死んだ後には続きがあるのか ‥ 2 | inca rose*のブログ

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10     ライフ・レビュー(人生の回顧と反省)

欧米の臨死体験者にとって、死後の世界で体験した様々な出来事のなかで最も多いインパクトを残すのが、ライフ・レビュー。生前の人生の回顧と反省会というイベントだ。ライフ・レビューでは、死後の世界の案内役として付き添ってくれている故人、または天使や神様のような存在の前で、生前の自分の行動のすべてを、記録映画のように見せられるか、再体験させられる。

このライフ・レビューがユニークなのは、視点の違いだ。自分だけではなく、その出来事に関わった相手、周囲の人々の立場からも、すべての出来事を体験し、他人が味わった感情も生々しく体験させられるのだ。
多角的な視点で自分の人生を見直すことで、人生の意味が分かった、大きな悟りがひらけた、という記憶は、ライフ・レビューを体験した人のほぼ全員に共通している。
臨死体験は、このライフ・レビューを経て、生前の自分の言動がいかに自己中心的なものであったかを知る。自分が意図したか否かにかかわらず、自分の言動がどれだけ相手を傷つけ、周囲にも悪影響を与えていたかに気づき、深く反省する。

ライフ・レビューの体験者は、自分の人生が富や物質欲に取りつかれていたこと、自分の利己的な行動が、実は失敗することへの不安や恐れに突き動かされたものだったことを自覚し、反省する。欲や恐れに突き動かされて、何よりも自分の利益を優先させてきたことに気づいた臨死体験者は、人生で最も大切なのはお金や物ではなく愛だと悟る。
自分の人生の断片を次々と再体験することで、臨死体験者の多くは、自分の生前の行動や対人関係には癖となったパターンがあり、それが直接的または間接的に自分に死をもたらす生き方を招いたことも認識する。

というわけで、欧米では、ライフ・レビューこそが、臨死体験することの最も大きな利点で、目的でさえある、とみられてきたのだが、それも万国共通ではないらしいことも、最近になって指摘されている。たとえば、日本人の臨死体験にはライフ・レビューは含まれないことが多いという研究結果も発表されているのだ。


11     フラッシュ・フォワード(未来の断片が見える)

臨死体験では、生前の体験だけではなく、自分に関わる未来の情景も映画のように見せられることがある。いわゆる、フラッシュ・フォワードだ。この場合に見せられる未来は2種類に大別される。
ひとつは、自分が生き返った後の人生で起きる出来事の情景で、「生き返ったら、こういう人生が送れる」という、本人に秘められた未来の可能性を示すものだともいえる。

自分が生き返った後の人生の展開を見せられた臨死体験者は、自分の未来像を見ることで、生き返らされる理由や、臨死体験後の第二の人生で、自分が何を天命として、それをどう成し遂げるべきかが理解できた、としている。
もうひとつのフラッシュ・フォワードは、自分がこのまま死後の世界に留まり、生き返らない場合には、家族や周囲の人がどうなるか、という未来像だ。臨死体験者がたどり着いた死後の世界は美しく、安泰で、とても心地よい。だから、「あなたはここには留まれない。生者の世界に戻らなければいけない」と案内役に言われたり、「神様」に命じられても、その気なれなかった、という人が多い。

臨死体験中の人は自分が誰であるか、どんな人生を送ってきたか、自分がどうして死に至ったかもしっかり覚えている。生き返るということは、病気や事故で瀕死になった自分のからだに戻ることでることも、分かっている。だから、「戻りたくない」「死んだままでよい」と、生き返ることを渋るのだが、そういう場合に、フラッシュ・フォワードで、自分が死んだままだと遺族がどういう人生を送ることになるのかを見せられることもあるのだ。

なかには、自分が死んだままになった場合と、生き返った場合という、ふたつの異なる未来を見せられた人もいる。
ある臨死体験者が見せられたフラッシュ・フォワードでは、自分が死んだままになった場合の未来では、夫は再婚していたが病気になっていた。子どもたちは夫の後妻、つまり継母にいじめられて不幸な子ども時代を送り、あげくの果てに子どものひとりは若死にしていた。
一方、自分が生き返った場合の未来では、夫は健康を保ち、平穏な日々が続き、子どもたちは皆、無事に成人していた。

死後の世界があまりに安らかなので、生き返りたいとは思えなかったこの女性は、自分が今後、この世に存在するかしないかで家族の未来が大きく変わることを目の当たりにして、家族への愛が蘇り、家族の元に生きて戻らなければ、と決心した。そう思った瞬間に衝撃を感じ、現実の世界に戻り、意識は自分のからだの中に戻っていた。臨死体験者がフラッシュ・フォワードで見せられるのは、自分や家族に関わる未来とは限らない。自分が暮らす地域社会や地球全体の未来、宇宙の未来などをフラッシュ・フォワードで見せられ、深遠な学びを得た、という記憶をもつ人たちもいるのだ。


12     それ以上は先に進めない境界に達する

典型的な臨死体験では、人の意識はからだの機能が停止した直後に体外離脱して肉体から離れ、現実の世界から死後の世界へ移る。その過程で、故人と再会し、人間とは別の次元にいる神々しい存在とも出会う。そして、生前の自分の過去や未来を見せられ、それまでの生き方を反省し、人のからだは死んでも意識は死なず、学びつづけることを認識する。そしてやがて、それ以上先には進めない、またはそこを超えると戻れなくなると直感で分かる境界に行き着く。

その境界をどう表現するかは、人それぞれだ。それまでにいた光の世界より、さらにまばゆく光り輝く広間に続く扉だった、と記憶している人もいれば、美しい草原を進んでいくと、光り輝くお屋敷の入り口に行き着いた、と言う人もいる。光の世界につながるトンネルの出口まで来たらずっと昔に死別した家族が立ちはだかっていて先に進ませてもらえなかった、というように記憶している人もいる。

そこにたどり着くまでの筋書きや、限界のイメージは様々だ。が、共通しているのは、自分がその先に行ったら戻れない何らかの境界線上に立っていることを、臨死体験者は直感的に理解していることだ。多くの人は、その時点では安楽な死後の世界に留まることに満足しているので、そのまま境界線を越えていこうとするが、神様や天使のような存在、またはそこまで付き添ってきた案内役にストップをかけられる。そして、まだその先に行けるときは来ていないので、生前の世界に戻るように、と命じられる。


13     気がつくと、生き返っている

臨死体験者の大半にとっては、死後の世界はすべてが完璧で、美しく、安楽だ。そこに長くいればいるほど、苦悩や痛みに満ちた人生、生前の現実には戻りたくなくなる。
生前には生への強い執着をもっていたとしても、愛する家族を残してきたとしても、死後の世界で思い出す生前の世界の記憶には、現実感がない。ずっと昔にテレビで見たドラマのように実感がなく、愛着は感じなくなっているのだ。

実際、生き返らされると聞いて、渋ったり拒否したりした記憶をもつ人は多い。
このまま死後の世界に留まるか、生き返るかの二者択一の瀬戸際に立った人を、生前の世界に引き戻す大きな力となるのは、現世からの引き合いだ。生き返ることに抵抗を示すと、自分の臨終の現場を見せられたという記憶をもつ人もいる。

家族が泣き叫びながら、生気がなくなった自分のからだにすがりつき、揺り起こそうとしている。または手術中に心肺停止した自分を蘇生させようと、医師たちが必死の努力を続けている様子を見せられた人もいる。この人は、手術室から離れた待合室で「どうか死なないで」と、家族が必死に祈っているのも見たという。
自分を求める近親者のそうした強い思いに触れると、自分が育んできた人生への愛着を再び感じるようになる。そして、自分の関心が死後の世界から現実の世界に移った瞬間、からだを離れて死後の世界に来ていた意識は、現実の自分の肉体に戻る。

機能停止していた心臓と肺は再び動きはじめ、死は回避されたことになる。死から生に逆戻りするときに、自分の死体を別の次元から確認し、意図的にその肉体めがけて飛び込んだ、という記憶をもつ人も多い。
意識が自分のからだに再突入したときには物理的な衝撃を感じる。その途端に、死の直前にあった肉体的な痛みや苦しみを再び感じはじめる。多くの場合は、猛烈な痛みを感じることで、自分が生き返り、現実の世界に戻ったことに気づく。
















『死んだ後には続きがあるのか     ー臨死体験と意識の科学の最前線ー』
著 . エリコ・ロウ

から抜粋。