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父の誕生日が父の日の近辺だったので
年によっては父の日と
同じ日になることもあって
おめでとうとありがとうを
一緒に言って、何かしらの
プレゼントを贈っていました。
 
私の父は、
私が20代の頃に亡くなりました。
 
時代もあるけれど苦労した人だと
思います。
 
やっぱりそれは戦争。
厳しかったと言われている
シベリアに抑留されていたと
母から聞いています。
 
戦時中の様子が流れているテレビを見て
涙を流す姿を見たこともあり
また、アルバムには破られ
母が修復したとされる
戦争にまつわる写真もありました。
 
子供としては、
何があったの?と気になりますが
相当傷ついていることは間違いなく
とても聞くことはできませんでした。
結局、戦争の話は
一度も聞かず、亡くなりました。
 
 
 
戦後の混乱の中
生きていくために日本中が
必死だったと思います。
 
そんな中、
父は国家公務員になりました。
 
経済成長期に入り
世の中が景気が良くなっていくと
まわりも華やかになり
友達も豊かになって行くのが分かる・・
 
それをいうと、
我が家は公務員なんだ
商売をしている人のようには
いかない・・
でも、世の中が変化しても
安定した給料がいただけるんだと
言われ続けていました。
 
でも、私は・・公務員は嫌だ、
私は公務員にはならないと
小さい頃から思ったものでした。
 
(最近、キャリア希望は減ってきていますが
公務員は安定の職種として人気ですよね。
この時は、私がまだ子供で
安定とはどういうことか
理解していなかったのです)
 
父は
公務員の仕事をしながら
勉強を続け
税理士になりました。
 
父親に遊んでもらった記憶は少なく
土日は勉強をしている姿しか
見たことなく
 
小学校の図工の時間に
父の絵を描く授業があり
私は、本当に机に向かって
勉強している父の姿を描きました。
 
その後、
個人の税理士事務所を開くことになり
父親も公務員時代とは違って
のびのびとしているように見えました。
 
母もこの時代が
一番幸せだったと言っていました。
 
でも、突然の病で倒れ
入院してわずか3週間で亡くなりました。
 
 
20代で戦争に巻き込まれ
当時は皆さん生きるために
必死だったと思いますが、
父もしかり・・
 
生きるために、家族を養うために
勉強、勉強の日々で
戦争の悲しみを抱えながら
亡くなってしまいました。
(父はそういう人で、
戦争の暗い影が消えませんでした)
 
楽しい時間なんてあったのかな?
幸せな時ってあったのかな?
 
母と仲が良かったことだけは
幸せだったかな・・
 
 
私が感受性が強いこともありますが
父の苦労は、子供として
ずしりと心の中にあり
私の人格形成にも影響していると思います。
 
 
九州北部で育っているので
原爆が投下された長崎も近く
小学校6年の時に
沖縄返還、中国国交回復など
戦後の大きな動きがあった時代でもあり
平和教育が叩き込まれ
平和への願いは大きく持っています。
 
でも、一番の影響は父親。
どんなにつらい思いをしたのだろう
と思うと、胸が苦しくなる。
 
子供の頃からそう・・
だから、私も根っからの明るい人ではなく
重たいものを抱えて成長してきた
ところがあると思う。
 
そんな私に育てられた息子にも
何かしら、影響はあるかもしれない。
 
戦争は、当事者だけでなく
その子供にもまたその子共にも
大きく影響が続くと思う・・
 
父の日や父の誕生日、
父に思いを馳せる日は
平和を願う日でもあるのです。
 
 
 
カバー画像について
今は亡き、愛犬との握手写真
なかよし~♪へいわ~♪
愛犬と握手
 
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