永遠の別世界をかいま見る 臨死共有体験 ‥ 1 | inca rose*のブログ

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◆臨死共有体験に特徴的な7つの要素

人は様々な原因で死ぬ。様々な死の状況がある。たとえば、兵士は戦場で仲間の死を看取ることがあるし、娘は病床で母の死を看取ることがある。また道路上で猛スピードの車にはねられて、見知らぬ人が死ぬ光景を目撃する場合もあるだろう。

しかし状況がどうであれ、臨死共有体験の諸要素は、どの場合にも顔を出す。
これは理解できることである。事実上すべての複雑な事象は、たとえそれが自然界のことであれ形而上的なことであれ、諸要素が集まってできているからだ。諸要素が、ジグソーパズルのように集まって、全体を形成している。

私は臨死共有体験には、とりわけ7つの要素があると見ている。ただし、一人がそれらすべての要素を経験する場合は少ない。多くの場合、人はそれらのうち幾つかを経験する。一つだけの場合もある。
これまで私は、臨死共有体験をした人から多くの証言を集めてきたが、それら7つの要素すべてを語る人に出会ったことは、まだない。

ときには、体外離脱は数秒や数十秒間で終わることもあるし、人生回顧も、長いときもあれば短いときもある。すべての霊的体験には多様性がある。しかし明らかなことは、体験の長さにかかわらず、それは人を変えてしまう力があることだ。つまり霊的な世界をちょっとかいま見ただけで、「愛する者は死去を通して単に別の世界へ旅立ったにすぎない」という確信を抱かせるに充分なのである。

もちろん、愛する者の死を看取る人のすべてが、こうした臨死共有体験をするわけではない。けれども、私が確信を持ってはっきり言えることは、第三者の死に接した人々のうち少なくとも何パーセントかにあたる人々が、非常に霊的・神秘的な何らかの体験を告白しているという事実である。ちょうど赤ちゃんの誕生が人々に喜びをもらたすように、それらの体験は大きな喜びと愛と幸福をもたらす。
つぎに、臨死共有体験の諸要素について、一つ一つみてみよう。



1 . 空間が変容して見える

臨死共有体験にみられるこの要素を、言葉で表すのはなかなか難しい。というのは空間の変容といっても、様々な形への変容があるからである。またこの要素は、通常の臨死体験にはみられない。
たとえば、兄の臨終の床に付き添っていたある女性は、自分のいた四角い部屋が、まるで「別の形に変容した」ように見えたという。数学の教師をしているある男性も、「まるで部屋が崩落と膨張を同時になしたように見えました。あたかも代替の幾何形態を目撃したような感じでした」と語る。

多くの人にとって、この空間の変容は、単に部屋が形を変えて見えることである。しかし一方、単に形を変えて見えただけでなく、「別次元」の扉が開くのが見えたという人もいる。
この「別次元」という言葉は、他にも様々な言葉で言い表されている。ある人々は、部屋に「時間のない世界」への扉が開いた、という表現を使う。ある女性は、「霊たちのほうからは私たちを見ることができるが、こちらからは彼らを見ることができない」ような状況を感じたともいう。

もしこれらの表現をまとめるとすれば、どう言ったらいいだろう。たとえば、「死の際にある種の出入り口がポンと開き、より高き異次元の世界へ導く」と言ったらいいだろうか。


2 . 神秘的な光を見る

通常の臨死体験について学んだかたは、臨死体験の重要な要素として、「光の体験」と呼ばれるものがあるのを知っておられることだろう。死にゆく人が神秘的な光に包まれる。その光には何かの実体がともない、あたかも流体であるかのようなときもある。
メヴィン・モース博士が調べた患者の一人は、
「私はその光が好きでした。そこにはすべての良きものがあるように感じられたのです」
と述べている。

同様な光は、じつは臨死体験の共有現象を経験した人々も見ている。
その光は「水晶のような光」と呼ばれたり、「清さと愛と平安を発する光」と表現されることもある。ある人々はまた、この光はそうした清さや愛や平安を脈々と伝えるとともに、それに深さと真剣さが感じられたという。
これは、通常の物理的な光ではない。それは人の知恵と霊的成長をうながす光であり、神秘的な光である。

ある女性はこの光を、こう表現している。
「母が亡くなったとき、そこにいた誰もが、部屋が『天使的な光』に満ちているのを見ました」
別の女性は、10代の息子の死を腕の中で看取ったとき、こう述べている。
「光を目撃したことは、あたかも雲の中へ自分が引き上げられたかのような感覚でした」

また妻の死を看取ったある男性はこう述べている。
「部屋の中が、まばゆいほど光り輝きました。自分のまぶたを閉じても、光を妨げないほどまばゆかったのです。しかしその光は快い光でもありました。光の中に私は妻を感じることができたからです。彼女は肉体的には死んでしまったとはいえ、霊において彼女は私と共にいたのです」

臨死体験だけでなく、臨死共有体験をした人々にとっても、光の経験は決定的な影響を及ぼしているようだ。それを断言するのは、たとえ早過ぎるとしても、さらなる研究がそれに答えを出してくれることだろう。また他の疑問にも。

私自身は自分が耳にした証言の数々に基づき、「光」は、生きながらにして臨死共有体験をした人々においても決定的な影響を及ぼしていると、感じている。臨死共有体験中に光を見た、と私に語ったほとんどすべての人々が、それは人生に良い影響を与えたと述べている。体験の直後においても、何年か経った後においてもである。

光を見た記憶がそうさせるのか、あるいは光を見たこと自体が身体的/霊的変化を引き起こすのか、いずれにしても、多くの人は光に対し、つぎにみるメリーランド州のシャロン・ネルソンのような応答の仕方をする。彼女は、自身の姉の臨終の際に見た光と、その永続的な影響について、私に次のように語ってくれた。

「10年ほど前、私の好きだった姉が、がんのために自宅の部屋で最期の日々を過ごしていました。家には私と、妹、また義理の兄もいました。姉が世を去る1週間ほど前のこと、明るく白い光が部屋を包み込みました。全員がその光を見ました。以来、光はずっと私たちと共にあるのですが、そのとき部屋の中に強い愛と、他者との絆を感じたのです。

『他者』とは、単にそこにいる家族たちだけでなく、見えないがその存在を感じた『魂たち』も含まれています。私自身は白い光しか見ていません。しかしあのとき光は、
『この家も、これらの物もみな本当ではないんだよ』
と言ったように思えて、以来私は何年もそれを続けてきました。どうしてそう言ったと思ったのか、わかりませんでしたが、今になってわかりました。

じつはあのとき、姉が死の際に体験していたことを、私も体験していたのです!
何ということでしょう。その衝撃がどんなものだったか、言葉では到底言い表せません。私が考えもしなかったことでした。光が与えてくれた知恵と平安は、私を去ることがないのです」

こうした証言などにより私は、臨死共有体験で見られた「光」、およびその光の中に感じられたすべてのものは、体験者たちに永続的な良い影響を与えているとみている。本当にそうか否かは、さらなる研究が明らかにすることだろう。


3 .音楽が聞こえる

臨死共有体験には、音楽を聞いたという証言がよく聞かれる。死につつある者も、またそばで付き添う者も、同時にその音色を聞くことがある。多くの人が音楽を聞いたという場合もある。


4 . 体外離脱する

体外離脱は、臨死共有体験を経験した人がよく口にすることである。体験者は、自分が肉体から離れたというそのとき、自分が上方に移動し、自分の体とその周囲にあるすべてのものをよく観察できる位置に移された、という強い感覚を抱く。

臨死共有体験は、多くの場合、天井不思議なエネルギーのうねりを感じたり、轟音を聞いたりすることに始まる。体験者はその直後に、自分が上空の別の位置から、自分の体とその周辺を見おろしていることに気づくのである。
多くの場合、天井の近くから、あるいは上空何メートルかの位置から見おろすことになる。そしてその位置から、死につつある人と、自分との関わりなどをながめることができる。

その典型的な実例を、私は、ジョージア州キャロルトンに住む44歳の女性から聞いた。彼女は、その腕の中で父が死んだとき、なにかのエネルギーのうねりを感じたという。彼女はまたある種の轟音を聞いたが、それはしだいにジェットエンジンの回転が速くなるときのように速く、強くなっていった。彼女は言う。

「そのとき私は自分の体から抜け出たのです。すると、父におおいかぶさりながら、呆然とその死を見ている自分の姿が見えました。父の手をにぎり、やさしく微笑みながら見つめている自分が見えました。またそうした光景に混ざって、私の小さい頃のイメージが浮かび上がりました。あたかも解説つきの家族ドキュメンタリーを見ているように、映像が目の前に展開したのです。光は非常に明るくなっていき、そののち消えました。すると私は肉体に戻っていたのです。私は父の手をにぎっていました」

このように、付き添っている人までもが体外離脱することがある。そして体外離脱した人は、そこで一人でないこともある。死んだばかりの人と一緒に、空中で浮遊するのだ。その空中で会う死者は、多くの場合、若い姿に見える。さらに、より幸福な表情をしている。
付き添いながら共有体験をした人は、死者のその姿を見て、「いまやこの人は肉体を離れ、苦痛から解放されて喜んでいる。また存在の次の段階への期待で喜んでいるのだ」という感覚を抱く。

たとえば、かつて私がニュージャージー州フォートディックスで陸軍基地の医師たちに公演した際、ある軍曹が近づいて来て、注目すべき経験を語ってくれた。その内容については、彼を診た医師たちも、その通りだったと述べている。

「私は、ひどい心臓疾患のために、死にかかっていました。そのとき、同じ病院の別の病棟に入院している私の姉も、糖尿病のために死にかかっていて、昏睡状態にありました。
私は体外離脱し、部屋の天井の端あたりから、私の体の周辺にいる医師たちの働きなどを下にながめました。突然、私のとなりに姉が現われ、姉と会話することができたのです。
私たちは、下で行なわれている医療などについて、空中で素晴らしい会話を交わしました。私は姉に深い愛着を感じたのですが、そののち姉は私から去って行きました。私は姉に、ついて行こうとしました。しかし、

『来ては行けない。まだあなたの時ではない』
と彼女は言うのです。
姉はそう言い続けながら、トンネルの向こう側へと去って行き、私はひとりそこに残されました。私が目覚めたとき、私は周囲の医者に、
『姉が亡くなりました』
と言いました。医者は『亡くなってはいないよ』と言いましたが、私が強く主張したので、看護師をそこへ見に行かせました。実際、姉は死んでいました。私がすでに知っていた通りだったのです」

この軍曹は明確に体外離脱を経験したが、すべての臨死共有体験者のうち一体何%くらいの人が、体外離脱を経験しているだろうか。そのはっきりした数字はまだ出ていない。
しかし体外離脱は、通常の臨死体験においては最もよく見られる現象である。臨死体験研究協会(NDERF)のジェフリー・ロング医学博士の研究によれば、調査対象となった臨死体験者のうち75%以上の人々が、「臨死状態のとき自分が肉体から離脱する経験をしましたか」の問いに「はい」と答えている。














『永遠の別世界をかいま見る     臨死共有体験』
著 . レイモンド・ムーディ/ポール・ペリー

から抜粋。