ふと思い立って書いた毒親育ちシリーズ

航続距離も着地点も未知で

自分で書いてるけど、自分じゃないような感覚だった

 

終わりの見えない感じに心が不安になった時

文字にするエネルギーが不足した時

いろんな方からの「いいね」に励まされた

 

全部の記事に「いいね」をしてくれる人もいた

心屋カリスマカウンセラーのめぐこさんや藍色シアンさんからの「いいね」をみた時は、背筋がシャキッとした。笑

みなさん、本当にありがとうございました

 

 

 

そして、今朝、アップされた、藍色シアンさんの記事

毒親育ち、最後の記事に「いいね」をくれた藍色シアンさん

わたしの心はシアンさんにお見通しだった

 

この記事を読んで

わたしは「過去のわたし」と「今のわたし」を公開してよかった、心から思った

 

わたしの一番のネックは

「過去」と「今」を比べたときに劇的な変化がないというところ

生活、収入、環境…など、現実に大きな変化はない

今の自分がとても中途半端な状態であるというところ

 

いろんな人のブログを読んでいると、

「様々なことを乗り越えて、こんなに現実が変わった」

「●●を実践して、こんなに良くなった」などといった

『今の大きな現実の変化』がわたしにはない

 

過去のことだってそうだ

全てを許せて、解消しているかといえば、そうでもない

(書いているうちに、自然と許せたこともたくさんあるが

まだ、そうでもないところもたくさんある)

 

 

けれど、今のわたしが

人と比べて、しょぼくても

誰かに称賛されるような現実ではなくても

過去の不幸な生い立ちを一発逆転できてない現状でも

中途半端な現在でも

カッコ悪くて、残念でも

『それがわたし』

『これがわたし』

そう自分に言い聞かせながら、ドキドキしながら書きつづけた

 

このわたしの密かな覚悟と勇気をシアンさんががちゃんと受け止めてくれて

「今のわたしでOKだよ」とマルをくれたように感じて

自分の心が温かくなって、楽になった

シアンさん、ありがとうございます

 

それと同時に、わたしは

わたしのために、誰かに助けてもらってもいいんだ

わたしのために、誰かに応援してもらっていいんだ

わたしのために、誰かの力をかりてもいいんだ

わたしのために、お金や時間や体力を使ってもいいんだ

 

わたしはそれだけ価値のある、素晴らしい存在なんだ

なんとなく、自然に、そう、思えた

 

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昨日、ふと思い立って、成長とともに鉢が小さくなっていた部屋の観葉植物を

大きな鉢に植え替えた

植え替えをした直後に、シアンさんから「いいね」をもらった

シアンさんのご自宅は沖縄

 

植え替えをした観葉植物

左側は、ガジュマルの木

沖縄では、「ガジュマルには、キムジナーという子供の精霊が宿る」と言われているそうだ

 

キムジナーが密かなわたしの勇気と覚悟をシアンさんに届けてくれた

ありがとう、キムジナー