私は二代さまのお側にいて沢山のお仕事をスムーズにして頂くことは勿論ですが、何とかして運動をして頂きたいと常に心にかけていました。
「今からゴルフにいらっしゃいませんか」とお声をかけますと「よし行こう」と二代さまはおっしゃってゴルフのお供をさせて頂いたものです。また「ちょっと庭をお散歩しましょう」とおさそいすると「うん、そうしよう」と必ず応じて下さいました。庭を歩きながら、初代さまのお話や草花に対する二代さまの思いなど、また歌の話などよく話して下さいました。
「お茶室に行ってみようか」などと足をのばされてお茶室に行き、薫先生からお抹茶を頂いたり、また芸術の話をなさったり、皆さま方に芸術のすばらしさをお伝えすることもしばしばでした。
二代さまは私などのささいな質問にも、けっして頭から否定したり、無視したり、面倒がったりすることなく、丁寧に答えて下さいました。「それはそういうこともあるかもしれないが」と私の思いを必ず一旦受けとめて、あらためてご自分のお思いを説明するという方でした。
二代さまのお若い頃、二代さまは初代さまのお仕事の合間や居眠りをされておられた時など「おひまでしたら釣りにお供をしたいのですが」とお声をかけますと「よし行こう」と必ず応じてくださった。とか、また「将棋をさしましょうか」とか「見廻りにお供したいのですが」とおさそいすると必ず応じてくださったと。「やかましい」とか「うるさい」など一度も否定されず、必ず応じて下さったということでした。
「教祖さまは私を教育していかれたのだ。私は教祖さまのイメージによって人格形成がなされていったのであり、教祖さまは私を芸術され、私という人間を造型していかれたのだ」と二代さまはおっしゃっていました。
二代さまは私がおさそいしますと、必ず応じて下さいました。今思いますと、それは二代さまが、その間に私を教育してくださったのだと思います。
私が現在あるのは二代さまが白日という人間を造型して下さったからです。二代さまに心から感謝申し上げるばかりです。