現在のPL教団から「みしらせ、みおしえの教え」が消えてなくなっています。今の教団がすでにPLではなくなっていることの第一の証(しるし)です。
「みしらせ、みおしえ」こそ、幽祖、初代、二代と続く「この教え」の証(あかし)なのです。今の教団は「この教え」からも逸脱してしまい、漂流しているのです。
何処へ向かっているのでしょう。
今の教団はいったい、どんな教えを現在説いているのでしょう。本来のPL教団が文科省に提出している「〝人生は芸術である〟の御木徳近立教の本義に基づき布教する団体」ではなくなっているのです。
「みしらせ、みおしえの教え」がなくなったことによって、すでにPLの教えはなくなり、PLの立教者御木徳近師を否定することによって、PLのすべてが今の教団からは失われてしまっています。
すでに今の教団は、PLではありません。中心がなく、命がけの遂断もなく、烏合の衆と化した人々によって、教師も会員も振り回されていることの空しさ悲しさ、この現在の状態は迷信としかいいようがありません。もはや信仰の場ではなく、ただの生活の場になっているのです。「聖なる場」ではなく「俗なる場」となってしまいました。