒頭の《二人でお茶を 》はヴァースから始める。何てかわいいんだろう。スローなテンポで軽く崩したフレージング。ビリー・ホリデイ の影響も感じられる。

 「シアワセダナア 」と言うと、マスターは黙ったまま空になったグラスにカヴァをついでくれた。

デクスター・ゴードン 「ダディ・プレイズ・ザ・ホーン」  秋になると決まって聴きたくなるのが《ニューヨークの秋》である。ヴァーノン・デューク が1934年につくった佳曲だ。

 常連がカウンターを埋めた夜、「紅葉のセントラルパークを歩きたい」とのK氏の言葉がきっかけとなって、数ある録音の中から何を選ぶかが話題となった。

 40代のA氏が「チャーリー・パーカー(アルトサックス)がビッグバンドをバックに吹いたやつで決まりでしょう」と口火を切る。

 「ボーカルなら熟女の魅力のジョー・スタッフォード 」と30代のN氏。

 「若いのに古いのが好きだな。ボーカルならメル・トーメ の粋な歌に尽きる」と50代のM氏がN氏をつぶしにかかる。

 「私はケニー・ドーハム (トランペット)がカフェ・ボヘミアでやったもの。マスターは何を選ぶ」。60代のI氏がバランタインの水割りを飲みながら言う。

 マスターが取り出したのはデクスター・ゴードン の『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』(1955年録音)。テナーサックスの太い線がゆったりと情景と心情を描く。シンプルだが深いリリシズムをたたえた演奏だ。

 「マスター、大人だね」

とI氏。マスターは照れを隠すように「お代わりはどうですか」と言った。

コニー・エヴィンソン コニー・エヴィンソン「サム・キャッツ・ノウ」(1999年録音) コニー・エヴィンソン「サム・キャッツ・ノウ」(1999年録音)

 ■「オール・ザ・シングス・ユー・アー

 昼下がりのジャズバー「G」。サンダル履きで毎日顔を出す業界紙編集長のF氏がコーヒーを飲みながら言った。

 「死んだ人ばかりじゃだめだよ。いま活動している人を聴かなきゃ」

 「そうは思いますが、1950年代後半の作品を聴くだけで精いっぱい。まあ、生で聴いてみたい歌手がいないわけじゃないですが」

 「じゃあ持ってきなよ」

 そんな事情で自宅から持ってきたのがコニー・エヴィンソンの『サム・キャッツ・ノウ』(1999年録音)である。

 彼女、キュートで伸びやかな声を実にうまくコントロールする。スキャット も粋にこなしスウィング 感も申し分ない。顔はというと猫のようにチャーミング。F氏が彼女を否定したらもう話し合う余地はない。

 「声の質は弘田三枝子 に似ているかな。いや違う、だれにも似ていない」

 そう言うとF氏は英文のライナーノート を読み始めた。

 《オール・ザ・シングス・ユー・アー 》が流れ出す。音域が広く半音を多用した格調高い難曲。彼女は格調をたもちながら気持ちよくスウィング する。

 「うまいでしょう」。思わず口にすると、苦虫をかみつぶしたようなF氏の顔がかすかにゆるんだ。

J・J・ジョンソン「ティー・ポット」  

 隣り合わせた60代の紳士と話が弾んだ。

 「私も昔は楽器をやっていたんですよ」

 「トロンボーンじゃないですか」

 「どうして分かるの」

 「クレージーキャッツ のメンバーに当てはめればいいんです」

 紳士は体形と雰囲気が谷啓に通じるところがあったのだ。親分肌でがっしりしていればハナ肇のドラムス、ひょろっと背が高く実直だったら犬塚弘 のベース、普通の体形で目端が利く感じなら植木等 のギターという具合。

 「なるほど。ひさしぶりにJ.J.ジョンソン を聴きたくなったなあ。マスター、何かかけてくれよ」

 流れ出したのは『ダイアルJ.J.5』(1957年録音)。冒頭は《ティー・ポット》。エルヴィン・ジョーンズ の猛烈なシンバルに乗って、ジョンソン が急速調の演奏を繰り広げる。コントロールの難しいトロンボーンをやすやすと操り、その音は温かで魂がこもっている。

 「ところで、あなたは何か楽器をやるの」  「ええ、多少」

 紳士はクレージーキャッツ の法則で答えを導き出そうとしているようだが、その作業はとても難航しているように見えた。

エラ・フィッツジェラルドエラ・アット・ジ・オペラ・ハウス エラ・アット・ジ・オペラ・ハウス

 

イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー

 「自分が生を受けたそのとき、世界ではどんな音楽が鳴っていたんだろう-こんなことを考えたことはありませんか」

 最近気に入っているザ・グレンリベットを飲みながらマスターに話しかけた。

 「誕生日はいつでした」

 「1957年9月28日」

 「へえ、9月28日ってマイルス・デイヴィス の命日じゃないですか。確か1991年。で、1957年といえばマイルスが映画『死刑台のエレベーター 』のサウンドトラックを録音するためにパリに渡った年でしょう」

 そう言いながらマスターはCDを取り出しライナーノートを眺めた。

 「残念、12月でした」

 「一番近かったのがエラ・フィッツジェラルド の『エラ・アット・ジ・オペラ・ハウス 』。これが9月29日でした」

 「いいアルバムですね」

 そう言って、マスターはCDを探し始めた。

 《イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー 》が流れ出す。オスカー・ピーターソン・トリオをバックに40歳のエラが快調に歌う。うまい。抜群のスピード感と安定感。声には初々しさが残り、嫌みがなくチャーミングさもたっぷり。

 「1日なんて誤差。これを人生の入場曲にしたらどうですか」。マスターはこともなげに言ったケニー・バレル「ミッドナイト・ブルー」2008.7.7 08:10 ミッドナイト・ブルー ミッドナイト・ブルー

 ジャズバー「G」に通い始めたころ、マスターに伝えた。「ケニー・バレル の『ミッドナイト・ブルー』(1963年録音)だけはかけないで」と。

 25年前、失業者 だった。夜通し安酒をなめながらジャズを聴き、届けられた朝刊の求人情報を眺めてから寝るという自堕落な日々を半年ほど送っていた。

 「でね、『ミッドナイト・ブルー』を聴くと必ず嫌なことが起きたんですよ」

 「どんなことが?」

 「言いたくない」

 「何にせよ、バレルのせいじゃない。自堕落な生活そのものが招いたんですよ。どうです、試しに聴いてみませんか」

 「いや、遠慮する」

 あの会話から1年数カ月。フォアローゼズ のソーダ割りを飲んでいると、隣の客が『ミッドナイト・ブルー』をリクエストした。

 (かけますよ)と目で伝えるマスターに、(どうぞ)と目で答える。

 やはりタイトル曲がいい。バレルのブルージーなギターはハンフリー・ボガート のように粋でハードボイルドだ。テクニックをひけらかすことなく、自分の心に正直に歌う。それがこちらの心を心地よく刺激する。

 店を出るときマスターが言った。「十分に気をつけて帰ってください」。さて、不運はバレルのせいか、それとも...。