聖書は、一体誰のために、

何のために書かれたのでしょうか。

 

聖書は、神が預言者や使徒たちを通じて

全人類に宛てられた、

「永遠のいのちへの招待状」です。

 

 

[テトスへの手紙 1:2]

それは、偽ることのない神が永遠の昔から約束してくださった、

永遠のいのちの望みに基づくものです。

 

 

 

それは、神の、

「キリスト」というご計画に基づいています。

もう少し具体的に言うと 

「キリストが建てる家で、神と人とが永遠に共に住む」というご計画です。

(黙示録21:3)

 

 

聖書全体を俯瞰すると、

非常にダイナミックなご計画であり、

わたしたちの想像を絶するものです。

 

全く、神にしかおできにならないことです。

 

 

今回は、聖書全体を俯瞰するのではなく、

いのちの視点から、神のご計画を垣間見てみようと思います。

 

 

 

 

神は、キリストにより、

わたしたちに神ご自身を

「いのち」また「聖霊」「神のことば」を通して

与えてくださいました。

それが、「恵み」です。

(ヨハネ1:17)

 

わたしたちは永遠の昔から、キリストにあって

恵みを受ける者として

キリストの中で選ばれていました。

 

[エペソ人への手紙 1:5、6]

神は、みこころの良しとするところにしたがって、

私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

 

 

わたしたちの救いは、

わたしたちの働きではなく、

神のご計画と恵みによっています。

 

[テモテへの手紙 第二 1:9]

神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、

それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。

この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、

今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。

キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。

 

 

それはイエス•キリストによって

信じた者が、永遠のいのちを持つようになることです。

 

[ヨハネの手紙 第一 5:13]

神の御子の名を信じているあなたがたに、

これらのことを書いたのは、

永遠のいのちを持っていることを、

あなたがたに分からせるためです。

 

ですから、イエス・キリストなしに、

この神のご計画は達成することができず、

また人間は、救いを受けることもありません。

 

 

 

神のみこころの奥義については、

旧約時代のイスラエルの預言者たちには

明らかにされませんでした。

 

[エペソ人への手紙 3:5]

この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、

今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。

 

 

旧約時代の預言者たちが証ししたのは、

おもに、ダビデの家系から出るメシア(キリスト)の存在と、

神の御救いの過程の啓示(出エジプト)であって、

 

終末論については、

メシアのさばきによって

エルサレムを中心にメシアの王国が建てられ、

アブラハムとの約束に基づき、

イスラエルが祝福を受けることが中心でした。

 

 

ですから、彼らにとっては

地上の祝福がメインなのです。

なぜなら、彼らの相続は「土地」だからです。

 

 

 

一方、キリストにある聖徒たちにとっては

天の祝福がメインです。

 

[エペソ人への手紙 1:3]

 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。

神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

 

わたしたちは、

キリストとともに神の共同相続人です。

(ローマ人への手紙8:17)

 

アブラハムの子孫=イエス・キリストからの相続分は「神ご自身」なのです。

 

なぜかというと、

祭司の家系、レビ人(祭司の部族)は

兄弟たちのように相続地を持たず、

神ご自身が分け前であったからです。

(申命記10:9)

 

新約のすべての聖徒たちはみな、王なる祭司です。

(ペテロの手紙Ⅰ2:9)

それは、王であり、大祭司であるキリストのいのちを生きている、ということです。

(ピリピ人への手紙1:21、ガラテヤ人への手紙2:20)

 

千年王国では、勝利者がキリストとともに地を治めます。

(黙示録2:26,27、12:5,20:6)


 

 

キリストにある聖徒は、

キリストのように神の聖霊を持った、

地上を生きる天の住人です。

 

※前ブログ参照

 

 

 

 

わたしたちは、

この血肉のからだにいただいた、

神聖な神(恵み)を成長させ、

神の栄光を現すことによって、神を賛美します。

 

[エペソ人への手紙 1:6]

それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

 

[エペソ人への手紙1:6回復訳]

それは、愛する者の中で、神がわたしたちを恵まれた彼の恵みの栄光の賛美となるためです。

 

 [コリント人への手紙 第二 4:7]

私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、

私たちから出たものではないことが明らかになるためです。

 

 

エペソ1:6にある、この賛美は、歌を歌うことではありません。

歌を歌うことも必要ですが、

本質は聖霊によって、主にあって喜ぶことなのです。

 

[ローマ人への手紙14:17]

なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。

 

 

恵みによって、

わたしたちから神のわざが現れた(まこと⇒ヨハネの福音書1:14、実際)ことを喜び、

神に栄光をお返しする、ということです。

(ヨハネの福音書14:12)

 

すべては神から出ていることですから、

神に栄光をお返しするのが筋であり、

またそれは、天にある喜びなのです。

 

 

これが、キリストのからだの役割です。

 

 

 

ですから、キリストの弟子が増えれば増えるほど

また、いのちが成熟されればされるほど

神の栄光は増し加わります。

 

[ヨハネの福音書 15:8]

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによってわたしの父は栄光をお受けになります。

 

 

 

 

 

神の永遠のご計画の実現の奥義は、

キリストの使徒・預言者によって明らかにされました。

その役割は、主にパウロに託されました。

 

パウロはこう言っています。

 

[エペソ人への手紙 3:9]

また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた

奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするためです。

 

 

神のご計画の実現は、

恵みを受けた聖徒たちが、勝利を得ることや、

大患難によってそのいのちが成熟をされ、

神のものとして収穫されて、

(黙示録14:15,16)、天で神に得られます。

 

その後、キリストが再び地上にやって来られ、

地上のサタンの王国を滅ぼし、

地に神の国(メシア王国)が建てられます。

 

そのとき、サタンを拝む人々は滅ぼされ、

イスラエルの残りの者(レムナント)と生き残った異邦人が地上でメシア王国に入り、生きます。

 

千年王国の期間、地のしもべたちは

キリストの訓練を受けるでしょう。

 

 

 

一方、キリストにある聖徒たちは、

キリストの地上再臨時までに

すでに御霊のからだに変えられ、上に挙げられています。

 

多くの天のキリストの聖徒たちは

千年王国期間中、天で訓練を受けるでしょう。

 

そうして勝利者たちとともに、キリストのからだ、

すなわちキリストの造る家(神の宮、霊の家)を建造します。

 

そしてキリストの花嫁として準備をし、

千年王国の時代の後、

花嫁が完成され,天から下って来て

地上において神の家(新エルサレム)が完成します。

(黙示録21:2,10)

 

そこに神とキリストが住まわれるのです。

 

 

 

 

そういうわけで、みこころの奥義とは、

キリストによってすべてのものが一つに集められることです。

 

 

[エペソ人への手紙 1:9、10]

みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。

その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、

時が満ちて計画が実行に移され、

天にあるものも地にあるものも、

一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。

 

[ヨハネの福音書 12:32]

わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」

 

 

 

このことは、

イスラエルの「初穂の祭り」に啓示されています。

(レビ記23:10,11)

収穫の初穂の束が、祭司によって

(四方向に)揺り動かされるのは、

キリストにあってすべての人が一つに集められることを啓示します。

 

 

そういうわけで、

人と成られた神の子、

メシアでありキリストであるイエスが、全世界の王であり、

すべてのものの上の権威であることを

示す以外に何があるでしょうか。

 

 

世の人々は、この方を知らず、

反逆さえしているのです。

 

現在世界を動かしている、

WEF(世界経済フォーラム)のトップは、

神は死んだ、と言い、イエスはフェイクニュースであると言って憚(はばか)りません。

 

また、多くの宗教システムについても、

聖書の教えを亡き者にしているのではないでしょうか。

(エレミヤ書8:8)

 

 

たとえ世界の闇に気づいても、

たとえ多くの人たちが、闇の勢力に抗ったとしても

人間の力では、サタンに打ち勝つことができません。

 

 

サタンの王国に打ち勝つのは

イエス・キリスト、

キリストの霊を持ったエクレシア(霊的教会)、

神の国、キリストの王国以外にないのです。
 

 

この聖書の真理に、

いのちの教えに、目が開かれることが

本当の目覚めなのです。

 

キリストはこう、言われました。

 

 

[マルコの福音書13:37]

わたしがあなたがたに言っていることは、

すべての人に言っているのです

目を覚ましていなさい。

 

 

これから、困難な状況で、生活に追われていくと

このようなことを考えられなくなり、

地上のことで頭がいっぱいになりがちです。

 

でも、聖書のことばは真実であり、

神は真実な方であられます。

神は、必ずすべての預言を成就してくださる方なのです。

 

 

どんなときも、祈り続けてください。

 

家族のためだけでなく、兄弟姉妹たちのため、

すべての聖徒のため、イスラエルのため、

そしてあなたが最後まで信仰を保つために。


主イエス・キリストが来られたとき

愛と信仰を保っている、あなたを見つけていただくために。

 

 

[コリント人への手紙 第二 4:18]

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。

見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。