ヘボンは開港直後に来日した米国の宣教師で、日本初の和英辞典「和英語林集成」を出版した。
この辞典に使われているローマ字表記が「ヘボン式」の元になった。
〈碑文〉
へボン博士は一八五九年十月十八日北米合衆国より渡来横濱居留地最初の居住者の一人にしてこの地に施療傳道所を設け歐米醫術を導入する傍らへボン式ローマ宇による和英語林集成の編纂新旧譯聖書の翻譯など日本文化の開拓に力盡せり
なほ指路教會及び明治學院の創始者なり
〈案内板〉
開港とともに来日した宣教師の一人で神奈川成仏寺に3年仮寓、文久2年(1862)冬横浜居留地39番に移転、幕末明治初期の日本文化の開拓に力をつくした。聖書の翻訳、和英辞典のへんさん、 医術の普及などがそれである。
昭和24年 (1949) 10月記念碑が邸跡に建てられた。
社団法人 横浜国際観光協会 横浜市・神奈川県
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庶民の間で英語に対する関心がにわかに高まったのは、ペリー提督率いるアメリカの黒船艦隊の来航以来のことだが、比較的正確な英語の学習書が出回り始めるのは、横浜開港後のことである。1861(文久元)年には、アメリカ人ヴァンリードが横浜の出版元師岡屋伊兵衛(日新堂)から『商用会話』という会話書を出版している。
この分野では宣教師の果たした役割が大きい。彼らは、幕府のキリスト教禁令が解かれていない状況のもとで、将来の布教や聖書の翻訳にそなえて日本語の学習に励んでいたのである。その一人、S・R・ブラウンが1863(文久3)年に出版した『日英会話篇』は高く評価されている。そしてもう一人、ヘボンの打ち立てた金字塔が最初の本格的な和英辞書『和英語林集成』であった。原稿は1866(慶応2)年7月に完成したが、日本では活字が整わなかったので上海で印刷し、翌3年4月に完成した。日本語を横組で記した最初の書物ともいわれる。明治時代を通じて版を重ね、広く活用された。
日本語をアルファベットで表記するにあたっては、ヘボンも頭を悩ませたらしく、各版で少しずつ違っている。1885(明治18)年に、ローマ字の研究と普及のための「ローマ字会」が設立され、会員の矢田部良吉が『和英語林集成』を参考に『羅馬字早学び』を著した。ヘボンはその趣旨に賛同して三版にそれを取り入れた。これがヘボン式ローマ字の起源である。
横浜開港資料館・調査研究員 斎藤多喜夫
(横浜市中区区役所ホームページより)


