永遠の別世界をかいま見る 臨死共有体験 ‥ 2 | inca rose*のブログ

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5 . 人生回顧を共にする

また臨死共有体験には、死んだ人と「人生回顧を共にする」「人生回顧を共有する」という、目を見張る体験が含まれることが多い。地上で歩んできた全人生を、パノラマを見るように共にき概観したり、とくに重要な場面だけを回顧させられたりする。
近年の臨死体験研究協会の調査によれば、通常の臨死体験者たちの約23%が人生回顧の場面を経験したとしている。以下はみな、そうした人生回顧の典型的な例である。


「私が病室で体外離脱すると、やがて私の目の前に、自分の人生の回顧が始まりました。私は教育にたずさわり、多くの人を教えるようになると告げられました。そして今まさに私はその仕事をしています」(スティーブ、62歳、心筋梗塞患者)

「私はそのとき、自分の人生の良かった点だけでなく、失敗や間違っていた点なども見せられました」(ジェンナ、56歳、自動車事故)

これらは通常の臨死体験中の人生回顧だが、そうしたものと、臨死共有体験中の人生回顧は異なる面を持っている。というのは、死にゆく人に付き添うなどしているときに人生回顧をした人々自身は、臨死状態にないということである。にもかかわらず、死にゆく人の人生回顧の場面を共有する。
そうした臨死共有体験中の人生回顧を言葉で言い表すなら、こんな感じになる。

「私は、亡くなったばかりの夫と共に、大きなスクリーンのようなものの前に立っていました。すると夫の過去の人生がそこに映し出されたのです。幾つかの場面は、私がそれまで全く知らないものでした」

たとえば、かつてサン・ディエゴのある女性が、10代の息子の病床で起こったことを私に話してくれたことがある。息子は、糖尿病の合併症のために死にかかっていた。息子が死んだとき、彼女はその病床の周囲に展開された息子の人生の各場面を見た。彼女によれば、映画のように展開されるその各場面のただ中には、自分も立っているように感じたという。
以下は彼女自身の記述である。それを読むことにより、臨死共有体験において、個人の人生回顧が他の出来事といかに関わるかということについて、理解しやすくなるのではないかと思う。

「私の15歳になる息子が亡くなったとき、私は病室で息子と共にいました。息子は小さいときから糖尿病をわずらい、その重荷を背負ってきました。その世話もあって、私はいつも息子と一緒に生きてきました。
息子が息を引き取ったとき、私はその手をにぎっていました。そのとき命が息子から出るのが感じられました。電気の流れのようにと言ったらいいでしょうか、あるいは脈打つ感じで出た、と言ったほうがいいかもしれません。

部屋は、一瞬にしてすべてが形を変えて見えました。また一転してその病室に強い光が満ちました。その光は、自分で見たことのない人には到底想像もつかないような、明るい光でした。
病床の周辺に、息子がその短い人生でなした様々な事柄が、映像のようになって現れました。息子はそれらの映像を見ていました。喜びの表情を浮かべながら。

これは他の人には理解できないことかもしれませんが、私には息子を失う悲しみがあったと共に、息子が糖尿病の苦しみから今や解放されたという喜びもありました。それはすべて息子の時だった。それがそのときの私の感情です。
私は、キリストが来られて、息子を肉体から離していくのを見たのです。
息子が体から離脱して、あのまばゆい光の中に入ったのが見えました。光の中で、息子と私は人生回顧の映像に接しました。細かな事柄に至るまでです。

私が長く忘れていたような場面や、私が全く知らなかった場面も多くありました。
周囲の光、また彼の人生を照らしていた光は、キリストでした。そのことまでは私にもわかりました。しかしそのかたをキリストと呼ぶ、呼ばない、またキリストだとわかる、わからないにかかわらず、誰もがそこでのその愛を感じ、満たされるのだと思いました。

その人生回顧は、閃光のように、あるいは放電のような感じで次々に展開していきました。それは言葉ではうまく表現できない、言語に絶するものでした。
そのとき私は40歳でした。今は62歳です。しかしあの体験以来、あたかもすでに100年は生きたような感覚です。それを悲しく思っているのではなく、知恵の面で100年分は成長した感じなのです。ソクラテスは、
『知恵とは、あなたが知らないということを知ることだ』(無知の知)
と言いましたが、私はまさにそうなのだと感じています。

息子の人生や、私との関わりの幾つかの場面では、ときに一種のボカシが入りました。ちょうどテレビなどで、顔を見せたくない人の顔にボカシが入ったりするのに、似ていました。その隠された部分に悪いものがあった。という感じではありません。単に映し出す必要がない、という感じでした。

私が死ぬとき、また息子に再会するときには、きっともっと多くのことを知るようになると思います。それまでは、たとえわからないことがあってもこの地上にいて、他者を愛し仕えつつ、人生を歩むのが私の務めであると思っています」


6 . 天的な領域に入る

通常の臨死体験においても、天的な領域に入ったということが、よく証言の中で聞かれる。
近年の研究によれば、臨死体験者のうち約50%の人々は、天的な世界に入った、あるいは地上界とは異なる領域に入ったと証言している。
彼らが見たその世界を、言葉で表現してくださいと頼むと、彼らの答えは驚くほど似通っている。その幾つかをここに紹介するが、それらは臨死体験中に見えた世界と、臨死共有体験中に見えた世界を比較する上で、役に立つと思う。

「私は、非常に明るいトンネルの中を歩いていました。光しか見えませんでした。足がどこに着地しているのかもわかりませんでしたが、確かな足どりで歩いていました。やがて光のトンネルを抜けて見えた世界は、この上なく美しい丘のような所でした。
やわらかに波打つ山々も見えました。空は透き通るように青く、緑の丘と、遠くの大きな木々も見えました。そのような世界を見るのは全く初めてでした」(ニューヨーク市を歩行中に心臓発作を起こして倒れた男性)

「完璧なまでの草花と色彩がありました。それをこの世の言葉で表現するのは困難です。それは、私たちがこの世界で見てきたすべての色ーー緑、赤、青、その他がみな色あせて見えるほど、完璧なものでした。
景色の背後から音楽が聞こえました。今まで聞いたことのないような音楽です。それは澄んでいて、深く、私の耳からというよりは、別の仕方で私の内に入って来ました」(交通事故で死にかけた女性)

「私は大きな丘を登り、その頂上に来ると、遠くに街並みが見えました。空気は澄んでいて、街並みはまるでダイヤモンドの集まりのように見えました。街並みが発する光で、街全体がきらきら輝いていたのです」(おぼれかけた子ども)

臨死体験者たちがこうした天的領域について話すとき、彼らはよく「パラダイス」「清い」「澄み渡った」「天国」といった表現を用いる。じつは、臨死体験を周囲で共にした臨死共有体験者らも同様なのである。

その一例として、メイン州のある医師が語ってくれたものを、ご紹介しよう。医師は、二人の友人マーサとキャサリンに起こった出来事を、私に語ってくれた。
マーサは、心不全のために入院していて、その心臓は肥大化し、死の危険の中にあった。医師はマーサに対し、できるだけ配慮しながらも明確に、「あなたはいつ死んでもおかしくない」と告げた。

すると驚いたことに、メイン(州)魂の持ち主であった彼女はこう言った。
「死ぬのはかまいません。備えはできています。行くなら早く行きたいわ」
マーサの友人キャサリンは、病院に来て、マーサの病室で付き添った。マーサの臨終の時が近くなると、キャサリンはマーサのベッドに入り込み、マーサを抱きながら添い寝した。ほどなくして、マーサの心臓は止まった。

キャサリンはマーサの死の瞬間に、大きなエネルギーの動きを感じたという。キャサリンは反射的に、マーサの胸を抱きしめた。すると心臓が再び動き出したのだ。キャサリンの努力が実り、マーサは生き返ったが、そのときマーサはキャサリンに対して怒った。
「行くつもりだったのに! あなたはベッドから出て、私をそのままにして!」
キャサリンはベッドから出て、ベッドわきの椅子に腰かけた。彼女は、つぎにマーサの心臓が止まったときには、もうそのままにすると約束した。

1時間も経たないうちに、マーサの息が不安定になった。注意深く息を聞いていると、マーサの呼吸はほとんど止まったようだった。キャサリンはさらに近づいて、聞き耳を立てた。すると自分の耳の中で、何かのざわめきが聞こえ始めた。それは次第に大きくなっていき、気づいたときには、キャサリンは体外離脱していた。…













『永遠の別世界をかいま見る     臨死共有体験』
著 . レイモンド・ムーディ/ポール・ペリー

から抜粋。