お腹の中に赤ちゃんがいるのが分かったのは、21年前の4月のことでした
場所は、職場の女子トイレ
しかも、当時の私は未婚
一瞬、頭がパニックになりましたが、すぐに赤ちゃんを産む決心をしました
その日の夜におやぢ(夫)に電話をしたと思うのですが、おやぢはなかなか「結婚しよう」って言ってくれませんでした
今思えば、子どもができたのはいいけれど出産費用ほどの貯金もなかったようなので、少し困っていたのかもしれません
赤ちゃんの心音が確認されるのを待って、実家の母に恐る恐る電話しました。
子どもの頃から「できちゃった結婚は重罪」と母に言われていたので、とても緊張しました
でも、意外にも母はさほど怒ることもなく、ホッと胸を撫で下ろしたのでした
5月に入ってすぐに、おやぢ(当時は彼氏)と一緒に、実家の母のところへ結婚の挨拶に行きました
車中では「オカンも孫の誕生を楽しみにしてるんだろな」って思ってました
ところが…
玄関から出てきた母は、般若のような形相
私は、不穏な空気を感じました
その後は…ハッキリ言って私は記憶喪失なのです
ただ、母が怒鳴りまくったり泣き叫んだりして、最後にはベッドの中から、
「この家には二度と来ないでくれ」
って言われたのは覚えています。
そして実際に、それから二度と実家には帰っていません
それから数日経って、母から新聞のように分厚い手紙が届きました。内容は、部分的にしか覚えていません。
確か、私の悪口とおやぢの悪口が、いっぱい書いてあったように記憶しています。
そして〆は、
「身も心も新たに再出発して欲しかった」
という内容でした
表現はキレイですけど、要するに
「お腹の子を中絶して、母親の老後の世話をしろ」
ってことですよね
現在、私が住んでいる家と実家は500キロぐらい離れています。
北海道は広いですからね。
そんな遠くに娘が嫁ぐということは、母親の老後の世話をしないということにもなります。
母は昔から、娘の幸せよりも自分の幸せの方が大事で、自分のことを大切にしてくれる人が大好きでした。
(↑そもそも、そんな人は殆どいませんでしたがね)
暴力は勿論、「お前なんかいない方がずっとよかった」という罵声を何度も何度も浴びせられてきました。
母から学んだことは、
「どんな理不尽な扱いを受けてもじっと我慢する」
ということでした。
ですから、落ち着きのなさはありましたが、とても我慢強い子どもでした。
妊娠9週目で、東北地方へ修学旅行の引率にも行きました。
お守り代わりに、お腹の赤ちゃんのエコー写真を持って行きました。
不思議と修学旅行中だけは、つわりがありませんでした
過去記事にも書きましたが、妊娠7ヶ月でおやぢの住む町へ300キロのお引っ越しをしました。
繁忙期だったこともあって、新婚なのにおやぢから冷たくあしらわれて、悲しい思いをしました
8ヶ月になると足が痛すぎて、ほぼ歩行困難になりました。
そうこうする中、12月に帝王切開で長男リョウが生まれたのでした
とても可愛い赤ちゃんでした
出産後、母へリョウの写真つきの葉書を送りましたが、「受け取り拒否」で送り返されました
その後、何度か写真つきの葉書を送りましたが、ビリビリに破られて返送されたこともありました
そして、リョウが中1の時を最後に、母に葉書や手紙を送るのをやめました。
そして、それから8年が経ちました…。
老後の世話をしてあげられなかったことで申し訳なく思っていたこともありましたが、今は、
「私を虐待した毒親なんだから、もうどうなってもいいわ」
って思っています。
本来なら、子どもの自己肯定感を高め、生きる喜びを教えるのが親の役目だと思いますが、母はその真逆でした。
詳しく書くと巻物になってしまうので、ここでは割愛します。
祖母から歓迎されずに生まれてきたリョウですが、今は大学3年生になり薬学部に通っています
高校生の頃からの彼女とも長く続いていて、
「俺は今 幸せだし、お腹を切ってまで生んでくれてあがとう」
って、LINEもくれました
(↑普通分娩の方が大変ですけどね)
母の言うように中絶は一度たりとも考えませんでしたが、この子を生んで本当によかったです
少し長くなりましたが、
最後までお読みいただきありがとうございました
また、もし不快な思いをされた方がいらしたらお詫びします