全国をまわって、色んな人に会います。

 つぎに会えるのはいつか。ひょっとしたら、もう会えることはないかもしれないと、ふと思うことも。

  

  この杯(さかずき)を受けてくれ どうか並々、注がしておくれ

  花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ

 

 と、井伏鱒二がいうと、

 

 さよならだけが 人生ならば また来る春は何だろう 
 はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう

 さよならだけが 人生ならば めぐりあう日は何だろう 
 やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛はなんだろう

 さよならだけが 人生ならば 建てたわが家は何だろう 
 さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう

 さよならだけが 人生ならば 人生なんかいりません

 

 と、寺山修司が返しました。

 

 

 寺山修司さんといえば、異色の絵本があります。

 『踊りたいけど踊れない』 絵は宇野亜喜良さん。

 

 

 もんだいは

 海のなかに小さなもうひとつの海があるように

 本のなかに小さなもうひとつの本があるのは

 たのしいものです

   しかも その本には不思議な絵がたくさんあって

 あなたを待っている

 もんだいは

 あなたのなかに小さなもうひとつのあなたがいるかどうか

 ということだけです

 

 おとなこそ絵本を読もう。

 

 

 

 

 

 いしいしんじさんの新刊が出ました。

『まあたらしい一日』(文・いしいしんじ、絵・tupera tupera、BL出版)

 

 

 日はまたのぼり、日はしずむ。

 えんえんくりかえされる、そのことを、わたしの弟は、ひらすら不思議におもっている。

  疑念さえうったえてはばからない。

 「ねえ、きょうのぼってくるあの日が、きのうとおなじ日だなんて、どうしてわかる?」

 「よくごらんよ」わたしはいう。「右のはしっこに、ゆうべ、シール、はっといたから」

 

  弟がとなりでねむってる。わたしは、ふとんから目と鼻だけだして、天井をみつめてる。

 ほんとうにそう?日はまた、まちがいなくのぼるの?

 じつはしずみっぱなしだとしたら?

 明日の夜明けごろになっても真っ暗で、あたりはガジガジこおりつき

 もうだれの顔も光の下で見ることができなくなったとしたら? ……

 

 夜明け前、庭に出る。じっと見つめている東の空が、

 一瞬むらさきに、そうして、だんだん白銀にそまっていく。

 ぶなの梢(こずえ)がしなった気がする。雲のあいだから曙(あけぼの)の、

 桃色の指がのびてきて、あたしたちの鼻をさわる。

 「はじめまして、きょうの日!」黄金色の光にむかい、

 わたしはそっと声にだしてみる。

 「きょうも、うちの弟をよろしくお願いね!」

 

 作家のいしいしんじさんは、読売新聞の「人生案内」の回答者。読者のさまざまな悩みに、切り口鮮やかに、しかも熱をもって答えておられる。

 いしいしんじさんと私の共通点。それは尊敬する人物が、天才バカボンのパパだということ。バカボンのパパの「これでいいのだ」は深い。「ま、いいから、いいから」をアウフヘーベンしたところの境地か。

 

 「バカボンのパパ」論はまたこんど。

 

 

 

 

 

 おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきさうぢやないか 

 どこまでゆくんだ 

 ずっと磐城平(いわきだいら)の方までゆくんか

            

               < 山村暮鳥 >

  

 2011年、写真家の長倉洋海さんは東日本大震災の被災地をまわり、悲しみのなかでも笑顔をみせる子どもたちと、それを見守る雲のすがたを撮って『『お ~ い、雲よ』という写真絵本を著わしました。

 

 つらい時、顔を上げてみよう。

 空は何でも聞いてくれる。

 雲を見てると、悲しいことをわすれることができる。

 

『お ~ い、雲よ』(長倉洋海、岩崎書店)

 

 当時、わたしも津波で何もかも流された被災地をまわって、何をすべきか何ができるのか必死のおもいでした。そんなときふと遠くを見渡すと、残酷だった海のうえに、ぽっかり浮かぶ白い大きな雲があり、自然のこわさとおおらかを不思議な気持ちでながめたものでした。

 

 だいもんさん、さいきん、ひっぱり凧ですね

 はい 糸がきれて とんでとんで 雲にのりたいです

 それはさぞかし、きもちがいいでしょう