「恨み節」という普段は使わない言葉が頭をよぎる

 

何に対しての恨み節なのかというと、自分の体に対する長年つもりに積もった恨みなのである

 

 

それはすでに子供のころから始まっている

 

なんで私はこんなに体が硬いのか

なんでこんなほっぺたが膨らんだ丸顔なのか

なんで脚が短く胴体が長いのか

 

そんな恨み節がここ最近では、

 

なんでこんなに太ってしまったのか

いつからこんなおばちゃん体形になってしまったのか

なんで首が短くなってしまったのか

なんで顔にしみができてしまったのか

 

などなど言い出したらきりがない

それはほとんど無意識化して歳をとるごとに気にすらしなくなりつつある

 

だが、

今ありがたいことに、

やっと気づくことになったのである

 

もともと愛が足りないのだ

 

自分を等身大でみること

愛することが

いかにむずかしいことか

 

不思議なもので、今はただただ、

今までこんな恨み節を聞きながらもずーっと無言ではたらき、

付き合ってくれている自分の体が愛おしくてたまらないのだ

 

時には暴飲暴食あり

睡眠不足あり

体を酷使することあり

7日間の断食後、欲にまかせて食べ過ぎに陥ったことあり

アルゼンチン時代ルハン巡礼で約10時間徒歩の旅では膝を痛め歩けなくなったり

まあ様々な体験の中、よくぞついてきてくれました

と、お礼をのべる今日このごろ

 

コロナにも感染したが、特に重態にもならず寝ているだけで回復できた

煙草もお酒もそれなりに嗜んだが、特に病気にもならず

タンゴ修行時代は夜中踊り通して朝帰りばかり

子供が小さいうちは、シングルマザーにありがちのオーバーワーク

そういえば、

通学途中歩いていて次男を抱っこしたまま突然転倒したこともあったっけ

何が起こったのかわからず、一緒にいた10歳の長男が車にひかれないように

かばってくれていた、そんな記憶も

 

ダンスを通じて、痛みや自分の限界を感じること多々あり

そんな時は恨み節というより、

祈ることが多かったと思う

 

それは14歳の時もそう

バレエの発表会当日、爪先が痛くてズキズキして、最悪だった日

死ぬ気で本番に対峙した

 

そして、一生に一度の神聖な体験をさせてもらう

 

痛みは去り、私は音楽の中にいた

体を超えて、いのちの中枢へと舞い上がった感覚

 

 

思い起こせば、その他にも様々な不思議な経験がある

 

 

今回は私の恨み節の一節を聞いていただきましたが、

次回はどうしてそれに気づいたのか、

そしてこれは私だけでなく皆さんの気づきにもつながれば、という気持ちで

書かせていただこうと思っています。