臨死体験で明かされる宇宙の「遺言」 ‥ 3 | inca rose*のブログ

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◆青い肌を持つオロチ族との混血が日本人

私が臨死体験で見てきた日本の歴史では、日本に定着した人たちが農耕民族と狩猟民族にわかれて、それぞれの文化を築いていきました。そこに登場するのが、大陸からやってきたオロチ族です。彼らは青い肌をした人種でした。

最初、私が彼らを目にしたときは、体中に濃い入れ墨をしているのかと思いました。しかしよく見ると、皮膚自体が映画の『アバター』に出てくるような美しい青色でした。
彼らはバイカル湖の東側あたりにいた人種で、海流に乗って日本に到達したようです。ひじょうに知的レベルが高い人種でしたが、女性の生殖能力がきわめて低いという致命的な特徴がありました。というのも、彼らは大洪水前の高度な文明下において、特別につくられた人間である可能性があるからです。

そのため繁殖が制御されていたのかもしれません。彼らはほかの民族と混血しなければ、自らの子孫を残すことができませんでした。したがってオロチ族はほかの民族を襲って、女性を奪ってくるということを繰り返していたのです。
先住民にとっては、知能が高く、青い肌をしたオロチ族は大変恐ろしい存在でした。日本の各地に残る緑色の肌をしたカッパ伝説も、もしかしたらオロチ族を恐れた人々によってつくられたものなのかもしれません。

彼らが日本にやってきたのが五○○○年くらい前のことと臨死体験では見ました。オロチ族は定住していた農耕民族の村を襲っては、女性をさらっていきました。そんな光景が日本のあちこちで見受けられました。
そのオロチ族との戦いが、ヤマトタケルの「ヤマタノオロチ伝説」として残っているのではないでしょうか。

古代の日本人にとって、村を襲い、女性をさらっていくオロチ族は大蛇のように恐ろしい存在だったに違いありません。しかし長い年月を経て、日本人はオロチ族と混血していきます。日本も含め一部のアジア民族で、生まれたときお尻に青い斑(蒙古斑)があるのは、オロチ族との混血の名残だと思います。
混血することによってしか生き残れないオロチ族はやがて滅びてしまい、純粋のオロチ族はいなくなってしまいます。しかしその子孫はお尻に蒙古斑を持つ民族として、各地で定着していきます。

オロチ族が存在した証拠は、蒙古斑だけではありません。熊本の幣立神宮に残る「五色人祭」は青い肌のオロチ族が存在した何よりの証拠だと私は思っています。
幣立神宮は元伊勢神宮としてつくられた由緒あるおやしろですが、ここで五年に一度、「五色人祭」が開かれています。

赤、白、黄、黒、青の色をした人類の先祖が集まって、世界平和を願うのがこの祭の目的です。赤はインドや中東など赤褐色の肌を持つ人たち、白は白人、黄色は黄色人種、黒は黒人のことです。ではここに登場する青色の人種とは誰のことでしょうか。
世界中どこをさがしても「青色」に相当する人はいないのです。
私は臨死体験で、たしかに肌が青いオロチ族という人たちがいるのを見てきました。古くから行われているこの「五色人祭」こそ、オロチ族が存在した証拠だと私は思っているのですが、みなさんはどう考えるでしょうか。



◆考古学の常識をくつがえす高度な文明の数々

オロチ族と日本の原住民とが交配を繰り返していた時代に登場したのが、前にお話した須我さん、すなわち須佐之男命(スサノオノミコト)です。
私は二二歳の臨死体験のとき、過去に戻って一度須我さんの村を見ているのですが、中国での二度目、三度目の臨死体験のとき、もう一度過去に戻って須我さんの中に入ることができたので、村の様子がかなり詳しくわかりました。

須我さんは農業を中心にした村をつくり、時給自足の理想的な社会体制をつくりあげていました。時代的には縄文時代から弥生時代に入るあたりですが、私たちがイメージする縄文・弥生時代よりはるかに進んだ文明と精神性を持っていたといえます。

たとえば、須我さんの村では一○日ごとに、人々に食べ物を配るお祭りが開かれていました。収穫したものはいったん穀物庫に集めて保管し、祭りのときに人々に配るのですが、それまでは獣や虫の被害に合わないようにするために穀物を高床式の建物に保管していました。それがいまでいう神社のおやしろになったのではないかと思います。

また食べ物を配る人は、みなに平等に配分できるよう、特別な技量が必要とされました。そうした専門の技術は代々受け継がれ、その技術を持った専門家がおやしろに常駐したのだと思います。彼らがのちに神官になったのではないでしょうか。
さらに、この時代にはさまざまな道具も使いこなしていました。たとえば銅鐸と呼ばれる青銅器は、食べ物を正確に計るための重りに使っていたようです。

歴史の教科書などを見ると、弥生時代の銅鐸は楽器だったとか、祭祀に使う飾りだと説明されています。でも私が見てきた過去の世界では、明らかに重さをはかる道具に使っていました。
銅鐸の中は空洞になっています。そこに米などの穀物を入れ、弁のように量をはかっていたのです。銅鐸の開口部に蓋のように板をあてて、銅鐸をひっくり返して使っていました。
いずれ銅鐸とセットになった木の蓋が発見されれば、私の説が正しいことが証明されると思います。

おたまじゃくしの形をした勾玉も決して装飾具や祭祀に使われていたわけではありません。須我さんたちの村では勾玉を垂直につり下げ、測量の道具に使っていました。勾玉の先端に空いた穴にひもを通してぶら下げます。そして勾玉の地面にもっとも近い先端に印をつけておきます。別の場所で同じ勾玉をぶら下げて、その位置がずれていれば、地面は傾いていることになります。須我さんの村ではそうやって地面の傾きを調べ、測量に使っていたのを私はしっかり見ています。

さらに村の中に枡目を引き、碁盤の目のように整然と道や水路をつくっていました。どうやって正確に枡目をつくったのかというと、鏡を用いて線を確定していたのです。まず自分が線を引きたい方向に向かって、鏡で太陽の光を反射させます。向こう側にいる人は歩きながら反射光がピカッと光ったところを探し、棒を立てます。その場所と自分がいるところを結べば、正確な直線が引けるというわけです。

京都や奈良の見事な碁盤の目の街並みも、この方法が用いられたに違いありません。枡目をつくるには南北にのろしをあげて位置を決めたという説もあるようです。
でもどうでしょうか。私も実験したことがありますが、のろしだと煙が散らばったり、まっすぐ垂直に上がらなかったりして、正確な位置がつかめませんでした。レーザー光線ではありませんが、光を使って直線的に線を確定するのが、一番正確で簡単に碁盤の枡目をつくる方法です。

磐座(いわくら)も縄文人たちの優れた文明の一つです。古い磐座はたいてい山の上の祠やおやしろの中にあります。昔の人は山の上に基準となる石を置き、毎日太陽が昇る位置を調べて印をつけていきました。
そうやって一年間の記録をつけていったのが磐座です。磐座は暦だったというわけです。農耕民族にとっては、作物の種をいつまくのかはとても重要な問題です。磐座は今でいう気象台の役割をにない、人々に最適な栽培時期を教えていたのです。

また、磐座は通信の手段としても使われていたようです。大洪水のあとにテレパシーの回路を閉じてしまった人間は、遠くにいる仲間との通信手段がありませんでした。そこで考えられたのが、鏡を使った光通信です。磐座同士の間で鏡を反射させ、モールス信号のように光の合図を送るのです。私も実験してみましたが、磐座同士は光が届きやすい位置に意図的につくられていました。ですから鏡を反射させただけで、ピカッと光って見事に遠くの磐座まで光が届きました。

どこの磐座で実験しても同じ結果が出るので、古代の人たちは磐座で光を使って通信をしていたのは間違いありません。面白いことに磐座のある場所に行ってみると、近くに必ず携帯電話の電波塔が立っていました。通信が届きやすい場所は、いまも昔も変わらないのだな、とちょっとおかしくなりました。

なお須我さんの村は、私が二二歳で臨死体験に陥ったとき初めて見たものですが、そのときはあまりに膨大な意識にいっぺんにアクセスしてしまい、頭の中が整理できずに、ずっともやもやしていました。ところが中国で二度目、三度目の臨死体験ができたので、過去に戻ってはっきりとその様子を確かめてきたのです。
須我さんの村は狩猟民族に滅ぼされてしまうのですが、その経緯や、その後の邪馬台国の成立など、いまは見てきた歴史を次々と思い出し、実験の遺跡や伝承、書物と照らし合わせながら、私なりの検証を急いでいる最中です。



◆未来の医療は“細胞の周波数”を使って治療する

未来の病院ものぞいてきました。そこでは切ったり、縫ったりする外科的な治療はあまり行われていないようでした。かわりに私たちがMRIやCTスキャンを受けるときに入るようなドーム型の機器が治療に使われていたのです。
その人の一番健康なときの体のデータを記録したチップがあって、そのチップをドーム型の機器に挿入して、細胞の周波数を整える仕組みのようでした。たとえば肝臓が悪い人だったら、肝臓に向けて、その人の健康なときの肝臓の周波数で波動を与えてやると、細胞の周波数が整って、悪い肝臓が治っていくという仕組みです。

これは「波動医療」というやり方で、かつては「手当て」という方法で行われていたものと同じ原理です。幹部に手を当てると、その部分が熱くなったように感じられます。これは手から周波数が出て(これを「気」とか「波動」という言い方をすることもあります)、悪いところを治すという原始的な方法です。しかし原始的だと思われていたこの方法が、じつは一番生体の仕組みに合った効果のあるものだったわけです。ただし私が見てきたのは「こういうものがある」という機器の形だけで、原理までは詳しくわかりませんでした。生き返ってから、どういう原理と仕組みで動いているのだろうかと考えながら、少しずつ点と点をつないでいる状態です。

私が五次元空間から三次元空間に戻ってときに漏斗状の中で聞いた不思議な音の周波数は、意識が物質化するときのものではないでしょうか。「木内鶴彦」の意識が「木内鶴彦」という肉体となって物質化するときに、固有の周波数に共鳴して元素が結びつく。その周波数こそが、意識を物質化する母なる音に違いないのです。

さて、人間の体を考えてみましょう。人間の細胞も元素でできています。つまり振動し、周波数を出しているわけです。肝臓の細胞は肝臓の細胞を構成する元素の周波数を出しています。心臓の細胞は肝臓の細胞とは形が違うので、肝臓の周波数とは異なる心臓固有の周波数を出しているはずです。このように人間の体はそれぞれの部位や細胞の働きによって異なる周波数を出しているわけです。

さらに同じ肝臓でも、個人個人で身長や体重が異なりますから、細胞の数は同じでも、大きさや形は違います。つまり周波数が微妙に違ってくるわけです。よく私たちは「波長が合う」という言い方をします。文字通り、体の細胞が発する周波数がうまく共鳴する人と、共鳴しない人がいるのではないでしょうか。「この人のそばにいると具合が悪くなる」とか「なぜかイライラしてしまう」というのは、きっとお互いの細胞の周波数が合っていないからだと思います。

未来の医療はこの細胞の周波数を利用しているのです。私が未来の医療で見てきたチップのようなものも、健康なときの細胞の周波数を記録したもので間違いないと思います。
体に悪いところが生じるのは、細胞の周波数が乱れているからです。ですから体に悪いところが生じたら、まずは健康なときのその人の細胞の周波数を幹部に当ててみる。細胞が共鳴して、周波数が正常に戻れば、悪いところも治るという理屈です。

私は自分の体を使って、このことを実験してみました。自分の右足をわざと水虫菌に感染させ、周波数を当てて治してみようと思ったのです。周波数を増幅させるため、アクリル板を用意しました。
そして水虫菌に感染した右足の前にアクリル板をかざし、アクリル板の後ろからさまざまな周波数を当ててみたのです。いちおう、皮膚の表面の細胞の大きさと、そこから類推できる元素の振動数と周波数を計算し、実験してみました。

一週間くらいかけて、いろいろな周波数を当ててみたところ、薬も何も使わずに、ものの見事に水虫が消えました。水虫はしつこいと聞いていましたから、たった一週間で完治したのは驚きです。
周波数に共鳴した皮膚の細胞が正常な振動数に戻り、逆に水虫菌にとっては嫌な周波数を浴び続けるという環境になったため、水虫菌が死滅したのではないかと思います。













『臨死体験で明かされる宇宙の「遺言」』
著 . 木内 鶴彦

から抜粋。