さて、息子の不登校について時系列を思い出しながら書いていくことにしてみよう。かなり長いので何回か続くと思う。
小学校一年生時
小学校に入学して一週間ほどは登校を楽しみして約束の時間に登校班へと集合してた。すぐ近所の年上の児童にうちの子の方が家出るの遅かったらピンポン鳴らして、ってお願いしていた。
そして一週間過ぎた頃、ある日突然
ピンポン鳴って「ほら時間だよ、行きな〜」って言ったら 息子は大泣きして「やだ!!行きたくない!!」って外から開けようとしてるドアを力いっぱい締めようとする。(このピンポンの子は何も悪くない。)
この日はどうにかなだめて学校に行かせたと思う。
また、数日後は登校班へ行ったと思ったら数分後に家に戻ってきて、ランドセルをおろして開けて筆箱の中身をゴソゴソ確認しながら焦った様子で「消しゴム入ってたっけ⁉︎」強迫観念のよう。
一か月後だったか二か月後だったか、ランドセルに貼り紙を貼り付けられて帰ってきた。
『家に帰ったら宿題をやる→時間割をチェックする→鉛筆を削る→・・・』
(具体的な内容はあまり覚えてないけどそんな内容がA4サイズほどの紙びっしり書かれてた)
小学生になった息子の様子といえば、忘れ物が多い、連絡帳を自分で書かなくてはいけないので字が雑過ぎてこれ読めんの?みたいな字で描いてある、宿題があるので幼稚園生の頃は帰宅後すぐに近くの公園で遊ぶことができなくなった、下校班の同級生とたまに遊ぶことがある位、といった生活。
そして大泣きパニックの日から 毎日というわけではないけど かなりの頻度で朝の登校班の時間に学校へ行けず、学校へ行くまでわずか10分とかの時間とはいえ2歳の長女をひとりで家に残していくわけにもいかないので、ベビーカーを用意してなんとか学校へ一緒に行く日々。
ただ、不思議だったのは朝あんなにどうにか行くって感じなのに帰りはけろっとした様子で家に帰ってくること。
後から知ったことは、この当時の担任がとにかく厳しかったらしい。幼稚園を卒園したばかりの新一年生には度を越すような厳しさだったよう。
この頃は新任の女性教師ということで初めて担任を持つ人という情報のみで、勝手に自分の先入観で、女性→新人→優しい感じ、とか、不慣れな感じ、とか とにかく良い意味の初々しい感じの想像をしていた。これが間違いだった。大間違いだった。
更に悪かったのは学校との対応を自分が知らなかったこと。約束を取り付けて学校へ行って直接担任と話しても感情なく謝られる程度。
今でこそネット環境が整ってて そういった学校と親子のやり取りを載せた記事や漫画を目にする機会があるけどその渦中にはそんな有益な情報は皆無だった。
幼稚園を卒園してからは横の繋がりなんてほとんどないし。他の保護者から話を聞くなんてことも出来ず。
自分(親)と担任の一対一ではなく、校長だったり教頭だったり学年主任だったり、とにかく担任より立場が上の人物も同席するようにすれば良かったのだろうなと今なら思う。
終業式の日頃にもこの担任と話をしたけど、最終的に言われた言葉は来年は「私が担任持つかどうか分かりませんし。」体良く切り上げられた感じだ。(結局次の年どこか異動になってたけど。)
この担任の話が長くなってしまったけど、たった一年間のこの時期が後の学校生活に大きく影響したように思う。
息子が忘れ物が多くて担任としては困っただろうし迷惑かけただろうけど、その時の息子に対する態度や物言いで周囲の同級生に『あいつには何言っても良いんだ、何やっても良いんだ』とか『あいつのことはバカにして良いんだ』『仲間はずれにしたって良いんだ』みたいな暗黙の共通の認識みたいなのができていったんじゃないかと(憶測入るけど)。
ただこれは今だからやっとそういうふうに解釈できるようになっだけであってこの当時は全くそんな事気づかなかった。
息子は家にいる分には自分の好きなことはペラペラとよくしゃべるので、学校のことはあまり話さないなとは思っていたけどそこまで心配していなかった。
しかしよく考えたら『あまり話さない』のではなく『全く話さない』だった。これもまた色々と気づくのに時間がかかり過ぎてしまった原因だ。
その日あったことは話さないけど、何日も何週間も経ってから そういえばあのときね、なんて話をしてくる感じ。
一年生の終わりの頃にお楽しみ会があったそうだ。息子は楽しみにしていたけど、帽子を忘れてしまったために一人だけ参加させてもらえなかったらしい。このエピソードは息子が小2になった後半頃に聞いた気がする。
そんな目に合うなら消しゴム一個の確認ために必死で帰ってくるよね。
(別に息子の忘れ物が多いのを棚に上げて担任を悪く言いたいわけではない。でもクラスメイトの前で公開処刑みたいなことするのはどうなのか。)