「日本人は時間守らない」その真相
日本人は海外の人々から、「時間に厳しい」と評されることが多い。しかし、9月28日にあるツイッターユー..........≪続きを読む≫
私なら、タイトルをこう書き換えます。
「日本人もまた、物事を自分に都合好く解釈する。」
「時間を守れない。」と云う批判の声が云う様に、
遅刻にはめちゃ厳しいのに平気で残業って、
在りそうな話ですよね。
この事を時間が守れないのだと云う事も出来ますが、
ご都合主義とも云えませんか。
「センカク」の問題がこじれる原因になった発端と思われる出来事が在りました。
国連の集まりで中国の胡錦濤さんと日本の野田サンが、
会場の廊下でばたりと出会ったそうなんです。
赤い絨毯の敷き詰められた国連ビルの広い廊下で、
あっちから中国、こちらからは日本。
渦中の首相が相対したその時に、
胡錦濤さんが握手を求めてこう云いました。
「やあ野田サン、魚釣り島を国有化にはしないで下さいよ。」
それに対して野田サンがはいと応えたのか、
それとも、
「何だよこいつ、こんな場所で云う事かよ。
空気読めない奴だね。こういう大事な問題は、
当事者だけの場で話し合うべき問題なんだよね。
まったく、
失礼な事をされると、
国民へのメンツが丸つぶれじゃないか。」
などと考えて、
フニャホニャっと作り笑顔で受け流したのでしょうか?
テレビのニュスに依ると、
中国は、
あの時に念を押したのに、
その二日後に国が島を購入すると云う事態に発展した事に、
メンツが丸つぶれだ、と怒っていると云うのです。
家の母なども、
いい顔をしておいて、その二日後に買っちゃうなんて野田サンがバカだ』と言ってます。
今の所、
どちらもメンツを傷つけられたと云う思い込みから抜け出ようとはしていません。
物事を自分の都合のいい様に解釈しているのです。
自分の都合での理解が正しいと主張し合っているのは、
端から見れば子供の喧嘩。
の様に見えませんか?
かりそめにも、
国と国がそんな幼稚な意地の張り合い。
みっともないでしょう。
けれども中国のメンツと、日本のメンツ。
そのメンツの立ち様が両国であまりにも違うのに驚くと共に、
だからこそ難しい事なのだと思えるのです。
でも、この違いを認めずに、
メンツの張り合いを続けるのは絶対ダメ。
知り合いの若い人が云いました。
例えばね。
この間あの騒ぎの渦中に開かれていたバスケットボールの国際試合で、
日中戦が有ったの。
中国の選手は初め躊躇したのち、結局来日して試合に臨みました。
彼等は、
日本人から野次られたりするのかもしれないと、
少し心配していたのですが、
意に反して、
会場のお客さんは、
こんな時に来てくれてありがとう、
と、
感謝の気持ちさえ持って彼等を迎えてくれたのでした。
心温まる話じゃない。
こういう気持ちをさ、
中国の人に伝えて行けば、判り合える様になれないかしら。
残念ながらこの言葉に対する応えは、「大変難しい」かな。
まず、
これは、
日本人が美徳と考えている事は全世界に通じる物という大いなる幻想から来ています。
もしかしたら、
中国の選手が、
「こんな状況で、
怒りも見せずに敵にありがとうなんて云えるのは狂気の沙汰。
なんて変な野郎達なんだい。
だから何考えているか判らないぜ日本人、なんて、
世界中で云われてるぜ」
と、このように感じていたらどうでしょう。
余分な話ですが、
全世界の多くの人は日本人の考え方が実に奇妙な物であると日頃語っています。
ま、
それが面白いと云う点でも在るので仕方在ないでしょう。
日本人の私たちが美徳と考える行動や考え方も、
隣の国の人にはとっても変だと思われる事が多々あるようなんです。
中国の婦人にすれば、
公衆トイレでお尻丸出しで隣人と挨拶したり、
晩のおかずを相談したり、
なんで日本人には出来ないのか、
理解出来ないのです。
トイレが、
トイレが、って。
日本女子。
あたま、おっかしいんじゃない。」
向こうの人はそう思っているのかもしれませんよ。
中国のトイレはしきりもなくオープンな空間で、
井戸端会議的な雰囲気の中で用がなされるのだそうです。
日本の人は、ちょっとなんとかして欲しいと思う人が多いと聞きます。
きっと、このような、
気持ちの細やかな行き違いは至るところで起きているのでしょうね。
その事にいちいちこだわって、淀んでしまってはなりませんし、
優しい気持ちを理解出来ない国民などと、
決めつけてはなりません。
中国の人々はどんな時に心の琴線を鳴らすのでしょう。
彼等はどんなストーリーに涙するのでしょうか。
私は以前中国の小説を何冊か読んだ事があります。。。
私たち日本人が考えるのとはまったく別の観念を持って強く生き続ける中国人の姿を描いた何冊かの小説かを読んで感じた事。
それは日本人としての小さな脳みそでは想像もできない物事の考え方、捉え方でした。
本当にショックを受けました。
外見は似ているのに、
その中身の違いの大きさは想像を超えています。
そんな隣人と、
お互いの理解の上での合意を、
いかに、
つけましょうか。
ね。
一筋縄では行かないものなのでしょうか。
残念ですが直ぐに良い考えが浮かびません。
さてさて、時代は私たちを何処へ連れて行こうとしているのでしょう。
我らが運命共同体。
地球と云う名の宇宙船。
今宵、宇宙の闇に浮く。
いや、
素敵な秋の午後となってます。
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