御木徳近日知35年を偲ぶ会 | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 11月20日に東京神保町の学士会館にて「御木徳近日知35年を偲ぶ会」が開かれました。会員さん方が企画され、二代さま没後35年をひとつの節目として二代さまにお世話になったことに感謝し偲ぶ会をぜひやりたいという強い思いから実現したものでした。私も喜んで参加させていただきました。

 二代さまにとって「35年」は意味深いものがあります。
 戦前、当時の官憲の不当な弾圧により「ひとのみち教団」は壊滅し、二代さまは不敬罪で入獄しておられましたが、終戦により大赦により、昭和20年10月9日出所され、静養の後、昭和21年9月29日パーフェクトリバティ教団を立教されました。昭和22年9月29日にはPL処世訓を授かられ、翌23年5月から本格的布教を開始されたのでした。当時の鳥栖本部を出立され、日本各地へと御巡教になり“人生は芸術である”を力強く説かれました。そして鳥栖へ戻られることはありませんでした。
 昭和58年2月2日二代さまはお亡くなりになりましたが、その間35年間でした。
 二代さまはゆっくりお休みになる間もなく日本全国ばかりでなく世界布教を目ざされ、教えを説き続けられ、パーフェクトリバティ教団を力強く導いて来られました。本当に濃密な35年間でした。

 「宗教と科学は一致すべきものである」との初代さまのお言葉の下、PL医学の会を当初より作られ、後にPL病院を設立し、他に先がけてPL健康管理センターを作られました。二代さまは常に射程を遠くに見すえ、先へ先へと新しいことに挑戦されたのです。

 また早くからPL学園を創設、神に依る人間教育、個性表現を重視する教育に力を入れられ、学力とスポーツによる若者の育成に尽力されました。
 野球部、剣道部、バトン、カッパ座等、皆さまご存じのように二代さまの芸術を見事に花開かせ、日本全国にPLの名をとどろかせました。その他二代さまがなさった世界に向かっての献身は書きつくせないほどです。

 「世界平和の為の一切である」の神の方向性に向かって邁進された二代さまのお心の中には初代教祖がおられ、常に「初代さまのために」という強い信念に貫かれていたことを、私はお側で感じていました。
 二代さまは本当に親孝行の方でした。
 くしくも今年は初代さまがお亡くなりになって80年になります。

 「偲ぶ会」には大勢参加され、二代さまの思い出話を語っておられました。私もご挨拶させていただきました。
 PL学園野球部のOBの方々もお忙しい中を参加され、皆それぞれ懐かしい話をしてくださいました。

 「故人を偲び故人の話をいろいろすることは故人の徳をいただくことになり大切なことである」と二代さまから伺っていましたので、今回の偲ぶ会は本当に素晴らしいものでした。

 もうひとつの「35年」があります。
 ひとのみち教団時代、初代教祖のもとで修行なされ、布教を共にされていた二代さまは、昭和4年(1929年)7月21日嗣祖として立たれ全国奉仕員を集められて祝賀会を催されました。
 それから35年たった昭和39年(1964年)7月21日感謝祭の後、「今日は嗣祖になって35年になる。その間いろいろのことがあったが、35年間のうち前の17年はわしにおける初代の芸術であって、後の18年がわし自身の芸術である」とおっしゃったことを覚えています。
 因みに感謝祭が21日になっているのは、二代さまが嗣祖として立たれた昭和4年(1929年)7月21日の「21日」を記念するものです。