鳥居ミコですキラキラキラキラ

 

 

 

 

今日は

 

母親への許せない気持ち

 

をテーマに

 

お届けしたいと思います。

 

 

 

 

 

お仕事の場面で

 

時折

 

「母親に対する

 

許せない気持ちが

 

なくならない」

 

というお悩みを伺うことがあります。

 

 

 

 

そういったお悩みを

 

持つ人は

 

実は

 

少なくありません。

 

 

 

 

 

許せないの度合いに

 

大小はありますが

 

 

 

子供の頃に

 

 

・理不尽に怒られたり

 

・暴力を振るわれたり

 

・別の兄弟姉妹ばかり可愛がっていたり

 

・ひどいことを繰り返し言われたり

 

・育児放棄をされたり・・・

 

 

そんな体験が

 

鮮烈な記憶となって

 

大人になっても

 

居座るためです。

 

 

 

 

 

そして

 

こういった体験と記憶は

 

 

(大好きで愛してもらいたい

 

母親に対して

 

許せないという気持ちを持つ

 

自分のことが許せない・・・)

 

 

そんな風に

 

無意識に思うことに

 

繋がっていることが

 

あって。

 

 

 

 

それが

 

幸せになることへの抵抗

 

を生み出してる場合が

 

よくあるんです。

 

 

 

 

 

 

そこで

 

 

大人になっても

 

母親を許せないという気持ちに

 

悩む方に

 

私の体験がお役に立つかもしれないので

 

 

書いてみますね。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

私が

 

自分の中に

 

母を許せない思いがあると

 

初めて気づいたのは

 

 

たしか

 

25〜6歳頃のことでした。

 

 

 

 

 

それは

 

最初の結婚をした後でした。

 

 

 

 

どうしても

 

子供が欲しいと思えない。

 

 

 

そんな自分は

 

なぜそうなんだろう?

 

と悩んでしまったのです。

 

 

 

 

当時の夫が

 

学生時代の彼女と切れてなくて

 

婚約中に旅行に行っていたことが

 

発覚したり

 

 

結婚してからも

 

二人で会っていたことが

 

わかって

 

衝撃を受けたこともあって

 

 

それが許せないからかなと

 

思ったこともありました。

 

 

 

 

 

でも

 

ある時

 

はたと気づいたんです。

 

 

 

 

 

4歳から6歳くらいまで

 

母に

 

ものすごいひどい

 

暴力を受けていたこと。

 

 

両手の指の間に

 

お灸をされて

 

折檻されたこと。

 

 

そして

 

繰り返し怒鳴られていたこと。

 

 

ピアノの練習をしないと

 

庭に全部の楽譜を

 

投げられたこと。

 

 

 

いつも

 

全力で

 

泣き叫んでいたこと。

 

 

 

そんな日々を

 

振り返るほどに

 

 

私が子供を持ったら

 

同じことを

 

してしまうのではないかと

 

怖くて仕方なかったのです。

 

 

 

 

 

それで

 

思いあまって

 

母のところに行き

 

 

正面から

 

聞いてみました。

 

 

 

 

「どうして子供の頃

 

あんなにひどいことを

 

私にし続けたの?

 

殴ったり蹴ったり

 

引き摺り回したり

 

お灸を据えたり。

 

私、そんなに悪いことをしたのかな?」

 

 

 

 

すると母は

 

血相を変えて

 

 

「そんなひどいことを

 

お母さんがするはずないじゃない!

 

あなたはいつまでも

 

そんなことを言ってるから

 

大人として成長できないのよ」

 

 

と怒りました。

 

 

 

 

「いつだって加害者は

 

覚えていないって言って

 

被害者は、たとえ一回でも

 

悲しくて辛くて

 

やられたことを忘れないのに

 

何度もやってたのに

 

覚えてないって言えるなんて

 

理解できない。

 

ひどいよ!!」

 

 

 

泣きながら抗議する私。

 

 

 

そんな

 

喧嘩のような状態に

 

なってから

 

 

後日

 

母からは

 

手紙が届くのです。

 

 

 

 

「あなたは相変わらず

 

大人になれていないわね。

 

そんなことじゃ

 

まともな子育てはできないわよ」

 

 

 

それを読んで

 

さらに傷つく私。

 

 

 

 

(あなたに言われたくない)

 

そう心の中で

 

叫びながら。

 

 

 

 

 

それで

 

顔を合わせる機会が

 

あるたびに

 

 

「あなた。子供はまだなの?」

 

 

なんて聞かれて

 

 

私の心は

 

どんどん

 

ササクレだって行きました。

 

 

 

 

 

やがて

 

思い出しました。

 

 

 

 

私が23歳の時

 

卒業論文を書いていて

 

入院していた

 

父の最期に

 

間に合わなかった時に

 

 

母から

 

「あなたには

 

生きる資格がないのよ」

 

と繰り返し

 

言われたことを。

 

 

 

 

 

(私に

 

死ねと言ってるの?)

 

 

 

 

あの言葉は

 

ずっと矢のように

 

心の奥まで

 

刺さっていたのです。

 

 

 

 

 

 

私の中の怒りの炎は

 

そういった記憶を

 

手繰り寄せては

 

 

マグマのように

 

燃えたぎるのです。

 

 

 

 

 

 

母は

 

「子供は早く作った方がいいわよ」

 

とか

 

「専業主婦やって子育てするのが

 

女性の一番の幸せよ」

 

とか

 

 

27歳の私に

 

繰り返し

 

自分の価値観で

 

こういう生き方をすべき…

 

という話を

 

してくるわけです。

 

 

 

 

 

そういうことに

 

ほとほと嫌気がさした私は

 

 

母への怒りと反発もあって

 

 

突如

 

28歳の時に

 

司法試験を受けて

 

法曹界に入ることを

 

決意したのです。

 

 

 

 

 

やがて

 

31歳の秋に

 

司法試験に合格した時

 

 

(これなら文句ないでしょ)

 

 

と思っていた私に

 

母はこう言いました。

 

 

 

 

「なんであなたは

 

好き好んで

 

茨の道を選ぶのかしら。

 

ばかね。」

 

 

 

 

 

今思えば

 

進学した大学は

 

母がずっと行きたかった大学で

 

 

ついた仕事は

 

母が願っていた

 

専業主婦とは真逆の道で。

 

 

 

 

何をするにも

 

母を基準にした

 

「母軸」

 

だったのです。

 

 

 

 

 

司法試験に合格したことで

 

私は

 

自分のやりたいことを

 

努力を重ねてできるようになった

 

喜びでいっぱいでした。

 

 

 

 

ところが

 

母は

 

相変わらず

 

 

「子供を作って

 

専業主婦をするのが

 

一番幸せなのに」

 

 

と言っていました。

 

 

 

 

それで

 

私は

 

ほどなくして

 

離婚することを選んだのです。

 

 

 

 

子供が欲しいと思えないのに

 

一緒にいることにも

 

 

女性関係で裏切られたことを

 

許せないのに

 

一緒にいることにも

 

 

我慢できなくなったので。

 

 

 

 

 

そこから

 

しばらくの間は

 

仕事に没頭して

 

 

実家にも

 

ほとんど帰らず

 

 

自分の好きなように

 

生きていました。

 

 

 

 

 

ところが

 

母と電話で話したり

 

母の誕生日に

 

旅行に行ったりすると

 

 

そのたびに

 

喧嘩になってしまうのです。

 

 

 

 

 

私は

 

ただ

 

優しくして欲しいだけでした。

 

 

 

 

 

ところが

 

母は

 

「あなたは私の作品よ」

 

と言ってみたり

 

 

「あなたはいつまでも

 

精神的に幼いわね」

 

と言ってみたり

 

 

思うまま

 

ジャッジしては

 

私を否定するようなことを

 

言うんです。

 

 

 

 

 

思えば

 

褒められたことと言えば

 

大学に合格した時だけでした。

 

 

 

 

それ以外は

 

口を開くと

 

 

・あなたはダメだ

 

・あなたはバカだ

 

・あなたは私の言うことさえ聞けばいい

 

・あなたは子供だ

 

 

そんなことを

 

言っていたので

 

 

 

できるだけ

 

接触しないことが

 

私の心の平穏を

 

保てると

 

思うようになっていたのです。

 

 

 

 

 

 

そんなある時。

 

 

夏休みで旅していた

 

フランスから戻った時

 

 

留守番電話に

 

母の声で

 

伝言が入っていました。

 

 

 

 

「末期の子宮癌だそうです。

 

手術できないと言われました。

 

しばらく入院します。

 

色々よろしくお願いします。」

 

 

 

 

あの時の衝撃は

 

忘れられません。

 

 

 

 

猛烈な怒りが湧いてきたのです。

 

 

 

 

 

しょっちゅう

 

健康にだけは気をつけてと

 

言っていた母が

 

末期癌だという話が

 

全くもって

 

受け入れ難かったのです。

 

 

 

 

 

でも

 

よく考えれば

 

 

毎日一箱以上

 

タバコを吸う人だったし

 

 

お酒も

 

ものすごいたくさん

 

飲む人だったし

 

 

夜更かしばかり

 

していたし

 

 

およそ

 

健康に良いことを

 

しているとは

 

思えない生活を

 

していました。

 

 

 

 

 

入院してからの母は

 

病気を受け入れることが

 

なかなかできず

 

 

電話をかけてきて

 

文句を言ったり

 

愚痴を言ったり。

 

 

 

治療途中で

 

勝手に退院したり

 

 

その結果

 

尿毒症になって

 

再入院したりして。

 

 

 

手に負えない子供のように

 

なってしまったのです。

 

 

 

 

 

 

その結果

 

私は

 

気づいたら

 

 

母のお母さんのように

 

なっていたのです。

 

 

 

 

 

わがままをなだめたり

 

 

病気と向き合う方法を

 

色々な角度から

 

説明したり

 

 

必要だと思う本を

 

二冊ずつ買って

 

一緒に読んだり。

 

 

 

 

欲しいと言う

 

食べ物や飲み物は

 

全て

 

買って

 

会いに行きました。

 

 

 

 

 

そんな日々の中で

 

ふと思ったんです。

 

 

 

 

(ずるい)

 

って。。。

 

 

 

 

 

私は

 

母から

 

優しくしてもらったことが

 

まだ一度もないのに

 

 

母は

 

私から

 

すごく

 

優しくしてもらって

 

わがまま聞いてもらってる・・・。

 

 

 

 

私は

 

母を

 

許したわけじゃないのに

 

なんでこんなに

 

優しくしちゃってるんだろう!?

 

 

 

 

 

偽善者なのかな!?

 

 

 

 

そんなことを

 

思いながら

 

往復4時間かけて

 

病院まで通った日々も

 

ありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて母は

 

放射線治療が効いて

 

無事に退院して

 

 

自宅で

 

静かな生活を

 

送れるようになりました。

 

 

 

 

 

そこからは

 

毎週

 

私は

 

実家に帰る生活を

 

しました。

 

 

 

 

 

ただ

 

そんなに

 

身体の自由が

 

きかないはずなのに

 

 

今度は

 

母は

 

 

私が実家に帰ると

 

しょっちゅう

 

キッチンに立って

 

何かと世話を焼くように

 

なったのです。

 

 

 

 

桜を見に

 

散歩に出たり

 

 

お買い物に出かけたり

 

 

演劇を観に行ったり

 

 

美術館に行ったり

 

 

久しぶりに

 

穏やかな関係に

 

戻れた気がします。

 

 

 

 

 

 

でも

 

そんな日々は

 

2年7ヶ月ほどで

 

終わることになりました。

 

 

 

 

 

母の癌が

 

骨に転移して

 

 

いよいよ

 

自力で

 

歩くことが

 

厳しくなってきたのです。

 

 

 

 

すると母は

 

私の知らないうちに

 

病院の先生にお願いして

 

全ての段取りをつけて

 

ホスピスを見つけていました。

 

 

 

 

そして

 

そこに入院することにしたと

 

言ったのです。

 

 

 

 

 

そして

 

母がホスピスに

 

入院した直後

 

 

一度

 

尿毒症になって

 

意識混濁状態になったと

 

病院から連絡があった時。

 

 

 

 

私は

 

仕事先から

 

飛んで会いに行きました。

 

 

 

 

すると

 

もうすぐ危篤になりそうな

 

母が

 

ベッドに横たわっていました。

 

 

 

 

 

すぐに

 

担当医の先生と面談して

 

状況を説明してもらって

 

 

すぐさま

 

変えたばかりの

 

点滴を

 

元に戻してもらうことを

 

懇願しました。

 

 

 

 

そして

 

病室の母の前で

 

泣きながら

 

叫びました。

 

 

 

 

「勝手に死なないでよ!

 

まだ早すぎるよ!!

 

私を置いていかないで!!

 

まだ話したいことがあるのに!!」

 

 

 

 

 

それから

 

1時間ほどしたころ

 

 

母の意識が

 

奇跡的に戻ってきたのです。

 

 

 

 

 

 

大きなあくびをしたかと

 

思うと

 

 

「お腹すいた。

 

ラーメン食べたい。」

 

 

そう言ったのです。

 

 

 

 

 

 

母が帰ってきた・・・。。

 

 

 

 

 

慌てて

 

近くのラーメン屋さんに

 

電話をかけて

 

出前をお願いしました。

 

 

 

 

 

 

すでに

 

人工肛門になり

 

腎ろうも造設していたため

 

たくさんは食べられない

 

母だったけど

 

 

少しのラーメンを

 

本当に美味しそうに食べて

 

幸せそうでした。

 

 

 

 

 

その時

 

母に

 

「あなたがこんなに強い人だなんて

 

知らなかったわ」

 

と言われたのです。

 

 

 

 

 

どこから

 

強さを感じ取ったのかは

 

謎でしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜

 

看護師さんに呼ばれて

 

 

 

「お母様はこのところずっと

 

娘にそばにいてほしいけど

 

忙しい仕事をしてるから

 

お願いできないのって

 

おっしゃってるんです。

 

 

時間のあるときは

 

なるべく会いに来られませんか?」

 

 

 

と言われました。

 

 

 

 

 

そこで

 

私は

 

仕事を3ヶ月休むことにして

 

毎日実家からホスピスに

 

通うことにしたんです。

 

 

 

 

そして

 

母と

 

色々なことを話して

 

 

できるだけ母が

 

笑えるように

 

楽でいられるように

 

 

マッサージをしたり

 

音楽を聴いたり

 

ピアノを弾いたり

 

しながら

 

 

そばにいたのです。

 

 

 

 

 

母は

 

日に日に

 

赤ちゃんがえりをしていくようで

 

甘えん坊でした。

 

 

 

 

 

でも

 

私がいない間に

 

ちゃんと

 

お医者さんに

 

・延命措置をしないこと

 

・最後は痛みをできるだけなくすモルヒネを

点滴すること

 

これだけを

 

お願いしたそうです。

 

 

 

 

 

 

そして

 

12月のよく晴れた日の朝。

 

 

 

 

母は

 

私と兄の手を握りながら

 

ゆっくりと

 

旅立って行きました。

 

 

 

 

 

 

 

それで

 

母の最期を見届け

 

 

葬儀も終えて

 

 

実家も片付けて

 

 

私にできることは

 

全てやり終えたと思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが

 

それで終わりではなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

私の奥深くにあった

 

母親への許せないという気持ちは

 

再び

 

燃え上がることになったのです。

 

 

 

 

 

 

それは

 

程なくして

 

母が

 

生命保険の受取人を

 

兄だけにしていたことが

 

わかった時でした。

 

 

 

 

 

(あんなに最後まで

 

そばにいたのに。。

 

なんで私には何も残してくれないの?

 

なんの仕打ち!?)

 

 

 

 

その衝撃は

 

子供時代に遡って

 

 

兄ばかりが

 

ずっと世話を焼かれて

 

可愛がられていたことや

 

 

何かにつけ

 

欲しいものを

 

買ってもらっていたことまで

 

引っ張り出して

 

 

私を打ちのめしてくれたのです。

 

 

 

 

 

こうして

 

私の中にくすぶった

 

 

(どうせ私だけ愛されなかった)

 

 

(どうせ私はダメな人間なんだ)

 

 

そういう

 

拗ねた気持ちは

 

 

さらに強まって

 

 

残り続けることに

 

なったのです。

 

 

 

 

 

でも

 

そんなことは

 

全く気づいていなかった私は

 

 

とにかく

 

仕事の遅れを取り戻そうと

 

必死で仕事にのめり込みました。

 

 

 

 

 

そして

 

だんだんと

 

弱っている人を助けることに

 

一生懸命になっていったんです。

 

 

 

 

自分が疲れていても

 

弱い人のために

 

自分を犠牲にすることが

 

正義だと思っていました。

 

 

 

 

 

そうこうするうちに

 

年齢的にも

 

子供を持つなら

 

ギリギリだよなぁと思い始め

 

 

東日本大震災がきて

 

人生について色々考えていたころ

 

 

二度目の結婚をすることに

 

なりました。

 

 

 

 

 

ところが

 

その結婚をした直後に

 

流産をしてしまって

 

 

それをきっかけに

 

私の中に眠っていた

 

母の影が

 

再び大きくなり出したんです。

 

 

 

 

 

それは

 

相手が

 

心屋で言うところの

 

妖怪かわいそう

 

だったことから

 

顕在化したものでした。。

 

 

 

 

 

私の母も

 

ずっと

 

妖怪かわいそう

 

だったのです。

 

 

 

 

 

そして

 

 

私は子供の頃から

 

罪悪感がいっぱいで

 

 

・役に立てなかった
・助けられなかった
・期待に応えられなかった
・かわいそう

・助けてあげたい


という思いで

 

いつも母のことを見ていて

 

 

・親孝行しなくちゃ
・悲しい思いをさせちゃだめ

・苦労かけちゃだめ
・自慢の娘でなくちゃだめ

・いい子でいなくちゃ
・幸せになって欲しい

 

 

そう思い続けていたのです。

 

 

 

 

 

そんな母への思いを

 

今度は

 

自分のパートナーへと

 

投影し続けて

 

 

気づいたら

 

妖怪かわいそうは

 

餌を食べすぎて

 

 

超巨大になっていたのです。

 

 

 

 

 

その巨大な妖怪に

 

せっせせっせと

 

 

(こんな風に母に

 

接して欲しかったのになぁ)

 

 

そう思う接し方をして

 

 

一生懸命

 

気を使い

 

わがままを聞き

 

 

相手の意に沿うことを

 

やり続け。

 

 

 

 

 

とうとう

 

燃え尽きたんです。

 

 

 

 

 

 

私がそのことに

 

気づいたのは

 

2014年の春でした。

 

 

 

 

 

結局のところ

 

母は悪くなかった。

 

 

パートナーも悪くなかった。

 

 

 

 

 

私が

 

私の人生を生きるために。

 

 

 

 

母が○○だったから、とか

 

母が○○してくれなかったから、とか

 

母に○○して欲しかったから、とか

 

そういった

 

【母軸】

 

で何かを選択する生き方を捨てて

 

 

 

私が

 

私のやりたいことを

 

私の好きなことを

 

私の行きたい場所に向かえることを

 

選択しながら

 

生きていくために

 

 

 

全ての出来事は

 

あった・・・。

 

 

 

 

 

 

その生き方を

 

するためには

 

 

一度

 

ちゃんと

 

 

 

母のことが

 

大嫌いで

 

許せなかったことを

 

認めて

 

 

自分のことも

 

大嫌いで

 

許せなかったことを

 

認めて

 

 

母も

 

自分も

 

許してあげる必要

 

あったのです。

 

 

 

 

 

 

 

その上で

 

 

自分がこの世に生まれ

母の子供となったことで

どんなギフトを

受け取ってきたのか?

 

 

ということに

 

気づいて

 

理解する必要が

 

あったのです。

 

 

 

 

 

 

 

私は

 

母がいなければ

 

生まれてくることが

 

できなかった。

 

 

 

母がいなければ

 

赤ん坊の頃

 

育ててもらうことは

 

できなかった。

 

 

 

母がいなければ

 

ピアノを習えなかった。

 

 

 

母がいなければ

 

英語は話せなかった。

 

 

 

母がいなければ

 

あの大学には行けなかった。

 

 

 

母がいなければ

 

弁護士にもなれなかった。

 

 

 

母がいなければ

 

あんなに海外にも

 

行けなかった。

 

 

 

 

母がいなければ

 

あんなに全力で

 

人と向き合うことは

 

できなかった。

 

 

 

 

そして

 

母がいなければ

 

私は

 

間違いなく

 

今の私には

 

なれなかった。

 

 

 

 

 

自分が今ここに存在する

 

存在理由の大半は

 

紛れもなく

 

母がいてくれたおかげなんだピンク薔薇

 

 

 

 

 

 

そのことに

 

 

ひとつひとつ

 

丁寧に

 

想いを馳せることが

 

できるようになるまでに

 

 

三年以上かかりました。

 

 

 

 

 

 

 

でも

 

そうなってからの私は

 

 

深い安心感に

 

包まれるようになりました。

 

 

 

 

 

 

母との日々は

 

苦しいことや

 

悲しいことも

 

あったけど

 

 

 

それでも

 

そこには

 

確かに

 

愛情があったし

 

 

 

私と

 

本気で

 

本音で

 

向き合っていてくれたことを

 

思い出せるように

 

なりました。

 

 

 

 

 

 

 

そのおかげで

 

長かった【母軸】

 

卒業して

 

 

ようやく

 

本当の自分で

 

ありのままの自分で

 

 

ひとつひとつのことを

 

選択できるように

 

なりましたキラキラキラキラ

 

 

 

 

 

そうなった時

 

最愛の人と出会いました流れ星流れ星

 

 

image

 

 

 

 

私はまだ

 

自分を生きるようになって

 

6年半ほどです。

 

 

 

ようやく

 

小学校卒業

 

みたいな感じですね^^

 

 

 

 

でも

 

その生き方は

 

心地良いし

 

とても幸せです流れ星流れ星

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍しく

 

長々と書いてしまいましたが。

 

 

 

 

母親を許せないという気持ちを

 

持ち続けていると

 

 

 

それがバネになって

 

生きる力になる場面もあるけれど

 

 

 

結果的に

 

母親だけでなく

 

自分も許せなくなる場合が

 

ほとんどです。

 

 

 

 

そうなると

 

 

それが

 

無意識のうちに

 

自己否定や

 

セルフイメージの低下に

 

繋がりやすく

 

 

恋愛やパートナーシップにも

 

ネガティブな影響を

 

与えやすくなるんです。

 

 

 

 

 

 

というわけで

 

 

もしも

 

恋愛やパートナーシップで

 

うまくいかないことが

 

多いなぁと思ったら

 

 

母親を許せないという気持ちを

 

手放せているかどうか

 

 

少し時間を取って

 

振り返ってみてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

追伸)

 

【糖質制限5日目の記録】

 

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トータルマイナス1000g流れ星流れ星

 

 

 

 

 

 

 

 

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鳥居 ミコラブラブラブラブ