大変残念な事実であるが,この世の中にはヤバい連中が少なからずいる。そして,皆,そのヤバい奴と隣り合わせで生活している。
ヤバい奴も,常に悪さをしているわけではないから,普段,その被害に遭うことは少ない。この連中が顕在化するのは,罪を犯したときになる。この間の,新幹線で乗客をめった刺しにした奴や,高速道路のあおり運転で夫婦を死なせた奴とかだが代表的だろう。周りの人間は皆,こいつらがヤバい奴だと分かっている。だが,ヤバい奴でも罪を犯すまでは,誰も,国家権力でさえも手出しができない。
皆さんも学生の頃,意味までは覚えていなくても,「罪刑法定主義」という言葉を聞いたことがあるだろう。 ものすごく単純化すると,罪となるべき行為と,その行為への処罰の内容は,予め法律によって定められていなければならないというものだ。
したがって,どんなに悪い奴でも,罪となるべき行為をやっていなければ,お巡りさんに取っつかまって,刑務所にぶち込まれることはないのである。
しかし,お父さんは素朴に,これはおかしいと思う。
みんな,ヤバい奴だと分かっていて,いつか何かやると思っているが,誰かがヤバい奴の犠牲になるまでは,何の対処もできないというのはおかしいと思いませんか。自分が,家族が,友人がその犠牲者になったら,お父さんは絶対に納得できない。これは,罪刑法定主義一本槍の落とし穴である。
実は,少年に限っては,制度上は罪を犯していなくても,少年を少年院にぶち込むことができる。虞犯というやつである。書いて字のごとく,罪を犯す虞(おそれ)があるという理由で,悪たれ小僧を少年院にぶち込めるのだ。しかし,現在は,実際には機能していない。何故かというと,虞犯の判断をするのが難しいからだ。明確な基準がない。それゆえに,法曹は基準が単純明快な罪刑法定主義に寄りかかるのである。
だからといって,ヤバい奴を野放しにするのは,法曹の怠慢である。むしろ,この制度は成人にも拡大すべきなのだ。
お父さんをはじめ,一般国民は,犯罪者やヤバい奴の権利を守るために,主権を政府に委ねているわけではない。安全安心な生活を送りたいがために,一票を投ずるのである。
この考えが時代の流れに逆行していることは十分承知しているが,それでもおかしいものはおかしいと考える。