見切り発車はダメですか? | 星の輪ネットワーク

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金 銀花の独学パン工房 .
山ぶどうから生まれた自家製天然酵母で焼くパンを楽しみ、緑に囲まれて暮らすワンダーフルな日々の出来事を綴ります。

先週末に三田市に行って来ました。

行きはこちらを夕方の6時に出て、帰りは三田を深夜1時頃出発。

行きも帰りも夜の高速道路を走りました。

中央自動車道から名神、大阪からは中国自動車道です。

京都を過ぎると高速道路が急に賑やかになります。

車が多いのもそうですが、夜間灯がやたらに多いのにビックリしました。

もの凄く明るい。

明るくし過ぎ。

そして大阪を過ぎると辺りには高層ビルが見えて来ます。

マンションらしきビルが林立している。


その多くが煌煌と灯りを付けています。

私にはやり過ぎと思えたこの電気の為に、大飯原発は再稼働されたのでしょうか。

こんな風に書くと、

電気はその為だけに使われているものじゃないんですよ、

この認識不足、なんて云われてしまいそうです。

人の言葉尻をあげつらって、

非難したり、揚げ足を取るような人が多いのに驚きます。

夜間照明を少し、コンビニの灯りを少し、自販機の証明を少し、

そう云った小さな節電の積み重ねだけでもかなりの電力をセーブ出来るのではないかと思うのです。

明る過ぎる高速道路、明る過ぎるビルの夜間照明。

過ぎているものがたくさんあるはずです。

何しろ、原発で作れば電気は余っているから、ドンドン使えと言われて来たのですからね。

安い電力をドンドン使って、

不夜城のような暮らし方を人々に推奨して、

健康害して、

病人ばかりなのに、

医者不足。

こんな世の中を、

そっくりそのまま続けて行きたいと本当に考える国民が居るのでしょうか。

人々は幸福に暮らしたいのではないのですか?

世の中が悪くなっているのは明白な事実ではないでしょうか?

原発の事故を日本国にとってのターニングポイントにできるのです。

私たちが真に幸福な暮らしを望むならば、

今まで歩んできたのとは違う道を選んでみましょうよ。

戦後60年あまり歩んで来た政治の道は間違いだったのです。

だからこんな世の中になっているのだと、

皆さん判っているでしょう。

だったら今度は別の道を目指してみようではないですか。

それがどんな道か、

今は誰にも云えません。

先が見えないからです。

とにかく、

原発を止めてみましょう。

廃炉に向けて動き出しましょう。

そうすればまず、

原子炉を廃炉にする為に大きな雇用が産まれるでしょう。

産業も産まれるかもしれません。

ただ、それが今原発産業で潤っている会社とは別の人が潤う事になるかもしれません。

それはそれで自由経済が続く限り仕方のない事ですよね。




原発が止まって、

無理のない代替えエネルギーで発電出来るだけの電力を、

最優先されるべき電力を除いて、国民で共有出来る電力量を提示し、

分けられるべきものを分ける,と云うやり方はどうでしょうか。

原始的な考えかも知れませんが、

これを基に私たちは素晴らしい物を発明出来るかもしれないのです。

必要が発明の親になる事は誰でも知っている事ではないでしょうか。

可能性は無限です。

第一、原子力安全委員会の班目春樹氏さえいっていますよ。

「見切り発車ですよ。それでなきゃ出来るわけないでしょう。」

って、

これ、原発に関する発言ですよ。

原発だって見切り発車なんです。

代案がないから反原発は意味をなさないというのは詭弁です。

とにかく止めてみましょうよ。

そこで初めて、何が問題化がはっきりして来る、

それに対処して行くしかないんじゃないですか?

原発も同じでした。


政府は節電を、

一時の緊急措置ではなく、

その明るさが、これ以降の通常の明るさである事を

国民に報告するしか有りません。

このままの状態で日本国が進んで行くのは無理だと、

私は思います。

確かに、

私たちは電気のお世話にならずには暮らせなくなっています。

電気の必要性は分かりますが、

少なくともその電気がどのように作られるのか選びたいのです。

原発で、

ウランを核分裂させて作った電気は欲しくないのです。

プルトニウムを増殖させて電気を作って欲しくありません。

原発がその度に核のゴミが出している事を常に知らせるべきです。

今のままの電気生活を続けたいと願っている人が決して忘れる事のないように、

今現在自分の使っている電力が何処から来て、

どの様に作られて、

どんな悪影響を環境や人体に与えているのか、

科学者はその結果を、

いつも表示して国民がイヤでも目にするようにしてほしいです。


儲けようとしている人たちが、

そんな事をやる分けないですよね。


「原子力はいかなる目的の為にも使ってはならない、」

というのが尊敬する人の教えでした。

尊敬する人の言葉だから、

私はそれを守っていたようなものでした。

原発反対していました。

原子力は恐ろしいものだと教えられていたのです。

でもフクシマの事故以来、

それがもっと親身の問題となってきました。

今では原子力の恐ろしさを

以前よりもっと深く知るようになり、そうなればなるほど、

心の底から、

原発に反対する思いが沸き上がって来るのです。




何より、

万が一の事は起こるのだと知りました。




世界中の人間が、

原子力はコントロール出来ないものだと再認識するべきです。


言えども言えども、

鉄仮面に噛み付いているような気がしてむなしくなりますが、・・・











電力は本当に足りているのかいないのか、

それさえ定かではないデスよね。



信頼ができない世の中、第一それが問題でしょう。




























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