「自我無きところに汝(なんじ)がある」(PL処世訓第6条) | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 ※文中〝 〟内は二代教祖のお言葉です。

 

1.無いのがよい「自我」とは?

 

 「汝(なんじ)」とは「あなた」のことですから、「自我無きところに汝(なんじ)がある」は、「自我」のないところに真の「あなた」が現れるという意味になります。一見、矛盾しているように感じられます。自分に「自我」が無くなってしまったら、私はいったいどうなってしまうのだろう、とあなたは心配になるかもしれません。でも心配いりません。「自我」は無くとも、あなたは「神の表現である〝自己〟」なのです(「自己は神の表現である」PL処世訓第3条)。

 そこで「自我」とは何か、「自我」と「自己」はどう違うのか、という問題になります。このことについては、第2条「人の一生は自己表現である」と第3条「自己は神の表現である」のところで触れています。

(1)「自我」は「我(が)」です

 PLの教えでの「自我」は同じ自分でも、「自己」と別の視点から見た姿、「我(が)」のことです。「我(が)」は目さきのお金とか物とか、あるいは自尊心、名誉欲といったもろもろの欲望にとりつかれてしまった姿という視点から見た自分を表現する言葉です。芸術するあなたにとってそれは無いほうがよいものです。PLの教えではそのように「自我」を捉えるのです。「神の表現であるあなた」が芸術するとき、「あなた」の「自我」(「我」)は邪魔になるのです。

 〝我(われ)のための我(われ)〟〝自分のための自分〟〝神に依っていない我(われ)〟が「我(が)」です。それはあなたの仮の姿で、本当のあなたの姿ではないのです。

 あなたの本当の姿は「我(が)」を去った「さながらのあなた」です。

 初代教祖は二代教祖に「小我(しょうが)を捨て大我(たいが)に就(つ)く」と教え、『捨小我就大我』の書を「為徳近」と「為書(ためがき)」し、贈られています。「為書」とは、書画などの署名の付近に誰のために書いたかを記したものです。後に、二代教祖は「わしにはもう必要がない」と言われ、この「書」を私に下さいました。私にはまだまだ必要だと自戒しております。

 「我(が)」に大きな我(が)と小さな我(が)があるという言い方が面白いと思います。しかも、大きな我(が)が小さな我(が)よりもよいのです。

 2つの問題があります。第1は、「我(が)」にも大小があり、小我は自分にとらわれた我(が)であり、自分を超越した我(が)、すなわち小我を滅却した我(が)を大我というのです。第2は、無い方がよいはずの「我(が)」なのに、他方では「大我」(大きな)がよい、というのは矛盾していると思いませんか?「〝我(が)〟が無い」と「大きな〝我(が)〟」が同じだというのですから。これを理屈で説明することは難しく、感覚で捉えて納得するよりほかない境地です。とても面白いことです。この問題は「一切は相対と在る」(PL処世訓第7条)へつながるものです。

(2)「我(が)」は「癖」である

 「我(が)」は「癖」として「表れる」、「癖ある我(が)」と初代教祖は言われました。

 〝誠なる心を誠にせぬものは 己が癖ある我(が)とぞこそ知れ〟     

 初代教祖のお歌です。

 物事につき過ぎ、度を過ごしたというニュアンスの言葉である「我(が)」が習慣になって現れるのが「癖」です。「癖」には、悪い癖だけでなく、良い癖もありますが、ただ「癖」という場合には、もっぱら悪い癖をさすことにします。

 「癖」は取らなければなりませんが、「癖を取る」とは「人生は芸術である」の教えの下では、「癖を素材として芸術する」と言い換えることができます。

①相転移(そうてんい)

 つき過ぎた思い、表現、行為……等々、度を過ごすのがいけないのです。思い・表現・行為、それ自体が悪いわけではありません。

 度を過ごしますと、そこに「相転移(そうてんい)」が起こり、「癖」となって現れるのです。常温では液体の水も温度が一定限度を超えて変化すると、気体の水蒸気になったり、固体の氷になったりします。同じことが人にも起こるのです。あなたが度を過ごしますと、相転移を起こし、「本来のあなた」でなくなり、「我(が)」となってしまいます。

 「我(が)」にとらわれると、「自己」の調和とバランスが崩れるのです。神からいただいた私たちの個性は本来、調和とバランスのとれた円満なものとして現れるものです。しかし、度を過ごした自己表現を積み重ねますと調和とバランスが崩れ、それが習慣化し、「癖」となってしまいます。あなたの個性は円満を欠くものになってしまいます。

②月輪観(がちりんかん)

 人は生まれたとき、神から分霊(わけみたま)をいただきますが、それはまん丸い満月のように欠けたところがなく、ふわふわとしてやわらかく絶えずゆれ動いており、神が満ち満ちているのです。

 幽祖が唯一の師匠とされた弘法大師(774~835)が広められた真言密教では、満月は悟りの象徴とされます。満月をイメージして実践する修行を月輪観(がちりんかん)というそうです。

 我(が)にとらわれ、その現れである癖が積み重なってきますと丸かった円がいつのまにか歪(ゆが)んで、いびつになってきます。そのことに早く気付き、常に丸く円満な弾力のある豊かなイメージをもって芸術していくことが大切です。それでこそ人生は楽しいのです。そして、そこには神への祈りがいつも伴っています。

 PL遂断詞(しきりことば)の冒頭、「貴光遍照(たかひかります)」の「遍照(ます)」は弘法大師の密教上の名前(「金剛名号」といいます)である「遍照金剛(へんじょうこんごう)」に由来するものです。「遍照」とは光が宇宙の隅々まで遍(あまね)く照らすという意味で、真理そのものを表しています。真言密教の教主である大日如来は遍照如来とも呼ばれますので、遍照金剛は真言密教においてこれ以上はない最高の「名」です。弘法大師は唐の長安の青龍寺で師事した恵果和上から後継者とされ、「遍照金剛」の「名」をいただいたのです。

 「徳光教 → ひとのみち教団 → PL教団」という「この教え」の流れの源流が弘法大師に至るという、PLの教えの素性を示す大切な言葉がこの「貴光遍照(たかひかります)」なのです。

(3)「自我無きところ」

 「自我無きところ」とは「自我無き境地」、「〝我(われ)なし〟の境地」を言います。

 それは、「神に依(よ)って生かされ、芸術すべく生きている自分」であることに気付いている〝自分(「自己」)〟です。

 「不即不離」-すべての物事に関係しつつ、しかも即(つ)かず離れず- の境地、それが「自我無きところ」です。そこに真の「汝(なんじ)」、森羅万象すべてと関係しながら、しかも独立自尊したあなたがあります。    

(4)「汝(なんじ)」

 「汝(なんじ)」とはあなた自身のことです。「自我無きところに汝(なんじ)がある」とは「あなたが〝我(われ)なし〟の境地、神に依(よ)って生かされ生きていることに気付くことができるならば、自我によって隠されていたほんとうの〝さながらのあなた〟がそこに現れてくる」という意味です。そのようなあなたならば、あなた独特の味わいのある素晴らしい芸術、自己表現をすることができるのです。

 二代教祖はそこに「自己表現の妙諦(みょうたい)」があると言われます。

 

2.「さながらの吾(われ)」

 

 〝人にも物にも依(よ)らず天地(あめつち)に生くらくは 吾(われ)さながらに在らん〟 

 二代教祖がその心境を詠(よ)まれたものです。

 私たちはこの世に誕生するとき、神の「分霊(わけみたま)」をいただいており、その人独特の個性を授っているのですから、人にも物にもとらわれることなく、たんたんと常にその大本である神と在り通い神と共にある「さながらな吾(われ)」であることが大切です。いつも神に祈り、神に依(よ)っている在り方です。神を離れた「自分のための自分」などないことに気付かなくてはなりません。

 神の「分霊(わけみたま)」にもグレードがあります。私たち人間がいただいている「分霊(わけみたま)」は最高のグレードのものです。

 「神に依(よ)った」在り方とは〝吾(われ)さながらに在らん〟の「さながらと在る吾(われ)」のことです。

 「誰それの親である吾(われ)、誰それの子供である吾(われ)、誰それと夫婦である吾(われ)、これこれの仕事をしている吾(われ)、お金を持っているとか持っていないとかの吾(われ)、絵がうまい吾(われ)、怒りっぽい吾(われ)、……等々」、いろいろな親族関係、仕事関係、好き嫌い、性格、能力などをもった吾(われ)ではなく、そのようなものをはぎ取った裸のままの、ただ「神の現れとして在るだけの吾(われ)」、それが「さながらの吾(われ)」です。「白紙、無意見、無条件の吾(われ)」です。それはその人の本質のことで、目には見えないものです。

 「さながらの吾(われ)」にいろいろなものがまとわりついて現れ出てくるのが「我(が)」です。人生を送るにつれて、いろいろ経験すると、垢のように身に付いてくるものが増えてきます(仏教で「業(ごう)」といわれます)。それは良いものも、悪いものもありますが、それらのものにとらわれてはならないのです。そのことに気付かないと、自分につき過ぎ、感情にとらわれ過ぎ、さながらの自分がもっている無限の可能性を発揮できなくなってきます。

 

3.師匠としての初代教祖

 

(1)初代教祖の指導

 二代教祖は若い頃、 初代教祖から「〝我(われ)なし〟の心境を把握せねば『みおしえ』のできる人にはなれない」と厳しく指導されたそうです。「長男である自分が、『みおしえ』のできる人にならねば申しわけない」、何とかして〝我(われ)なし〟の心境を把握したい、〝天人合一の境地〟を会得したいと日夜懸命に努力されていたある日、初代教祖は二代教祖の気持を見透かしたように「お前が〝天人合一の境地〟になりたいなどと思っている間は金輪際なれない」と言われたそうです。二代教祖は、全身の力が抜けて、その場にへたへたと座りこんでしまい、しばらく動くことができなかったそうです。「考えてみれば、自分ごときものが〝天人合一の境地〟など大それたことを望むのはとてもできることではない。こんな自分では世間に出ても役にたたないだろう。この教えは世のため人のため、人の生きる誠の道を説いている大切な教えであるから、自分は下足番でも掃除をするのでもなんでもよい、少しでもお役にたたせていただければそれでよい」と心を決めて、すべての思いを切り替えて、ひたすら献身(みささげ)することにされたそうです。

(2)二代教祖の悟り

 1929(昭和4)年6月12日、夕方5時頃、東京支部から、大阪のひとのみち教団本部に電話が入りました。上京された会員さんが急に発病し、危篤状態になったので、至急「みおしえ」をお願いしたいということでした。電話を受けた二代教祖が「みおしえ願い」を書き記して初代教祖のところへ持っていくと、その「願い」をじっとみておられて、「徳近、お前がこの『みおしえ』をせよ」と命じられました。

 思いもかけないことでしたので、「私がするのですか」と思わず申しあげると、「そうじゃ、お前がするのじゃ」と初代教祖が言われたそうです。言われるままに「みおしえ」をされ、初代教祖のところへもっていくと、「これは完璧な『みおしえ』じゃ」と、にこっとされたそうです。とても劇的な場面と思ってしまいますが、二代教祖は「特別なことをしたという気持ちでは全くなかった。普段と少しも変わりない気持ちであった」と語られています。

 「天人合一の境地」についてですが、私たちは「神の表現」であっても(PL処世訓第3条)、無限な神そのものではなく、限定された姿・形を持った有限な存在で、その意味で、神そのものとは別個の存在です。そのような私たちは、常に自分の大本である神と一体となりたいと願望している存在です。完全に一体となることはできないとしても、神と限りなく一体となることはできるのです。そのような神と限りなく一体となっている境地は、「みおしえの境地」であり、ひとのみち教団の時代には、「天人合一の境地」と言う言葉が使われていたのです。

 

4.「己(おの)れは無い」

 

(1)二代教祖の厳しさ

 二代教祖の体験や初代教祖の指導の様子を伺うたびに、「みおしえの境地」(「みおしえ」のできる境地)を把握するのは並大抵のことではないと痛感していました。それでも、一宗教家として、二代教祖の娘として私は、ぜひとも「みおしえ」のできる境地を会得させていただきたいと願っていました。

 そのためにはどうしたらよいのでしょうかと二代教祖に伺うと、「わしの言う通りにしていたらよい。そうすれば、〝我(われ)なし〟の心境(「みおしえの境地」)を把握することができる」と言われたのです。それからというもの、何とかして〝我(われ)なし〟の心境を会得させていただきたいと、寝ても覚めてもそのことで頭がいっぱいでした。そして、ただ日々献身に打ち込んでいたのです。

 それでも、二代教祖は厳しく、「お前はまだ己(おの)れをつかまえている。己(おの)れは無いということがどうして分からないのか」と私の顔をごらんになるたびに言われる日々が続きました。私自身はどうしてよいか分からず、ひたすら神に祈るのみでした。

 「百尺竿頭一歩を進めよ」、「百尺の高い竿の先端まで心境が進んだからといってそれでとどまっていてはいけない、さらに一歩を進めるのだ、思い切って飛ぶのだよ」、「それでは、下に落ちてしまいます」、「そうだ、それでも思い切って飛ぶのだ」。その頃の二代教祖の声が今も私の耳朶(じだ)を打ってはなれません。

(2)〝我(われ)なし〟に気付く

 1961(昭和36)年12月のはじめ、いつものように朝早く身支度をし、部屋を出ようとした瞬間、「ああそうだったのか、〝白日のための白日〟はなかったのだ」と、フッと気付かせていただいたのでした。「ハッと」ではなく、「フッと」でした。ごく当たり前のようにそう気付いたのです。思えば二代教祖から〝我(われ)なし〟についていろいろ教えていただき、頭では分かっているつもりでも身に付いてはいなかったのです。それは何でもない日常の生活の中でのことでした。このときが〝我なし〟を深く気付かせていただいた瞬間だったのです。

 気付かせていただいてからの私は身も心もすっかり軽くなり、心はずんで楽しく献身(みささげ)に励むことができるようになりました。二代教祖が「白日もだいぶ分かってきたようだな」と言われたのは、それから間もなくのことでした。二代教祖はすべてを見抜いておられたのです。

(3)最初の「みおしえ」

 1961(昭和36)年12月31日恒例の大掃除の日、わが家は朝から二代教祖はじめ全員、鉢巻きをしめて取り組んでいました。その最中、「白日ちょっと来なさい」と二代教祖に呼ばれて行きますと、「この『みおしえ』をやりなさい」と、十数枚の「みおしえ願い」を渡されました。「はい」と受け取りますと、「お前の部屋でやればよい」と言われましたので、そのとおりに「みおしえ」をさせていただき、二代教祖のところにお持ちしました。「うん、これでよし、できている」とおっしゃって、にこっと私をご覧になりました。久しぶりの笑顔だったように私には思えました。

 そのときのことを今思い出しますと、全く気負うことない平常心であったのです。

 

5.日本人の「自我」と西欧人の「自我」

 

(1)「諸法無我(しょほうむが)」

 私たち日本人が考える「自我」と、西欧の人たちにとっての「自我」(ego・エゴ)との間には相当な違いがあります。それが「自我無き」を理解するうえで「躓(つまず)きの石」になります。

 西欧人にとって 「自我無き」人間は人間とはいえず、 「自我無き」=「人間ではない、動物同然である」となってしまいます。

 私たち日本人の理想は「自我」ではなく、「さながらの我(われ)」です。

 仏教の影響といわれますが、日本人にとって「自我」は「我(が)」であって否定しなければならないものです。「諸行無常(しょぎょうむじょう)」(この世界に常なるものはなにもない。すべては変化し、流転する)と、「諸法無我(しょほうむが)」(「我(が)」なるものは無い)、「一切皆苦(いっさいかいく)」(この世界は苦にみちている)の3つはブッダの教え(仏教)の基本中の基本とされます。

 「我(が)」とか「自我」は欲望とか感情につながる「感覚的で身体的」なイメージで、「理性的で精神的」ではない否定的なものと私たち日本人は捉えるのです。

 明治時代になって仏教的な「自我」とは違った西欧的な「自我」が入ってきたために、混乱が生ずることになったのです。「躓(つまず)きの石」とはそういう意味です。

(2)西欧人にとっての「自我」

 西欧では、 個人の 「自我」は理性的なものです。理性的であることは「自我無き」、つまり「自我から離れる」ことではなくて、「自我」そのものであり「たしかな主観をもつ」ことです。

 「理性的・精神的 =〝自我〟=主観的」(西欧型)

 「理性的・精神的 =〝自我無き〟=客観的」(日本型)

と図式化できるかもしれません。

 これは、どちらが正しいかの問題ではありません。日本と西欧では「自我」の捉え方が違う、まずそのことに注意しなければならないということなのです。

 私たちは「あなたは主観的ですね」と言われると、自分が否定的に評価されたと捉えます。

 ところが、西欧の人々にとっては違います。主観は理性的・精神的なものです。

 以上のことは第5条「感情に走れば自己を失う」のところで述べましたが、この第6条「自我無きところに汝(なんじ)がある」でも重要なことです。

 英語の「I(アイ)」、フランス語の「Je(ジェ)」、ドイツ語の「Ich(イッヒ)」は日本語の「私」にあたる一人称主語ですが、英語、フランス語、ドイツ語を母語とする人々が「I(アイ)」とか「Je(ジェ)」、「Ich(イッヒ)」と語るときには、日本人の「私」とは一味違った「強さ」、一種独特の意味合い(「個の独立」、「個の尊厳」)を感じます。これも日本人と西欧人の「自我」に対するイメージの違いからくるものと思われます。

 

6.自我を無限の段階までなくす

 

   〝自我は、これを無限の段階になくしつつ表現していくことができるのであり、したがってそこに現れる「汝(なんじ)」もまた、自我をなくした程度の汝(なんじ)として無限に現じていくのであります〟

 自我を無限の段階までなくしつつ、本来の自己を表現してゆくことができると二代教祖は教えます。「無限の段階までなくなった〝自我〟」が「大我(たいが)」でもあるところに面白さがあることについては、先に述べたとおりです。それは、限りなく神と一体化した境地であり、「みおしえの境地」です。

 あなたの芸術、自己表現は無限です。常に満月のように丸い心で柔軟に神業(かんわざ)を肯定し、その神業を素材として、神に依(よ)りつつ積極的に豊かな芸術をさせていただきたいものです。