そろそろこの領域に触れてみようと思う。一歳でも若く見えること。女性である以上、それができるに越したことはないし、若く見られて怒る理由もない。単純に「ありがとう」と思う。

でも、人から感謝されるために(見返りを求めて)人様に尽くすのが何か違うのと同じように「人から若く見られること」に重点を置いてしまうと、理想と現実とのギャップがどんどん開いてしまい、精神衛生上いかがなものかと思うのは私だけだろうか?

「アンチエイジング」というものに興味を示しつつ、この言葉がどこか好きになれなかった。「アンチ」という言葉自体に「反抗」、「抗う」、「抵抗」など、否定的な意味合いを感じてしまう。情報の内容に興味があるのなら、それを収集するのはいいと思うが、「私、こう見えても○○歳なんです」的な広告の大半は「は~い、バレてますよ~」と言いたくなってしまうほど、女性の目線は厳しくイジワルなものである。

たとえば、「○○さんはアナタのこと、若く見えるって言ってたけど、私が見るとそうでもないわよ」的なことを私自身も言われ続けてきた。つまり、見る人が見れば、古い家にいくらペンキを塗りたくっても、どこかに「ほころび」が出てきていれば、それを発見してしまう人など、いくらでもいるのだ叫び

いつ発見されるともわからない「ほころび」に戦々恐々としながら一生闘い続けるなんて私にはできないし、やる氣もない。

どんなに美白に励んでも、ファッションから年代を感じ取れることもあれば、どんなにジムで体を鍛えても、お顔の方が…(筋肉で言えば表情筋のトレーニングがお留守)な場合もある。わりと頻度が高いのが、美白に成功して喜んでる女性の二の腕の残念さだったり…。あんまり言うと自分にも跳ね返ってくるのでこのくらいにしておこう。

つまり、「バランス」が大事ということ。でも、一個人の目が行き届く範囲は限られており、どこかがお留守になっているものである。

お留守になっている部位について、自分より上級者がいれば、その人にアドバイスをお願いするのもよいが、私としてはもう「若く見られること」は目標から外そうと思っている。自分自身が笑顔で健やかに心身共に最適な状態で過ごせればいいではないかと。それが周囲を幸せにすることに繋がるのではないかと。

もちろん、自分の魂の入れ物として神様からお預かりした体に磨きをかけることは続けたいと思っている。それが「アンチエイジング」と呼ばれる行為の一つなら、それはそれでいい。