守矢資料館の建物が鹿の頭をモチーフにされているのは、
この館に展示されている御頭祭に関する資料が元になっている様です。
私もそこへ行くまで何も知らなかったのですが、
八ヶ岳の麓、諏訪湖の周りには縄文時代から人がたくさん住んでいた事が判っています。
遺跡からいろいろなものが発掘されているのはもちろんですが、
実はこの辺りには、
いつの時代からか神官と呼ばれる人たちが住んでいました。
神官は6人居て、守矢氏がその長を務めていたそうです。
資料館の資料に依ると古代からとなっています。
いつの頃から神官を務めているのか、なぜそうなったのかははっきりしない様ですが、
弥生時代の終わり頃から代々神官を務めた守矢家は現在75代目の当主が、その家系を守っているそうです。
神官の役目は、
五穀豊穣の儀式を行ったり、神の託宣を受けて人々に伝えたり、
かなりの超能力をもっていたようです。
75代前の神官はどんな神を信仰していたのでしょうか。
とても興味深いです。
資料館には毎年続けられている祭りの様子が展示されています。
およそ270年前にここを訪れた江戸時代の絵師が、
祭りの様子を詳しく絵に描いて、後世に残した古文書をもとに、
お供え物などを復元しています。
まず最初にびっくりするのは、ウサギの串刺し。
当時、祭りはこの辺りの豪族が持ち回りで主催していたようです。
守矢家にはたくさんの古文書が残っていて、
祭りの様子などは古文書に書かれているのですね。
野に住む獣をしとめて、祭りの供え物にし、
その肉を皆で食して、飲めや歌えやの大騒ぎをして楽しんだらしいですよ。
今年は諏訪の豪族の長がやったから、来年は下伊那の番というふうに、
持ち回りで供物を捧げていたそうです。
豪族って幾つくらい有ったのかしら?
お供え物の中には75頭の鹿やイノシシの頭が有るそうな。
壁にかかった鹿の頭達です。
これをどんな風にお供えしたんだろう。
想像がつきませんね。
面白いのは、耳欠け鹿の存在です。
たくさんの鹿の頭の手前にライトを浴びて一つだけ特別な鹿が・・・・・。
これは、耳掛け鹿と呼ばれているそうです。
説明に依ると、75頭も鹿を捕まえると必ず1,2頭は耳の欠けたものがいる、
そんな耳欠けの鹿は、
神様が目印を付けた特別な鹿と見られていたと聞きました。
耳欠けって、鹿同士の喧嘩で耳齧られたのと違うのかい?
そうだと思うんだけど、
だとしたら、耳を齧られた鹿の方が特別のものとして扱われてるってこと?
弱者こそが神のメッセンジャーとも云える?
?
長い長い時間を遡って、この地で日々の暮らしを営んでいた人たちに思いを馳せると、
とても不思議な気がします。
1万年前の人たちも、同じ八ヶ岳を見上げていたのでしょうか?
古文書の中には、
諏訪湖の御御渡りが見られたと云う報告の文書や、
それに対して奉納の供物が室町幕府から届けられた,と云う手紙などもあります。
看板もさびてしまった小さな資料館ですが、
この場所に、遥か昔から人が暮らしていて、
今なお住み続けている事が凄いですよね。
それにまた神官の家だから、ずっと祈りを捧げて来た場所とも云える訳です。
守矢山の麓に位置するこの場所のエネルギーは静かですが大変に強いものでした。
縄文の時代に、
この辺りで水晶が採れるのはこの山でした。
水晶の矢じりも発掘されています。
とてもきれいです。
中央道釈迦堂パーキングの縄文博物館で見る事が出来ます。
また、諏訪湖の北、和田峠の辺りは日本でも屈指の黒曜石の産地です。
おそらく縄文より以前の旧石器時代にも人類はここに暮らしていたはずです。
黒曜石は石器に最適な鉱物ですものね。
日本列島に人類が暮らし始めたのはおよそ8~9万年前くらいです。
旧石器時代と呼ばれている、
土器を使わなかった人々は、だいたい1万6000年くらい前に住んでいたみたいですよ。
諏訪湖の周りにはたぶんその頃から、だれか暮らしていたでしょうね。
ヾ(@^(∞)^@)ノ
偶然の出会いが私たちを、この場所に導いてくれた訳ですが、
凄い場所を発見させていただきました。
ありがとうございます。
悠久の時の中で、人々が普通に日々暮らして続けて来た、
普通のエネルギーが素晴らしい。
有名な寺やお社のように、そのためにわざわざ出かけて来る人は少なくとも、
日々の暮らしの中で、祭りがあり、祈りがある。
それが1万年以上も続いている場所って、やっぱり凄いと思いました。
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