聖書は何を伝えたいのか ~聖書全体を流れる神の意図~

 

 

 

 はじめに ~聖書のことばは生きている~

 

聖書は、膨大な量のことばが書かれている、

神のことば「キリスト」です。

キリストを信じる者は日々、

これを食べなければいけません。

キリストはこのように言われました。


 

ヨハネの福音書6:53

「イエスは彼らに言われた。

「まことに、まことに、あなたがたに言います。

人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、

あなたがたのうちに、いのちはありません。」

 

 

この人の子の肉=「神のことば」を食べることが、

私たちの霊的な肉となるのです。

「血」を飲むということは、

日々十字架を携えることによる悔い改めのことです。

 

 

例えば、私たちが祈りの中で、

「主よ、今私にあなたのみことばをお与えください。」と願うとします。

そうすると、あなたに今現在、最も必要なみことばが

主から与えられるのです。

 

 そういうわけで

聖書のことばは生きています

決して死んだ文字の教えではありません。

そこにいのちはないのです。

 

●コリント人への手紙Ⅱ3:6

「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を与えてくださいました。文字に仕える者ではなく、

御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」

 

 

●へブル人への手紙4:12

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはこりごとを見分けることができます。」

 

 

「たましいと霊」とはサタンの事柄と神の事柄です。

たましいは人間の意志や思考、感情の領域

霊は直覚(神と繋がっているところ)と良心(神の基準に照らし良し悪しを判断する)です。

霊の領域は決してサタンが侵せない領域なのです。

 

これを神のことば、聖書、キリスト(聖霊)によって見分け、神のことばに聞き従うことで、たましいを霊に支配させるのです。

これを見分けることができなければ、目を覚ますことはできません。

 

 

そして、神の聖霊から直接与えられることばもまた、

わたしたちが食べるべき、キリストの肉なのです。

 

●「・・・神を礼拝しなさい。イエスの証しは預言の霊なのです。」(黙示録19:10)

 

そして、

それが本当に聖霊からの導きであれば

それは、いのちをもたらすものなのです。

 

 


聖書は人間によって書かれているから

信憑性はどうなのか?

という人がいます。

 

宗教の本であれば、教祖と呼ばれる人が一人で書いているのに対し

聖書は何百年もかけて、数十人の預言者・王たちが

書かれたものをパリサイ人や教会の人々を通して

編纂され、現在の形になったものです。

 

確かに、中には翻訳の段階で

誤訳や意味がわかりにくい訳となり

理解を困難にしているケースもあります。

 

しかし、それでも

神が伝えられたい本質は、失われてはいないのです。

 

テモテ人への手紙Ⅱ3:16

「聖書はすべて神の霊感によるもので、

教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」

 

 

時代とともに聖書の奥義は 神のしもべたちによってますます多くのことが開かれていきます。

 

現在は非常に多くのことが

明かにされてきているように思います。

それは、終わりの時代がもう、

目の前に迫ってきている証拠でもあります。

 

   

私たちが(霊的に)永遠に生きるために必要なのは

生ける「キリスト」、生ける「神のことば」

なのです。


ヨハネの福音書 12:50

「わたしは、父の命令(=わたしが話していること)が永遠のいのちであることを知っています。ですから、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。」」


 

●ヨハネの福音書1:1

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

 

●黙示録19:13

「その方は血に染まった衣をまとい、その名は「神のことば」を呼ばれていた。」

 

●黙示録1:17後半~18

「・・・わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。」


 

キリストは 今も生きておられます。

そして、永遠に生きられるお方なのです。

 

 

 

 聖書は、神と人とが共に住まう、というご計画を伝えるために書かれている

 

 

[創世記1:1] はじめに神は天と地を創造された

という創世記の初めの節を みなさんはご存じかと

思います。

 

しかし、

へブル語の性質を細かく読み解いていくと、

別の訳が浮き彫りになることがわかります。

「初穂であるキリストによって神と人とが共に住む家を創造する」


※詳細は「牧師の書斎」というサイトをくまなく探して見つけて下さい



 

 

黙示録の最後のほうでも同じことが語られています。

 

黙示録21:3

「私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。

「見よ、神の幕屋が人々とともにある。

神は人々とともに住み、人々は神の民となる。

神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」

 

 

キリストによって神と人が共に住む家を造ること」

これが神のご計画、神が人間を通してなさりたいことです。

 

 

神と人が共に住む家を造るために

聖書の物語がスタートするのです。

 

 

そのために人(アダム)が造られ、

ノアが大洪水から救い出されました。

 

アブラハムによってイスラエルが神の民とされ

イスラエルの歴史が書かれたのはキリストの予表を

人々に示すためでした。

(※聖書にはイスラエルの歴史が書かれていますが、歴史書ではありません。

なぜなら、神の意図をもって書かれているからです。ですから神の意図において必要のない箇所は省かれています)

 

そして預言書にあるように

キリストがメシアとして登場しますが、

ユダヤの人々の目が塞がれていたために

キリストはメシアと認められずに十字架にかけられてしまいます。

 

しかし、これが神のみこころであり、

ユダヤ人の盲目が、世界の人々をキリストに導く

きっかけとなったのです。

 

 

しかし、神はイスラエルも必ず終わりのときに救うことを告げられています。

神は、世界中から神に聞き従う者を(世の基が据えられる前から)選ばれ、救い出されるのです。


ヨハネの福音書 8:47

「神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」」


(※それとは別に、神の民に愛の行いをした人は肉体を持って救われます⇒マタイ25:31~46)

 

すべての目的は

新しい天と新しい地で

天のエルサレムと地のエルサレムが一つとなり、

神と人が共に住むための家が(新エルサレム)

完成することです。

 

それは贖い出された人々が

キリスト(神)と結婚することでもあります。

 

●黙示録21:2

「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。」

 

 

永遠に生きられる方、神、キリストのいのちを持ち、

神、キリストとともに住まうので、

贖われた者は永遠のいのちを持つのです。

 

 

●歴代誌Ⅱ33:4

「こうして彼は、主がかつて「エルサレムにわたしの名がとこしえにあるように」と言われた主の宮に、いくつもの祭壇を築いた。」

 

●詩篇45:6

「神よ あなたの王座は世々限りなく 

あなたの王国の杖は公平の杖。」

※王国はキリストの王国を指す

 

●ヨハネの福音書5:24

「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」

 

 

 

 サタンの狙い、サタンが人間にしてきた策略とその実現の数々

 

 サタンは人が造られて以来

常に、神のご計画が成就するのを妨げてきました。

サタンの狙いはすべての人を『死』(霊的死)

に追いやることです。

 

ここではサタンの策略の数々を

見てみましょう。

 

 

女(エバ)を欺き、男と女を善悪の知識の木から食べさせ、堕落させる。

 

人・男は神に仕えるために造られました。

●創世記2:15

「神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。」

 

耕させ=これは「神に仕えさせ」、という意味。

まだこのころ(人・男が堕落するまで)は人は地を耕していなかったのです。

 

 

神は人・男にこう言われました。

 

●創世記2:16,17

「神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」」

 

 

 

しかし、蛇は女をこのように欺きました。

 

●創世記3:4「すると、蛇は女に言った。

「あなたがたは決して死にません。

それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、

神は知っているのです。」」

 

 

蛇は大胆にも、神が間違っていると言ったのです。

 

そして、女は自分自身の自由意志を持って

善悪の知識の木=善悪を知る木、から食べることを行ったのです。

 

知る=とはへブル語で交わる、関係を持つということです。以下の聖句からわかります。

●創世記4:1

「人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は、主によって一人の男子を得た」と言った。」

 

非常に恐ろしいことを、女はしてしまった、のです。

蛇と女は交わった、ということになります。

 

古代神話には、半分が人で半分が蛇という存在が

いくつも出て来ますので、

これは女が堕落して以来、おそらく実在した生き物なのでしょう。

 

 

人が交わるのは神だけであるべきです。

 

にも関わらず、

蛇=龍(竜)=サタンを本物の神として崇拝している人々が、世界に非常に多くいるのです。

 

●ルカの福音書4:6

「こう言った。「このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。」」

 

 

 

それは、

人間の現世利益からくるサタン信仰であることを

私たちは覚えておかなければなりません。

 

 

この策略に対し、神は

女の子孫からキリストを産ませることによって、

対抗します。

 

そして人のからだに罪として入り込んだ

サタンに対抗し、

キリストがいのちを与える御霊となり

信じる者の霊の中に入って来ることになるのです。

 

 

カインによって、神の民アベルを迫害し、殺す

 

エバ(すべてのものの母・アダムの妻)は

カインとアベルという男子を産みます。

 

カインは大地を耕し

アベルは羊飼いとなりました。(創世記4章参照)

 

 

カインは大地の実りを、

アベルは羊の初子の中から肥えたものを

それぞれ主にささげ物として持っていきました。

 

神はアベルのささげ物に目を留められ、

カインのささげ物には目を留められなかったのです。

 

なぜだかわかりますか?

 

それは、アベルは神が人類の贖いのために、

子羊(キリスト)をささげ物としてささげるビジョンを見ていたからです。

 

ですから、神はアベルのささげ物に目を留められたのです。

 

 

一方、カインは自分の肉の(魂の)思いにより、

立派に実った作物をささげたのであって、

神のみこころには心を留めていなかったことになります。

 

そして、カインは嫉妬のあまり、アベルを殺しました。

 

 

つまり、

人間は神のみこころを遂げる者人間の思いを遂げる者とに分かれることになります。

 

 

神の子とサタンの子の関係は

このカインとアベルのお話から

現在に至るまで脈々と受け継がれているのです。

 

 

そして、この策略に対して神は

セツ、という第三の子をエバに産ませます。

このセツから、神の民が生まれることになるのです。

(創世記4:25)

 

 

 

サタンの手下の御使いたちが人間の女たちを見初め、手を出す

 

蛇が男と女を堕落させた後、

神は蛇の子孫と女の子孫に敵意を置きました。

これはキリストが到来することを

神が明言されたということです。(創世記3:15)

 

そのため、蛇、サタンは考え、思いつきました。

キリストが生まれないようにしたらよいのだ、と。

 

 

サタンは神に反逆したケルブでした。

ですから非常に優秀であったのです。

 

※ケルブ(複数形=ケルビム)・・・御使いのエリートでサタンは天使長であった

 

●エゼキエル書28:14,15

「わたしは、油注がれた守護者ケルビムとしてあなたを任命した。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いていた。

あなたの行いは、あなたが創造された日から、あなたに不正が見出されるまでは、完全だった

。」

 

そしてサタンは人が創造される前、エデンを守っていたのですが、神のようになりたいとの思いから反逆を企てました。

そして神からさばきを受け、エデンから追放され、裁かれたのです。そして反逆した御使いたちは底知れぬ所に鎖で繋がれ、(ユダの手紙 6節)

反逆した霊たちは大水の下に沈められ、悪鬼となりました。

 

※詳しくはエノク書をご覧ください。正典ではありませんが、使徒たちはエノク書を読んでいました。

●ユダの手紙 1:14

「アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は何万もの聖徒を引き連れて来られる。」

 

 

女の子孫に敵意を置かれた後、サタンは、自分の後に創造された人を滅ぼそうと、

自分の手下の御使いたちを使い、人間の娘たちと交わるようにしました。

 

●創世記6:1~2

「さて、人が大地の面に増え始め、娘たちが彼らの間に生まれたとき、

神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。」

 

 

 

そして生まれたのがネフィリムです。

ネフィリムは巨人であったと七十人訳でははっきりと書かれています。

 

●創世記6:4「当時もその後も、大地には巨人たちがいた。神の子らは人間たちの娘たちのもとに出入りしては、自分たちのために産ませるのだった。その者たちは太古からの巨人たち、その名がよく知られた者たちだった」(七十人訳)

 

 

つまり、巨人族を産むことで、食料が無くなっていくことで、人類を滅亡の方向に向かわせたのです。

(※このとき、神が人間の寿命を120年としています。(創世記6:3)

現在最も長寿の方の年齢は119歳だそうです。)

 

 

 

そうして、この策略に対し、

神は洪水によって人類を滅ぼすことを決意されたのでした。

これがノアの箱舟です。

 

 

ノアの箱舟は、聖書にあるようにトルコのアララテ山

(創世記8:4)に現存しています。

しかし、トルコ政府は調査、研究を許していません。

 

 

イスラエルが異邦の文化(雑婚・偶像礼拝)と混ざり合う

 

 

イスラエルは神が治める王国として成立しましたが

その期間は長くはありませんでした。

 

初代王、サウルは肉の人で神の人ダビデを迫害しました。

 

ダビデ王が唯一、神のみこころを遂げた王です。

 

 

ソロモン王は初めは神のみこころに立ち、

エルサレム第一神殿を立派に建てられたのですが、

ミスを犯しました。

 

実はこの第一神殿の中に十二の牛、

つまり偶像が紛れていたのです。

(列王記Ⅰ 7:25)

 

それは、それらの神々を信仰をしていた、

ティラムの建築家が建てたからに違いありません。

 

 

ソロモンは世界から多くの側女を娶っていたので、

世界のあらゆる偶像を持ち込むこととなりました。

それが、イスラエルの分裂(北イスラエル王国と南ユダ王国)につながります。

 

 

全地全能唯一の神、イスラエルの神は

他の神々、偶像を何より嫌われます。

神はねたみの神なのです。

 

●出エジプト34:14

「あなたは、ほかの神を拝んではならない。

主は、その名がねたみであり、ねたみの神であるから。」

 

● イザヤ書 44:8

「おののくな。恐れるな。

わたしが、以前からあなたに聞かせ、

告げてきたではないか。

あなたがたはわたしの証人。

わたしのほかに神があるか。

ほかに岩はない。わたしは知らない。

 

 

 

それ以後もイスラエルは

神と偶像(他の神々)との姦淫をやめませんでした。

 

イスラエルは神の妻だったのにも関わらず、です。

 

●エゼキエル16:8

「わたしがそばを通りかかってあなたを見ると、ちょうど、あなたは恋をする年ごろになっていた。わたしは衣の裾をあなたの上に広げ、あなたの裸をおおった。わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだー神である主のことばー。そして、あなたはわたしのものとなった。」

 

 

結果、ユダヤの人々は

バビロンに捕囚とされることになります。

 

 

この策略に対し、神はイスラエル民族に罰を与え、

また、キリストを地上に遣わされることになります。

 

 

 

キリストの教え(使徒たちの教え)に異端の教えを加え、善悪をひっくり返す

 

キリストは異端の教えを「パン種」と表現しました。

 

 

●マタイの福音書13:33

「イエスはまた、別のたとえを彼らに話された。「天の御国はパン種に似ています。女の人がそれを取って三サトンの小麦粉の中に混ぜると、全体がふくらみます。」」

 

「女」は罪、姦淫の象徴です。

わずかにでも教会の中に異端の教えが入ると、

すべてに広がってしまうものなのです。

 

 

使徒たちの時代にはすでに

異端の教えがはびこっていて

使徒たちを悩ませていたようです。

 

特に、グノーシス主義は

魔術師シモン(使徒の働き8:9)を祖とし、

初期の教父たちによって広められました。

 

そこでは、神を悪魔、悪魔を神とする教えでした。

現在のスピリチュアルの原型です。

 

 

この策略に対し

神(キリスト)はヨハネに

黙示録の啓示にて、

教会の残りの者に対し、勝利者なる者となるように

励まし、促しました。(黙示録2,3章)

 

 

ヨハネは異端の教えに苦しんだ使徒です。

(※ヨハネの手紙参照)

 

こうしてキリストは、

勝利者たちを教会の代表とすることで

教会を完全なものにする道をつくられたのです。

 

 

 

教会を姦淫させる

 

初代教会は すべてを分かち合い、

愛を持つ平等な祈りの共同体であり

決して、ユダヤの宗教家のように権力を奮ったり、

差別したり、階級制度があったりはしませんでした。

(黙示録2:6など)

 

ところが、

コンスタンティヌス帝のローマ時代になると、

キリスト者を迫害しても

またたく間に信者が増えるので

キリストの教えを受け入れてしまい、やがて

キリスト教はローマの国教とされてしまいます。

 

ローマ・カトリック教会が成立したのは

600年後とか、かなり後になってからのことです。

 

政治権力と結びつくということは

富を求めて政治に利用され、

また政治に花を添えるための宗教と化すことであり、

それはキリストの教えとは全く違うものでした。

 

 

●黙示録2:16

「だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、

わたしの口の剣をもって彼らと戦う。」


 

これに関しても

終わりの時代になれば、すべてが明らかにされ

キリストによってさばきを受けることになります。

 

 

 

 

 これを覆し、神のご計画を完成するのはイエス・キリストだけ

 

これらのサタンの策略を覆し、

神と人とが共に住む家を造る、

という神のご計画を完成させるのは

イエス・キリストだけです。

 

黙示録の七つの封印を解くことができたのも

神の子羊なるイエス・キリストだけでした。

(黙示録 5 : 9、10)

 

 

それは、イエス・キリストが神の新契約を結んだ張本人(ルカ22:20)であり、

いのちを与える御霊(Ⅰコリント15:45)となって、人々の中に心の律法を刻み、

(エゼキエル11:19,20、Ⅱコリント3:3)

永遠のいのちをもたらす方(ヨハネ3:15)

だったからです。

 

 

キリストが神と人とが共に住む家を造るプロセスは

以下の通りです。

 

 

プロセス1:神の御子キリストが肉体を持ち、人として地上に下って来られる

 

キリストは人ですか?神ですか?

キリストは人であり、

神と一体である神の御子であられるのです。

 

これが、最も重要な認識なのです。

これを信じることがもっとも基本的なことです。

 

キリストが肉体を持ち、

人としてこの地上に来られたことは

神がわたしたち人間とともに住まうための

第一プロセスでした。


ヨハネの手紙 第二 1:7

「こう命じるのは、人を惑わす者たち、イエス・キリストが人となって来られたことを告白しない者たちが、大勢世に出て来たからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。」


 

 

プロセス2:キリストが十字架にかけられる

 

それはご承知の通り

キリストが私たちと同じ肉体を持つことで、

私たちの罪の肉体を代表し、身代わりとなって

この罪の体を神によってさばかれてくださったのです。

 

それは、キリストを信じた私たちの罪が赦された瞬間でもあります。

 

ローマ人への手紙6:6,7

「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。

死んだ者は、罪から解放されているのです。」

 

 

キリストは生きています。

私たちも、キリストを信じることで、

キリストとともに生きるのです。

 

ローマ人への手紙6:8

「私たちがキリストとともに死んだのなら、

キリストとともに生きることにもなる、

と私たちは信じています。」

 


こうして私たちはキリストにあって生きる者となりました。

 

 

プロセス3:いのちを分け与える御霊となる

 

イエス・キリストが生きられた期間

実際に出遭われた多くの人々の病を癒されました。

 

しかし、それでは限られた人々だけしか

救うことがおできにならなかったのです。

ですから、キリストはいのちを与える御霊となりました。

 

●コリント人への手紙Ⅰ 15:45

「こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。」

 

●ローマ人への手紙8:11

「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」

 

 

このいのちを与える御霊(聖霊)は

どのような役割をするのでしょうか。

 

 

 

①祈りをとりなしてくださる

 

●ローマ人への手紙8:26

同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。

 

 

 

②キリストを証しし、すべての真理に導いてくださる

 

●ヨハネの福音書15:26

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。」

 

●ヨハネの福音書16:13

「しかし、その方、すなわり真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。」

 

 

③私たちの心を造り変えてくださる

 

●ローマ人への手紙12:2

「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

 

つまり、御霊によって何が神のみこころで、何が罪(=的外れ、神から外れている)なのか気づきを与えられ、

十字架をもって悔い改めることで日々赦しを認識し、自分の努力ではなく、御霊によって自然と罪を犯さないようになること

 

 

プロセス4:勝利をした人々を天に召し、教会を空中に贖う

 

上記のとおり、教会はサタンによって堕落しました。

ですが、主は教会(キリストを信じ、キリストのいのちを持った者たち)を必ず贖われます。

 

●ヨハネの福音書3:16

「神は。実に、

そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 

しかし、この恵みの時代では完成することができないのです。

それは、この時代にはサタンがいるからです。

 

ですので、勝利者たちを教会の代表とし、

彼らによって教会を完全なものとするのです。

 

 

プロセス5:イスラエルを贖う。再び地上に来られるときはすべての悪をさばかれる

 

イスラエルは上記のとおり

神の妻であるにも関わらず、

神と偶像(神々)の両方を拝み姦淫の罪を犯しました。

 

●エゼキエル16:15

「ところが、あなたは自分の美しさに拠り頼み、自分の名声に乗じて姦淫を行い、通りかかる人がいれば、だれにでも身を任せて姦淫をした。」

 

また、神のみこころとはいえ、

神の御子であられるキリストを拒絶し、

ローマ人を利用し、十字架につけました。

 

●使徒の働き2:23

「神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。」

 

そして、ユダヤ人たちは懲らしめを与えられ、

エルサレムはA.D.90年崩壊し、ユダヤ人たちは

困難の歴史をたどることを余儀なくされます。

(ディアスポラ=世界離散)

 

しかし、これは

世界の人々がキリストを知るためであり、

イスラエルの残りの者(レムナント)は

終わりの時代に救われます。

(イザヤ書63:16)

 

●アモス書4:2

「神である主は、ご自分の聖にかけて誓われる。「見よ、その時代がおまえたちに来る。おまえたちは釣り針にかけて引き上げられる。最後の一人までが、銛で突かれる」」

 

 

千年王国では肉体を持って救われ、

約束の地を相続します。

(エゼキエル書48章)

イスラエルは再び神の妻として

永遠に生きるのです。(イザヤ書60:19~21)

 

●ホセア書2:19、20

「わたしは永遠に、あなたと契りを結ぶ。義とさばきと、恵みとあわれみをもって、

あなたと契りを結ぶ。

真実をもって、あなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知る。」

 

 

 

 

 

プロセス6:千年王国ですべての贖われた者を花嫁とし、完全なものへと整える

 

空中に上げられた大多数の信者は、千年王国で

神の取り扱いを受け、花嫁として整えられます。

(マタイ22:12,13など)

 

 

●黙示録21:2

「私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。」

 

●ヨハネの黙示録 21:10

「そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のみもとから、天から降って来るのを見せた。」

 

 

これは千年王国の後、

大きな白い御座のさばきのが終わった、

新天新地でのできごとです。

 

 

 

プロセス7:新エルサレムで神のご計画が完成する

 

こうして、すべての贖われた者が

神とともに永遠に住まうことになるのです。

 

黙示録21:3

「私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。

「見よ、神の幕屋が人々とともにある。

神は人々とともに住み、人々は神の民となる。

神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」

 


これは、新天新地のできごと、

つまり、新しいエルサレムが出来たことを示す。(※前項目参照のこと)

 

すべての贖われた者たちは

いのちの木を食べ、

神と子羊の光の中で永遠に生きるのです。

 

 

●ヨハネの黙示録 22:14

「自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。」

 

●ヨハネの黙示録 22:5

「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。」

 

 

 

 ~霊を見極めるために~ 目を覚ます、ということが勝利を左右する

 

 

主イエスは弟子たちにこう言われました。

 

●マタイ24:42

「ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。」

 

キリストが迎えに来てくださったかどうか知るには

「目を覚ます」ことが大切なのです。

 

では、目を覚ますということはどういうことなのでしょうか。

それは、上記に記載した

サタンの策略を見極めることです。

 

 

ヨハネはこのように告げています。

 

●ヨハネの手紙Ⅰ 4:1

「愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。

偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのもかどうか、吟味しなさい。」

 

これは大切なことなのです。

あるクリスチャンが聖霊だと思っているのは、

実は悪霊であることがあるのです。

 

 

「私たちはキリストを信じ、教会に通っています」

と言われるかもしれません。

 

 

しかし、その教会を悪霊、サタンが支配しているということは往々にしてあることです。

サタンは教会を狙っているのですから。

 

 

サタンは巧妙です。女を欺いた蛇のように。

そして、真理を偽りと取り替え、

私たちに姦淫させようとするのです。

 

●ヨハネの手紙Ⅰ 4:6

「私たちは神から出た者です。神を知っている者は私たちの言うことを聞き、神から出ていない者は私たちの言うことを聞きません。それによって私たちは、真理の霊と偽りの霊を見分けます。」

 

サタンは「次に生まれ変わって、勝利したらいい」

と欺いて来ます。

しかし、聖書の世界にセカンドチャンス(生まれ変わり)はありません。

 

●へブル人への手紙9:27

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」

 

 

あなたは、サタンの言葉に耳を傾けられますか?

それとも、神のことばに聞き従いますか? 

 

 

 

どうか、すべての聖徒たちが

目を覚ましていられますように。

 

時は 確実に近づいて来ています。

どうか、油を整えられますように。

 

 

 

 神は、愛で支配されるお方である 力で支配するのはサタンのわざである

 

ではなぜ

神はサタンを滅ぼさなかったのでしょうか?

 

 

神は、私たちを成就させるために

サタンを完全に滅ぼさずにおきました。

 

私たちのからだの罪のゆえに

神に義とされ、成就することが

人間には簡単ではないことが

神にはおわかりになっているのです。

 

 

神は永遠の王です。

しかし、決して力によって私たちを支配されません。

 

その証拠にわたしたちに

「自由意志」をくださいました。

 

 

神は私たちの意志で

神を愛し、この世の、サタンの事柄から離れて、

神のところへ来ることを望んでおられるのです。




●雅歌8:4

「エルサレムの娘たち。私はあなたがたにお願いします。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは。」

 

 

だれも、力で神を、愛させることはできません。

力で支配するのはサタンです。

 

神は与えられる神です。神は愛であり、光であり、

いのちです。

恵みをキリストとして限りなくお与えになる方なのです。


●エペソ人への手紙 5:2

「また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。」


 

 

それを日々の生活の中で受け取っているでしょうか。

 

受け取っていないとすれば

それは私たち人間の受け取り方に問題があるのです。



●コリント人への手紙 第二 9:8

神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。



マーリン•キャロザースの

『賛美の力』を是非読んでみてください。

心から求める人には きっと

神の愛を体験する道が開かれるでしょう。



 

 

すでに神は

私たちに与えておられるのです。


 


与えられたものに感謝と賛美をささげ、

神のみこころを 心から祈る者であることができますように。