「キーワード」(PL処世訓第2条「人の一生は自己表現である」) | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

1.あることを「する」としても、そのときの気持、心境にはグレード、段階があります
  ・「ただ、する」→「一生懸命、する」→「好きで、する」→「楽しんで、する」
  ・人にいわれたからする→自分から自覚的にする
2.第一感による自己表現 
  ・第一感をのがしても、第二感、第三感で表現するのが、表現しないよりはよい
(1)「人は第一感に生きるべきである」(初代教祖)
(2)「第一感は神に遂断ることによって授かる」(二代教祖)
3.我(が)の表現と誠の表現
(1)我(自我とほぼ同じ意味です)
   ・「さながらの自分」(本来の自分)とは違った姿で現われている「現実の自分」のあり方
(2)誠
   ・「さながらの自分」(本来の自分)どおりに現われている「現実の自分」のあり方
   ・「誠の表現」=「客観表現」=「自我なきところ」の表現=第一感による表現
4.「神の方向性」
    (1)“常に善悪の岐路に立つ”(PL処世訓第18条)→常に「神の方向性」に立つことが大切です
    (2)ペリアゴーゲー(方向を変える)
       自分の生き方を「神の方向性」へと切り変える   
    (3)「世界平和の為の一切である」(PL処世訓第14条)が「神の方向性」です
5.自己と自我
(1)自己
      ①「人の一生は自己表現である」(PL処世訓第2条)
      ②「自己は神の表現である」(PL処世訓第3条)
      ③「感情に走れば自己を失う」(PL処世訓第5条)
      ④「自他を祝福せよ」(PL処世訓第10条)
      ⑤「自己は他己である」
(2)自我
      ①「自我無きところに汝がある」(PL処世訓第6条)
(3)「自己」は肯定的なニュアンス、「自我」は否定的なニュアンスです
   ・PLの教えでの「自我」は、「われのためのわれ」、「神に依らないわれ」です
6.神業としての人間の姿
(1)この世に起きるすべての現象(「もの」、「こと」)が神業です
(2)すべての神業を肯定して、いったん受入れ、そのうえで、それを素材として芸術するのが人の本来のあり方です(「yes、but」)
(3)神業を否定すると、人はそこでストップしてしまい、前に進むことができなくなります
7.「抽象的な自分」と「具体的な自分」
(1)「抽象的な自分」とは「われさながらに在らん」の「さながらと在る」自分です。それは目に見えないその人の本質のことです
(2)「具体的な自分」とは自己表現することにより目に見えるその人の「現実の自分」のことです
(3)「抽象的な自分」を「具体的な自分」(他との関わりの中に生きている「現実の自分」)へと発動する(爆発する)のが芸術です
(4)できるかぎり、「現実の自分」が「さながらと在る」自分のままに表現できるように努力する、それも芸術です
(5)デュナミスとエネルゲイア
  「デュナミス」(可能態)=目に見えない(その人の)本質「エネルゲイア」(現実態)=(その人の)目に見えない本質が目に見える現実の形となったもの
      ・古代ギリシャの哲学者アリストテレスが使った言葉です
      ・目に見えない自己の本質(デュナミス=可能態)を目に見えるように表現する(エネルゲイア=現実態)のが芸術です
      ・そのとき働く力が「努力」(努める力)です