秋になり、行楽シーズンになりました。
まもなく木の葉は色づき、紅葉を観に山に訪れる人が多くなりますね。
春には桜が咲き、これまた観光客が一気に増えます。
緑の山や青々と茂った木々を見るだけでも、セロトニンが増え、心がリラックスしたり、リフレッシュしたりします。
わたしたちが、雄大で豊かな自然を目の当たりにするとき、
「こんな素晴らしい自然は、
一体どうやってできたのだろう」と
素朴な疑問を抱いたりするのではないでしょうか。
そんなとき
日本人は神を感じて生きてきたのだと思います。
太古から豊かな自然の中で、神を敬い、神に感謝して生きてきたと思います。
しかし、その神がどんな方であるかは
知ることができなかったのです。
今回は、神がどんな方であるかについて
触れていきます。
ーなぜ、そんなことがわかるのですか?
ーもちろん、すべてを知ることはできません。
しかし、聖書には書いてあるのです。
ー神について語るなんて、そもそもおこがましいのではありませんか?
ー神はご自分の存在とその御思いを人間に知ってほしいと心から願っておられるのです。
ですからたくさんの預言者を通じて、神がどんな方か、どんなことを思っておられるか、また何をしようとされているか、を人々に語られました。
それが、今は聖書というかたちで
まとめ上げられています。
まず
[テモテへの手紙 第二 3:16]
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
聖書は預言者を通じて、神が書かれたものです。
ですから作者は神です。
霊によって書かれてあるので、同じ霊を持つと
読むことができるようになります。
では
神は どんなお方なのでしょうか。
【① 神は唯一である】
神はイスラエルに対して、主は唯一であることを告げられました。
[申命記 6:4]
聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。
主は唯一である。
[イザヤ書 45:5]
わたしが主である。ほかにはいない。
わたしのほかに神はいない。
あなたはわたしを知らないが、
わたしはあなたに力を帯びさせる。
それは、日の昇る方からも西からも、
わたしのほかには、だれもいないことを、
人々が知るためだ。
わたしが主である。ほかにはいない。
わたしは光を造り出し、闇を創造し、
平和をつくり、わざわいを創造する。
わたしは主、これらすべてを行う者。
また、イエスは神を「唯一まことの神」と
言われました。
[ヨハネの福音書 17:3]
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。
【② 神は天地の主権者である】
わたしたち日本人に認識はないと思いますが、
神は天地万物をお造りになった方です。
現在では「進化論」をまことしやかに
学校教育で教えていますが、
わたしたちが食べている魚や肉が
いつしか、わたしたちのようになるのでしょうか?
それは考えにくいことですね。
聖書のはじめには、こう書かれています。
[創世記 1:1]
はじめに神が天と地を創造された。
ですから、造った方が造られたものに対して
主権を行使するのは自然なことです。
[イザヤ書 42:5]
天を創造し、これを延べ広げ、
地とその産物を押し広げ、
その上にいる民に息を与え、
そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主は
こう言われる。
しかし、アダムとイヴが罪を犯して以来、
わたしたちはサタンの支配下に置かれました。
善悪を神に委ねず、自分で決めるようになったのです。
その結果は、今の世を見てもわかるように、
争いと分断、搾取が絶えません。
ですから、神はわたしたちに神のことばに
「聞き従うこと」を望んでおられます。
しかし、実際の世は
人間の不信仰で満ち溢れているのです。
[イザヤ書 45:9]
ああ、自分を形造った方に抗議する者よ。
陶器は土の器の一つにすぎないのに、
粘土が自分を形造る者に言うだろうか。
「何を作るのか」とか
「あなたが作った物には手がついていない」と。
【③ 神は霊であり、かつ人間のようである】
キリストは神は霊である、と言われました。
[ヨハネの福音書 4:24]
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
また神は、人を神のかたちに、神の似姿に創造されました。
[創世記 1:26]
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
さらには、神は無機質な方ではなく、
わたしたちと似た感情をお持ちです。
[エレミヤ書 31:20]
エフライムは、わたしの大切な子、
喜びの子なのか。
わたしは彼を責めるたびに、
ますます彼のことを思い起こすようになる。
それゆえ、わたしのはらわたは
彼のためにわななき、
わたしは彼をあわれまずにはいられない。
──主のことば──
エフライムとは北イスラエルの支族のことですが、
罪を犯し、神に背いたエフライムでさえ、
神はこのような心をもった感情を抱き、
憐れまれるのです。
【④ 神は理知的であり、義なる方である】
神は、ご自分のなされることを
預言者たちに、前もって告げられます。
[イザヤ書 42:9]
初めのことは、見よ、すでに起こった。
新しいことを、わたしは告げる。
それが起こる前にあなたがたに聞かせる。」
[イザヤ書 44:8]
おののくな。恐れるな。
わたしが、以前からあなたに聞かせ、
告げてきたではないか。
あなたがたはわたしの証人。
わたしのほかに神があるか。
ほかに岩はない。わたしは知らない。
神は理知的で、主たるご計画(マスタープラン)
に沿って物事を進められます。
また、約束されたことは守られる、義なる方です。
[イザヤ書 40:28]
あなたは知らないのか。
聞いたことがないのか。
主は永遠の神、
地の果てまで創造した方。
疲れることなく、弱ることなく、
その英知は測り知れない。
[エゼキエル書 14:23]
あなたがたは、彼らの生き方と行いとを見て慰められる。このとき、あなたがたは、わたしがそこでしたすべてのことは、理由もなくしたのではないことを知る──神である主のことば。」
[イザヤ書 41:10]
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
【⑤ 神は恵みの神である】
神は恵み深い神です。すべてを満たしてくださいます。
[出エジプト記 34:6]
主は彼の前を通り過ぎるとき、こう宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、
[ヨエル書 2:13]
衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。
あなたがたの神、主に立ち返れ。
主は情け深く、あわれみ深い。
怒るのに遅く、恵み豊かで、
わざわいを思い直してくださる。
そして、イエスキリストの十字架による贖い、
という恵みを与えてくださいました。
[ローマ人への手紙 3:24]
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
【⑥ 神はねたみの神である】
[出エジプト記 34:14]
あなたは、ほかの神を拝んではならない。主は、その名がねたみであり、ねたみの神であるから。
神はねたみの神なので、神の民が他の神を拝むことを
何より嫌われます。
ですから神に愛されるためには、キリストを信じ、
他の神々や偶像から離れなければなりません。
【⑦ 神は正義をもってさばかれる神である】
終わりの日に
神はキリストにより、正義をもって
すべての人をさばかれます。
[ローマ人への手紙 2:16]
私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるのです。
[詩篇 9:8]
主は義によって世界をさばき
公正をもって もろもろの国民をさばかれる。
【⑧ 神は人間と住まわれることを望んでおられる】
神のマスタープランは
「神と人が共に住まう家をキリストによってつくる」
ということです。
ヨハネの黙示録でも、新しい天地では
神と救われた人が共に住むことが預言されています。
[ヨハネの黙示録 21:3、4]
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、
悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが過ぎ去ったからである。」
見えない神の愛を「恵み」という形をもって
遣わしてくださったのが「キリスト」です。
キリストは、人の形をとられ、
わたしたちとひとつになり
神であられるのに、わたしたちの痛み、苦しみを
知ってくださいました。
そのキリストが十字架上で
わたしたちの罪の身代わりとなってくださり
「いのちを与える御霊」となって
信じる者に「いのち」を与えてくださいました。
「いのち」とは神との交わりのことです。
新しい天地では、わたしたちは神と住まいます。
わたしたちが永遠のいのちを持つほどに
聖くしてくださるのは
キリストの十字架と御霊(聖霊)の働きによります。
このことが
真の「恵み」なのです。
この恵み、真のイエス•キリストを
どうか、この日本の人々が
知ってくださいますように。
[ヨハネの福音書 17:3]
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。