FACTA ’24年1月号の記事を拝読して | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

謹啓 冬至の候 本格的な寒さが到来するところとなりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、先日、FACTA 2024年1月号の記事を拝読しました。以下に私の感想を記させていただきます。

 

まず、教憲第十一条に、「教主は、その継承者を定める」とあります。生前、三代様が白日先生におしえおやを継承する意志を示されたことこそ、極めて重い意味があると思います。幽祖から始まる歴代教祖が次のおしえおやを指名するという宗教的意義がそこに込められているからです。現教団は第一にそこに目を瞑っています。まず、宗教団体として、そこに矛盾(破綻)があると思います。

 

幽祖金田徳光師(教祖殿)が当時、御木徳一師に自分が死んだら教会が潰れてぺんぺん草が生えるから、その土地に榊の木を植えて神籬として守りなさいと遺言を託されました。幽祖様からすれば教団という組織や形・物よりも、教えの継承者の方が大切である事がわかります。三代様にもその様なふしがあると思います。

 

また、教憲に「継承者のないときは、理事会で継承者を推挙する」とあるにもかかわらず、理事長はじめ理事らは3年間放置しています。これは単なる怠慢や職務放棄では済まされません。世間一般の会社であれば、特別背任行為だと思います。そして、その間一番利益を被ったのは誰でしょうか。教憲は教団の憲法だと教校でも教えられました。ニ代教祖が遂断られ三代様も廃止はしていません。教神に対する冒涜であるとともに、全教職者、会員のみならず、物故教師、物故会員に対する裏切りと言えるのではないでしょうか。

 

芸生新聞(2023年12月5日付)で「宣告」された、「生前おしえおや様(三代様)が切に願っておられた通り、教主夫人の御木美智代様に教主代行をお引き受け賜り」とありますが、本当に切に願っておられたのならなぜ四代とご指名されなかったのか。百歩譲って、なぜ三代様がご逝去なされた時点で即理事会で教主に推挙されなかったのか。四代を指名されなかったのは、その能力がなかったからであり、即理事会で推挙されなかったのは、別の人物が選ばれる可能性があったからではないかと、下衆の勘繰りを入れたくなります。

 

憲法第九十八条 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」憲法を教憲に置き換えれば、現教団のやっていること(教主代行、人事権の行使等々)の効力は有しないのではないでしょうか。

 

詰まる所、教団史上、三代様におしえおや能力者であると認められた人は御木白日その人以外におられません。金田徳光→御木徳一→御木徳近→御木貴日止→御木白日という歴代教祖が次のおしえおやを決めるのが本教唯一の生命線であり、何人たりとも容喙できぬ聖域であることは論をまたぬ所です。PLは宗教です。教祖の継承者としての根拠は先の教祖の言以外にありえません。ここに第四代教祖としての御木白日師の宗教的所以は揺るぎありません。

 

一人来て一人去りゆくたのしさは誠一つを世に残しおく

御木徳一詠(初代教祖)

 

この短歌はおしえおやの神業を現した歌だと習いました。おしえおやの神業の継承は一対一かつ命がけのものであり、それをたのしさとまで表現されている点、捨て切った境地(神人合一)の凄みで身が凍りそうにさえ感じます。

 

寒さ厳しくなります折、くれぐれもお体にはご留意なさってください。まずは略儀ながら、書中をもちましてご挨拶申し上げます。

 

謹白