・:*:・゚☆ 【置手紙】 和音 いつか生まれてくる我が娘へ ・:*:・゚☆ -2ページ目

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「送別会」

元上司だった人の送別会に出る。

トウサマは一年前に今の親会社の出資で独立したのだが、その三年前に自分の上司であった方だ。

もちろんその方は親会社に所属しているのでそちらが主催する会だ。


同じようにグループ会社からも何人か出席していて挨拶する良い機会にもなった。

当然、親会社の人が多いのだが、その方々はトウサマの会社にとってクライアントでもあるので、話の内容によっては気楽に飲むというわけにはなかなかいかないけど、昔なじみの人や懐かしい顔が多かったので立場を忘れて話をすることもできた。


ただ、グループ会社のトップの人(親会社のトップ)に挨拶にいった時に言われた言葉が胸に突き刺さる。

今後ことあるごとに脳裏に浮かんできそうだ(苦笑)


門出も多くある季節だ。

頑張って欲しいと思う。


色づいていく季節は社会全体が甘酸っぱく青い感じがして大好きだ。

いつまでこう感じるのだろうか。


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「人は人によってのみ」

今日は(昨日の夜が正確か)、先日縁合って出合った高木三四郎さんの主宰するプロレス団体「DDT」を観戦してきた。


<出会いの時の置手紙>

http://ameblo.jp/milky01/entry-10009483630.html


<DDT>

http://www.ddtpro.com/


500人?ぐらいのキャパだと思うのだがぎっしり満員だった。

女性もかなり多くいた。

常連も多いようで会場全体に団体に対する愛を感じた。

もはや単純にスポーツとしてではなくそこで展開されるドラマに皆が注目しているのだ。


なぜわざわざ四角いリングで人間ドラマを行う必要があるかという提起はあるだろうが、それこそがプロレスの深みというか奥深さではないかと思う。

「激しさ」と「ドラマ」という相反するようなものが曖昧なままで成立するエンターテイメントはプロレスぐらいでなかろうか。

そして一番のキーワードは観客が全員プロデューサーになれるかどうかだ。

単に受身でなく試合やストーリーの展開を読んだり、自分だったらこうするかなとか考えながら観戦するのだ。

そう、プロレスは享受するだけのものでなく参加型の劇場なのだ。

そして団体や試合、選手の質が高ければ高いほど感情移入ができる。

もちろん、単純に強いとかそういうことではない。

そういう意味でもDDTは初観戦だったがとても楽しんで観戦できたよ。


実際、試合もストーリーも緩急つけられながらうまく3時間でパッケージ化されていた。

限られた予算内で可能な限りのチャレンジをしているのだろう。素晴らしい。


人を感動させたり喜ばせられるのはやっぱり人だけだよね。

規則でもルールでも基準でもない。


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「十年ぶりのジョギング」

トウサマ走った。


十年ぶりに走った。

やはりすぐ息切れが、、、

ボクシングをやっていた頃は早朝に毎日5Km程度走ったものだ。


その時と同じようにしてみた。

走るコースは決めないのだ。

そして音楽を聴きながら走るのだ。

大体、一曲が5分として6曲ぐらい聴きながら走れば30分だ。

ペースにもよるが距離は3Kmから5Kmくらいになる。


音楽を聴きながら気まぐれで道を選んで走るのだ。

これが飽きないコツだ。

決められたコースを走るのが苦手なのだ。

グラウンドを何週もするタイプが一番苦手だ。

苦痛だし飽きるし長続きしない。


意外かもしれないがトウサマは決められたことを繰り返すのが実は非常に苦手なのだ。

トウサマをよく知っている人にはわかるだろうが。


好きな音楽を聴きながらコースや距離にとらわれず体調に合わせて決めた曲数分だけ走る。

こうでもしないとやる気もしないし長続きしない。

昔色々試して出した結論だ。


今後、走る場合はやはりこうしよう。

週末ぐらいしか走らないだろうが。


ちなみに今日走りながら聴いた高橋真梨子の「ジュン」は久々に聴いたがシビれたね。

トウサマの場合、テンポの速いリズミカルな曲でなくこういうときも圧倒的にバラードなのだ。

それかプロレスラーの入場曲かな。


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「自分の外との関わり」

トウサマは思う。


人間一人の影響で進む物事なんてたかが知れているし、他人と関わる以上、完璧は有りえない。


一人で完璧になろうとせず組み合わせで物事を進めようとするのが健全だし、タイミングと組み合わせ次第で思いがけない事が起こるのがその醍醐味だ。


家族も組み合わせだ。

夫婦もそうだ。

そして自分が関わるチームや組織、社会そのものも。


ただ、それは頼り切ったり依存するということではない。

自分の外の状況に対してどういう意識でどう関わればよいのかということがその本質である。

つまり、(自分の影響が及びにくい)社会の中で生ずる結果や状況をどうにかしなきゃということに終始するのでなく、その関わりの中で自分がどうあればいいかを考えたり確認することが一番大切なのだ。

それが糧だったり反省だったり、経験というものの本質だと思っている。

表面的なテクニックではなく内面の充実度というべきか。


それがわかっていれば、今後、同じような状況が続いても落ち着いていられるし穏やかでいられる。

身近に溢れるささやかな幸せも見失わずに済む。

積み重ねた糧をベースにどう歩んでいけばよいかもより純粋に見えてくるだろう。


他人と過去は変えられない。

自分と未来は変えられる。


トウサマはこの辺でずっと悩んできた。

今だってそうだしまだまだ続きそうだ。

お前にもきっとそういう時がくるだろう。


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「まだまだ」

全身筋肉痛が治まらない。

寝返りうつのも咳をするのもつらい、、、


なんとか土日で治まって欲しいな。


機械の体をもらいにアンドロメダに行きたい、、、


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「十年ぶりの運動、その翌日」

あなたのカアサマにも「最初から飛ばすときつくて続かないよ」と言われたが入門コースで全然飛ばす要素がないのに気持ち悪くなるほど昨日はバテたトウサマです。


トウサマがやっている会社は自宅から徒歩圏内だ。

そんな距離なのに会社にいくまでが大変だった。

昨日の初日の翌日ということで全身筋肉痛だ。かなりの重度、、、

一歩も動きたくないのである。筋肉痛と疲労で。

こんな会社が遠いと思ったのは初めてだ。


午前中は廃人だった。座って起きているだけで精一杯。意識が飛びそうだ。疲労で。

これはヤバイと思って昼休みに30分のマッサージを受けて体をほぐした。

これで少し体も気分も楽になり薬局で肩こりと眠気覚ましのドリンクをそれぞれゲットして一緒に飲んだ。

その甲斐あってか午後からなんとか徐々に回復していったような気がする。


筋肉痛がひどい場合も少しほぐす程度に動いたほうがいいのは経験上、知っているので会社帰りに22時前にジムに駆け込んだ。

ここは23時までやっている。

ただし、21時以降は自主トレでなので昨日のように共同練習ではない。

今日のトウサマにはちょうどいい。

鏡に向かってシャドーボクシングをずっとしていた。パンチオンリーだ。これなら楽して動ける。

しかし、楽なはずなのにやはりすぐバテた。やはり少し気持ち悪くなる。

ダサい、、、

昔のボクシング時代のパンチのイメージは残っているのだが、体が全くついてこない。全身に’おもり’がついている感じだ。


ちなみに今のところキックにはまだ興味がない。パンチの感覚をはやく取り戻したい。体重を落としながら。


なお、Tシャツに短パンでやっているのだが、自宅が近いので汗だくでもそのままの格好で帰ることにしている(そのまま自宅のシャワーに直行するのだ)。

冬なのにその格好、しかも革靴にソックスだ。

相当かっこ悪い。

自宅近くのcafeの女性店員とガラス越しに目があったが、この季節にそんな格好で汗だくのトウサマに彼女の冷たい視線が突き刺さる、、、


ええい、すべて報われる時がくるのよ。きっと。


from オトウサン


追伸:毎日行くわけじゃあありませんよ。マイペースでやります。続けるために。

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「キックボクシング入門日、その顛末」

トウサマはキックボクシングに入門した。

会社の目の前にあるのですぐいける。

健康の為だが、どうせ勘違いしてこれ一本に絞ろうとか思う日は近いだろう。

そう、トウサマの本業が今日始まったのだ。会社は副業(笑)


そんな意気込みで門を叩いたがものすごいショッキングな初日だった。

私が今日行ったのは入門クラスという一番初心者が習うクラス(時間帯)だ。

昔、ボクシングでプロのはしくれだったこともあってトウサマは完全になめきっていた。

周りをみわたすとオジサン、小娘、子供ばかりだ。

こりゃ素晴らしい動きを見せて脚光を浴びるチャンスかなと思ったほどだ。


その顛末はこうだ。


「準備運動で腕や足がつった、、、」

「15分程度で汗だくで既に息切れが(オジサン、小娘、子供はピンピンだ)、、、」

「昔とった杵柄のはずのパンチに切れがない、、、」

「キックしたとたん足がつった。両足、、、」

「30分経つともう息切れを通り越して気持ち悪くなった、、、」

「ボクシング時代にダボダボだったはずの発汗用の上着がワンサイズ小さく感じる、、、」

「薄着になった自分のダボついただらしない体にショックを受けた、、、」

「一時間たつともう両腕が上がらなくなった、、、」

「家に帰って食事がのどに通らない(気持ち悪い)、、、」

「箸を持つ手が震える、、、」


昔の体力の貯金は無くなってむしろ借金になってしまっていたようです。

人並みならまだいい。これは人並み以下だよ。

周りの初心者はピンピンしている。

まがりなりにもプロでやるほど鍛えたトウサマといえばこのざまだ。

ショックだ。本気で落ち込んだ。ダサい、ダサすぎる。


入門クラスの後は自主練習の時間帯だったのだが、もう動く気力もなかったが意地もあって一時間ほどいたが動くというかリズムをとって揺れているだけだった、、、


うーん、今のトウサマは体力的に入門クラスでもきついのか。

シェイプアップクラスもあるからそっちからにしようかな(苦笑)

会社を抜けてちょっくらいけるとも考えだが。無理だ。

練習後にこのように廃人となってしまうようではもう何もできない。


今日からはじまった本業は想像以上に道は険しいようだ。

うーん、まずは体力回復だね。人並みに(涙)


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「白紙の部分とは - つねに未完でありたい - 」

私が最近、自分自身や周囲に対して「白紙の部分を常にもっていたい」と言っているが、そのルーツを紹介しよう。


もう十年以上前かな。

ある新聞に常盤貴子さんを紹介している記事があった。


その切り取った記事はすっかり黄色に色あせているが、今でも手帳に入れて持ち歩いている。


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高校卒業と同時に芸能活動を始めてすでに八年。

だれそれのような女優に、というイメージはない。


「自分の中に白紙の部分をたくさん残しておきたい。

将来は、私自身も想像がつかないような女優になりたい」


つねに未完でありたい。

そんなエネルギーを秘めた女優だ。

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たったこれだけだ。

年を重ねるたびに実感できる。共感できる。自分なりに解釈できる。


ベースにきちんと自分色を持っていながらも常に何色も染められていない部分を意識的に持とう。

そしてダイレクトに他人色に染められたり自分色と融合させたりして新たな価値観を吸収するのだ。

そしてそれは時間が経つとしっかり自分色の一つとなっているだろう。


何度も言うように青春とは回り道である。それは未完であるということだ。


未完であることは素晴らしい。

まだ見ぬ部分を想像するのが楽しいのだ。

そして自分が想像しなかったものが生まれるのが素晴らしいのだ。


それが人生の醍醐味なのだろう。


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「自制」

昨日、歓送迎会があったが我を失ってハメをはずしすぎた。

色んな意味で自制が効きにくい状態というのは三年前に体を壊す直前にはよくあった。


ただ、前と今では状況も立場も違うし自覚が必要だ。精神面で。

そして再び同じように体を壊してもいけない。体調面で。

今やどちらもNGだ。


うーん、反省。そして本当にごめんなさい。


from オトウサン

・:*:・゚☆ 生まれゆく君へ 「最近、様々な人と接して思うこと」

昨今、仕事も含めて色々な人に出会う機会が以前より増えた。


自分で責任をもってリスクを抱えながら生きている人は苦労も多いが生き生きしている。

それぞれやっている挑戦の規模や内容は異なるがこれははっきりと共通する。

どんな業界の人であっても。

年齢も性別も関係なく。

もちろん顧客とか外注先ということも関係なく。


そういう人と話しているのは楽しいしそういう人たちは魅力的な人ばかりだ。

そういう人たちはどこかとんがっていて万人受けはしないだろう。

だけど意思を持って何かを進めればそこに合わない人もいるのは当たり前だろう。

敵を作らない生き方は味方も作らない。

多くに人に受け入れられるというものは多くのアンチもいるものだ。


一方、組織や規則に依存している人と話していてもその組織やルールへの不平や不満というケースが多い。

恵まれているのになと思う。

どうしてそれを利用するのでなく依存しようとするのだろうか。

依存するのが目的ならそれでいい。割り切ればいいだけだ。

そうでなく希望や方向性を持つ人が依存しても思い通りにいくわけがない。

そればかりか組織やルールに対するプチ評論家になってしまっている。


依存はよくない。完全に依存するとそこに反するものはすべて否定したくなる。人でも物でも。

常に粗しか目に付かなくなり視野が狭くなる。新たな価値観を吸収する機会を逸する。

それは悲しいこと。


自分色をベースにしながらも常に何色にも染まらない白紙の部分を持っていて、自分色と新たな色(新たな価値観)とが混じって新たに染められていく様が人生で一番美しいのだ。


from オトウサン