変わっていく言葉、変わらない言葉 | 地球人なりきりスーツ

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火星人である、うちの家族の通訳をしながら
地球人なりきりスーツを開発しつつ
小説やエッセイを書いています

 

 

 

 

 

 

 

 

30年間読み続けている聖書を

去ったクリスマスに買い替えた。

 

写真の左が古い聖書、右が新しい聖書だ。

 

使い続けていた聖書は

おおむね毎日読んでいるので

かなり傷みが激しく、破れて取れてしまった

ページもある。

 

破損の激しいところは子どもたちがまだ

幼いころに襲われてしまったせいだ。

 

買い替えたのは最近、日本語訳が見なおされて

表現が変わってきていると聞いたから。

 

実際に読み比べてみるとページによっては

意外にも変更箇所が多い。

 

2000年以上、大きな変更はないと

聞いているだけに意外な気がした。

 

だが当然のこととして、中身の意味は

特に変わっていなかった。

 

 

 

 

 

 

言葉というものは道具だから

時代とともに変わっていくものだ。

 

それを劣化や淘汰と呼ぶのか、それとも

洗練される、時代に馴染んでいくと考えていくので

取り組み方がまるで違ってしまう。

 

沖縄方言も絶滅危惧扱いで継承が

叫ばれており、学校でも熱心に指導しているらしい。

 

私が子どものころは本土復帰前だったので

大人たちは「すべてに本土並みを目指そう」

という気合いが満ちており、学校では

方言は使ってはいけないという強い指導があった。

 

数十年経つと価値観は逆転する。

 

AIが本格化すると価値観の逆転現象サイクルは

さらに激しく短くなるのだろう。