聞いてビックリ 「あの世」の仕組み ‥ 1 | inca rose*のブログ

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◆あの世に着いて感じるこの世との違い7週間のうちにさまざまなことがわかる

光の衣に導かれて、あの世に着いたら、その後はなにが待っているのでしょう。不思議な世界の方がおっしゃるには、肉体をなくして、こちらの世界に来たことを受け入れるのに、多少の時間は必要とのことです。
着いたばかりは、生前の肉体の感覚が完全には消えておらず、まだ身体があるような錯覚があると言います。五感も完全に消え去ってはいないのですが、味覚と嗅覚はだれもが生前と同じような感覚で残り続けているようです。

思考もすぐに切り替えられる人は少なく、心の整理がついてない人も多く見受けられます。肉体がないだけで、生前の続きをしばらくはしている感覚のようです。やがて、肉体がないことを理解し始めると、周りのことも少しずつ見えてきます。

まず、あの世とこの世とでは、時間の流れが異なることに気づきます。肉体がないので、歳をとる感覚がないということも、わりとすんなりと受け入れられます。肉体がない意味を考えるようになり、欲が減り始めていることに気づきます。一方で生前、物に対する執着心が強かった人は、自分の持ち物に対する気持ちが呼び戻されたりすることもありますが、身体がないから物は必要がないのだと、葛藤を繰り返しながら気づいていきます。

あの世に着いて7週間くらい経つと、次の感覚が芽生えてきます。あの世で過ごすための準備が整うのがこのころです。
まず、睡眠がとれるようになります。この睡眠は、この世での眠る感覚とは違い、まったく記憶に残らない空白の時間が訪れるといったものです。生前の感覚で言う睡眠時間はまちまちで、数時間で目覚める人もいれば、数年眠り続けている人もいるようです。

あの世では、自分の人生をすべて振り返ることをしなければなりません。それがだれもがやらなければならないことであり、さらに先に進むために必要だからです。その振り返り、見つめ直しが、どこまで進んでいるかが、睡眠によってわかるようです。
肉体感覚は、味覚と嗅覚を残してほとんどなくなります。それまで感じていると思っていた気温も、感じなくなります。

日が昇り、日が沈むという一日の流れのなかで過ごしていないことが、受け入れられていきます。7週間、49日間がひとつの目安になっているようです。仏教で四十九日と言えば大切な法要のひとつ。四十九日を過ぎて、やっと亡くなった人は次へと向かうのです。昔の人は、こういったことがわかっていて、教えとしたのではないかと私は思います。



◆あの世で行う人生の振り返り  言い訳のできない世界が待っている

あの世で、だれもがやらなければいけないことは、この世での人生のすべての振り返りです。良いことも悪いこともすべて、包み隠さずに顧みなければなりません。あの世では、人生の真実を、映像として何度も繰り返し見せられます。

よく、死の間際に「走馬燈のようにそれまでの人生が浮かんだ」という話を聞きますが、これは、潜在意識のなかに仕舞い込まれた、あの世に進んでからやるべき振り返りを、無意識のうちに行っているのではないかと思われます。
また、死を迎える前に、なぜか写真やアルバムを整理したり、住所録をまとめたりすることがあるとも聞きますが、これもあの世で行う人生を顧みる準備を無意識のうちにしているのかもしれません。

人生の振り返りは、一部の人には、とてつもない苦行となります。というのも、繰り返し見せられるのは真実のみ。言い訳のできない世界だからです。
人に対してひどい仕打ちをして、そのことを後悔したまま、あの世に来たとします。すると、その後悔をひたすら繰り返し見せられるのです。

自分ではわかっていなくても、知らないところで人を傷つけるような行為をしていたとしたら、それが繰り返されます。
例えば、オレオレ詐欺に関与していた人がいたとしましょう。自分は主犯者ではなく、言われるままにお年寄りからお金を受け取って、そのお金を渡しただけで、直接手をくだしてはないと言い訳をしたとします。

でも、人生の振り返りで見せられるのは、すべての真実です。全体像が見せられるのです。詐欺でお金を騙し取られて嘆き悲しむお年寄りの姿。それによって自殺をしてしまった人がいたとしたら、ひたすらその真実を見せられるのです。隠し事は、一切できません。

生前に行ってきた、嘘、偽り、強欲、傲慢、悪事、それによって傷つき悲しんだ人…それらが目の前に、無限ループのように繰り返されるのです。殺人を犯した人は、ひたすらそのシーンを見せられます。相手の痛み、悔しさ、無念さなども、自らのことのように感じ取ります。自殺をした人は、その行為と自らの後悔が何度も繰り返されます。

私は、不思議な世界の方にこの話を聞いたときに、閻魔さまは自分なんだと思いました。
あの世で、人生のすべてを振り返るというのは、自分で自分の生き方を顧みて、そして判断するということ。この世に生きていて、自分の人生のなかで行ってきた良いこと悪いこと、すべてを知っているのは自分自身です。また、自分で知らないところで人を陥れていたとしたら、自覚が足りなかったと理解しなければなりません。裁くのは、閻魔さまではなく自分自身なのです。それが、あの世で行わなければならない重要なことのひとつなのです。

多くの人を騙して、自分は大金持ちになった人がいるとします。その人が見せられるのは、お金を得たことではなく、さんざん苦しめた人たちの状況や思いです。
いじめを知っていて、見ないふりをしていたとします。その人が見せられるのは、いじめられた人の苦しみ、助けてほしかったのになにもしてくれなかった周りの人たち、そしてなによりもあなた自身の後悔の思いです。

「知らなかった」と言い訳できるのでしょうか。不思議な世界の方によると、あの世にはすべての真実が記録されているところがあるそうです。ですから、隠し事、言い訳はできないのです。後悔の念を持ったままや、罪の意識を抱えたまま亡くなられた場合は、何度も繰り返される無限ループから抜け出すことができません。まさに無間地獄。この世での生き方が、あの世での過ごし方に大きな影響を及ぼしていることがよくわかります。もちろん、善行を数多く行ってきた人にとっては、天国であることは間違いないと不思議な世界の方はおっしゃいます。














『聞いてビックリ   「あの世」の仕組み』
著 . 松原 照子

から抜粋。