死んだ後には続きがあるのか ‥ 1 | inca rose*のブログ

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◆死の瞬間から生き返るまで、臨死体験の過程


人が死んだ後には、どんなことが起こるのか。臨死体験を集めて異なる体験ごとに分類した研究がいくつか発表されている。研究者によって、多少の見解の相違はあるものの、生と死の違いはオンとオフの電気のスイッチのようなものではなく、生死の境目には次のような過程があるらしい、というのが共通の見解だ。


1   生から死への移行は、あっけない

臨死体験の始まりには、ふたつのパターンがある。ひとつは、病気の悪化や突然の事故で意識を失い、次に気がつくと、意識がからだの外に出ていて、すでに現実ではない次元にいたというパターンだ。
もうひとつは、意識を失うことなく、意識が覚醒した状態のまま、一瞬にして現実の世界と死後の世界の境を超える、というパターンだ。
いずれにせよ、生から死への移行は、人類が想像してきたよりスムーズで、あっけなく起こっている。
もちろん、死の直前まで激痛を感じていたり、苦しんだりすることはあるのだが、ある瞬間に、すべての苦悩が消え、悪夢から覚めたように、すっとラクになる。そして、それまでの痛みも苦しみも感じていないことに気づく。心は安らかで、落ち着いていて、それまでに感じたことのないような至福感に包まれている。


2   からだの外から自分が見える

臨死体験は、まず、自分の視点がからだの外にあることに驚き、次に自分の意識そのものがからだの外に出てしまっていることに気づくことから始まる。
俗に体外離脱とか幽体離脱と呼ばれる現象だ。
多くの場合には、現実の世界で誰かが自分を生き返らせようとしているのが見えたり、自分の周囲で人が名前を呼んでいるのが聞こえたりする。

そうした騒ぎの中心で、ぐたっと生気を失った人がいるのが見えても、すぐにはそれが自分だとは思わない。
そして、自分はここで元気にしているのに、なぜ、みんなが慌てているのか不審に思い、声をかけようとするが通じない。肩をたたいて自分はここにいる、と知らせようとしても、誰も気づいてくれない。そうしているうちに、みんなが注目しているのが、まぎれもない自分のからだであることに気づいて、愕然とする。なぜ、自分自身をからだの外から見ることができるのか、と混乱し、動転する。


3   自分が死んでしまったことに気づく

死体のように見える自分の姿を上から見たり、突然、現実の世界で生きている人々と意思疎通できなくなったり、周囲の人には自分の存在が見えなくなったことで、臨死体験者の多くは、初めて、自分が死んで、現実の世界からは見えない次元、あの世に来てしまったことを認識する。
突然の事故だった場合には、瞬間、「しまった!死んでしまったのか!」と動揺したり、予期せず自分が世を去ってしまったことで、あせりを感じる人もいる。が、同時に、それまでに経験したことがなかったような充足感や安らかな気分に包まれているので、気持ちは落ち着いてくる。無条件の愛に抱かれたような感じがする、と表現する人も多い。


4   意識が、現実の世界からあの世に移り始める

臨死体験者は、自分が「死んだ」はずなのに、まだ自分としての意識があることに驚く。肉体から離れて意識だけが宙に漂っているようだが、意識はしっかり覚醒し、自分が誰であるかも分かり、それまでの記憶も感情もある。脳もからだもないのに、見たり聞いたり、考えたりすることができる。
臨死体験者のなかには、自分が「死んだ」場所の空中にしばらく浮遊し、周囲の人が自分を生き返らせようとしている様子をつぶさに見ていた人も少なくない。が、そのうちに、風船が空に舞い上がっていくように、自分の視点が上昇していく。


5   異次元での意識の旅が始まる

その後の展開には大きく2パターンある。ひとつは、その先もしばらくは現実の世界に留まるが、映画の場面が変わるように、瞬時に意識がトランスポートして、別の場所の様子を見聞きすることになる。自分の意志とは裏腹に、様々な光景を見る人もいれば、自分が関心を向けると、そこに行けたという人もいる。

病院で臨死状態になった場合には、自分がいた病室や手術室にしばらくいた後に、透明人間のように壁を抜けて他の部屋に移ったり、ガラス張りの天井から俯瞰するように、病院内のあちこちで進行していることが同時に見渡せたりする。または、病院の屋根を抜けて屋外に出て、街の上空を彷徨う人もいる。

このように、現実の世界にしばらく留まっていた臨死体験者は、その間に肉体のない意識体として行った場所で何が起きていたか、誰が何をしていたか、何をしゃべっていたかなどを詳細に記憶している。そして、その内容は、周囲の証言と、ぴったり一致したり、周囲の人には見えていなかった事実まで見ていたりする。

もうひとつのパターンは、病気や事故がもとで意識を失い、次に気がついたときには、すでに現実の世界ではない別の次元、あの世にいて、現実世界で周囲の様子を見聞きした記憶はまったくない、という臨死体験だ。
そうしたケースの場合、圧倒的多数は、気がついたら、それは美しく光り輝き、明らかに現実の世界ではないことが分かる場所にいた記憶をもっている。
なかには、気がついたら、真っ暗闇にいた、というケースもある。まったく何もない静謐な暗闇で長い間、休息していた人もいるが、不気味な暗闇で、恐怖感を覚えたという人もいる。
統計的には少数派だが、真っ暗闇の中で火が燃え盛り人々が苦しんでいる光景を見たり、鬼のような怖い存在に出会ったりして、自分が死んで地獄に落ちたのだと思ったという臨死体験もある。


6   トンネルを抜けて、眩しい光の世界に行く

欧米の研究者が調べてきたなかでは、光の世界につながるトンネルのようなところを通過して現実の世界から別の次元に行ったという記憶をもつことが、臨死体験の大きな特徴とされてきた。トンネルという表現ではなく、眩しいチューブのようなものが現れ、その中に入った、という表現をする人もいる。視界の一部に眩しい点が現れ、だんだん大きくなって光の世界に吸い込まれた、という人もいる。
いずれにしろ、意識がからだを離れた後にしばらく現実の世界を彷徨っていた人も、気がついたら真っ暗闇にいたという人も、やがては、光輝く別次元への入り口があることに気づき、そちらに向かう。

故人となっていた家族や友人が「お迎え」に現れ、そうした故人に導かれたり、手をひかれて、光の世界に向かった、と記憶している人も多い。
地獄のようなところを体験した人の場合には、地獄から抜け出たいと必死であがいたり助けを求めたりしているうちに、すでに故人となっていた家族、「神様」や「キリスト」が現れたことを記憶している。そうした救世主に導かれて、トンネルを抜け、光に溢れた安息の世界にたどり着くのだ。

最近になって、日本の臨死体験者の間では、トンネルではなく川を渡ってあの世に行ったという記憶の方が多い、という研究例も発表され、移行の過程の解釈や記憶には臨死体験者の文化的背景が影響している可能性も指摘されているが、この世からあの世に移ったという体験には普遍性がある。


8   故人との再会

すでに故人となっていた家族や親戚、友人との再会も、臨死体験の大きな特徴のひとつといわれるが、故人に出会うタイミングは人によって異なるようだ。病状の悪化で少しずつ臨終に近づいた人の場合には、まだ現実の世界で意識がしっかりしているうちに、早ければ死の数日前に、すでに故人となっていた自分の親や親戚の姿が死の床の近くで見えるようになることもある。
これは、日本では昔から「お迎え」と呼ばれ、頻繁に起こっている現象だ。欧米の研究者はこの現象を「デス・ベッド(死の床)・ビジョン」と呼び、この現象だけでは臨死体験とはいえず、人の死の前後に起きる現象だと考えている。

臨死体験者の記憶では、意識が自分のからだの外に出て、まだ現実の空間を彷徨っていたときに、視界に「お迎え」が現れ、死後の世界に導かれている。すでに死んだはずの人が見えるようになったことで、自分が死んでしまい、亡者の世界に仲間入りしたのだと気づく人もいる。それまで自分が死んだという自覚はなかったが、迎えにきた故人に死んだのだと知らされた記憶をもつ人もいる。しかし、お迎えは生死の境目に現れるとは限らない。誰のお迎えも受けず、独自にまばゆい光を見つけ、そこにひかれて自発的にトンネルに入る人もいる。トンネルの中で「お迎え」に出会ったというケースや、トンネルを出たら大勢の亡者が待っていてその歓迎を受けたというケースも少なくない。臨死体験中に出会う人は、その臨死体験が起きる以前に死亡していた故人で、ほとんどは家族や親戚、友人など臨死体験の近親者だ。


9   神々しい光の存在と対面する

光り輝く死後の世界で、臨死体験者の多くは、個人的に縁があった故人だけではなく、神々しい光の存在にも出会い、様々な学びを得ている。欧米の臨死体験者の場合には、キリスト教徒に限らず、概して出会った相手のことを天使、キリスト、神様、または創造主だったと考えている。しかし、日本人の臨死体験者は出会った存在を仏様と記憶している、という調査結果や、インド人の臨死体験者が死後の世界で会うのは、もっぱらヒンズー教の神様だとするインド人学者の声もある。
臨死体験者のなかにも、光の存在を既成の概念にあてはめずに、周囲より一層眩しい光だった、何だか分からないが、神々しく威厳に満ちた意識体だったと語る人たちもおり、研究者にとっては、その正体はまったくの謎だ。














『死んだ後には続きがあるのか     ー臨死体験と意識の科学の最前線ー』
著 . エリコ・ロウ

から抜粋。