先日、妻が入院したとき、妻の友人のS子さんが、おいしそうなマスカットを持って見舞いにきてくれました。

 

 病院の玄関まで送っていったとき、S子さんが私にいいました。「ところで大門さん、なぜ核兵器を持てなんて、平気でいう政治家が出てくるの?」。

 S子さんは長崎出身。おじいさまもおばあさまも原爆によって亡くされています。

 私が答える間もなく、「戦争や原爆の怖さを忘れちゃってるのよね。へいわぼけ、してるのよね。情けない」と。

 

 ほんとうだ。それこそ、へいわぼけだ、とおもいました。

 

 「お大事に」といいながら、何かに向かってぷんぷん怒りながら、S子さんは帰っていきました。

 

 核兵器なんか持つべきではないというのは、あたりまえのはなし。相手が持てばこちらが持つという論理も成り立たない。そんなこともわからなくなったのか。

 

 「原子童話」 <石垣りん詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」より>

 

  戦闘開始 

  二つの国から飛び立った飛行機は

  同時刻に敵国上へ原子爆弾を落としました 

  二つの国は壊滅しました 

  生き残った者は世界中に二機の乗組員だけになりました

   彼らがどんなにかなしく またむつまじく暮らしたかーー

   それはひょっとすると

  新しい神話になるかもしれません。

  (1949・9)

 

 学生時代、長崎に一人旅をして、浦上天主堂に立ち寄った帰り、駅前の書店で文庫本の『長崎の鐘』(永井隆)を買いました。汽車のなかでボロボロ泣きながら読んだことを思い出します。

 著者の永井隆さんは長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授でした。被爆で妻を亡くし、自らも重症を負いながら、日夜、被爆者の救護にとりくみました。『長崎の鐘』では、破壊された長崎の町や死んでゆく同僚や市民たちの様子が克明に描かれています。

 

 『長崎の鐘』最終章「原子野の鐘」より

 

 「ちちろ、ちちろ、と虫が鳴く。抱き寝の茅乃がしきりに乳をさぐる。さぐりさぐって父だと気づいたか、声をころして忍び泣きを始めた。泣きながらやがてまた寝息にかわる。私だけじゃない。この原子野に今宵いま幾人の孤児が泣き、やもめが泣いていることであろう」 

 

 「カーン、カーン、カーン、澄みきった音が平和を祝福してつたわってくる。人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の掟に従って相互に協商せよ。浦上人は灰の中に伏して神に祈る。ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえと。鐘はまだ鳴っている。原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、おん身により頼み奉るわれらのために祈り給え」

 

『長崎の鐘』を読んでもなお、核兵器は必要だ、抑止力だと確信する人間がいるでしょうか。

 

『1945年のクリスマス ながさきアンジェラスのかね』は、永井隆さんとご家族のことをえがいた絵本です。

 学生時代のように、またボロボロ泣いてしまいました。

 

 『1945年のクリスマス ながさきアンジェラスのかね』(文・中井俊巳、絵・おむらまりこ、ドン・ボスコ社)

 

 

 

 ある朝、オカピぼうやが目をさますと、いつもならすぐそばにいるはずのおかあさんがいません。

 「おかあさん……、おかあさんはどこ?」

 ぼうやは決心すると、森のしげみを抜け出して、おかあさんをさがしに出かけました。

 さあ、オカピぼうやの冒険のはじまりです。

 なきながらおかあさんをさがすぼうや。

 しかし、ぼうやは、いくつもの出会いをとおして、森にはおかあさんと自分だけでなく、たくさんの動物たちがすんでいることを知ります。

 ぼうやの「ちいさなぼうけん」は、成長への大きな一歩になりました。

 

『オカピぼうやのちいさな冒険』(作 岸本真理子、絵 長谷川義史、ひさかたチャイルド)

 

 この絵本を読むたびに思いだすのは、息子が小さいころの人気番組『ひらけ!ポンキッキ』の主題歌「ご期待ください!」です。

 

 ある日 突然 朝のベッドの中で 僕は人生って奴を うん 考えた

 そんなに いつまでも 子供のまんまで 甘えてばかりいられない

 お母さま 僕はもう目が覚めた 生まれ変わって 目からウロコがボロボロ

 まかせて 子供の(HEY)将来 AH ご期待(HEY)下さい! 

 いつか日本の星になって まかせて 子供の(HEY)将来 AH

 ご期待(HEY)下さい! お母様を楽させたいな!

『ご期待下さい!』 うしろ髪ひかれ隊、作詞/秋元康、作曲/後藤次利、1988年 フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』主題歌)

 

 こどもが社会というものを初めて感じたときの緊張感と躍動感。それが成長の第一ステップだったんですね。

 

 

 最初に絵本の世界をおしえてくれたのは父でした。

 映画の美術監督の仕事をしていて忙しい父でしたが、早く帰ってきた日は、私に添い寝をしながら、よく絵本の読み聞かせをしてくれました。父の方が先にウトウトし始めて、私の顔に絵本をかぶせて寝入ってしまうこともしばしばありました。そんなとき、「ぼくはちっともねむくない」のにと、父のほほをつまんだりしました。

 

 ただ、絵本のことより、父に抱かれている時間がうれしかった。

 

 私にはやさしい父でしたが、小学1年生のころ家に帰って来なくなり、2年生のときに母と離婚しました。

 

(『ぼくちっとも眠くない』作・クリス・ホートン/訳・木坂涼/BL出版)

 

 父は「ディズニー名作絵話」シリーズが好きでした。『ピーターパン』や『わんわん物語』などが有名なシリーズですが、父がとくに好んで読み聞かせたのは『小さな郵便飛行機』でした。

 

(ディズニー名作絵話シリーズ『小さな郵便飛行機』講談社。1961年版)  

 

 ペドロは子ども飛行機。お父さんはプロペラが2つある大きな飛行機で、チリからとなりのアルゼンチンまで郵便物をとどける仕事をしています。「ぼくもお父さんのようになりたい」と、ペドロは毎日いっしょうけんめい飛ぶ練習をします。

 あるとき、お父さんがかぜをひいて熱をだしました。「お父さん、ぼくがかわりにいくよ」とペドロがいいだします。お母さんは心配してとめますが、ペドロは郵便かばんを持って元気にに飛びだしました。「お母さん、いってまいります」

 ぶじに郵便をとどけたペドロですが、帰りは「怖い顔をした山々」におどかされたり、吹雪やかみなりにおそわれたり、泣きそうになりながら、やっとのおもいで、お父さん、お母さんの待つ飛行場へたどり着きます。

 とくに「怖い顔をした山々」は子どもにはとても恐ろしい絵で、いまでも脳裏にやきついています(絵本は著作権の関係で表紙の紹介はできても、中の絵の紹介はできないのが残念です)。

 

 『小さな郵便飛行機』は、家族みんなに可愛がられ、甘やかされて育った5歳の私に、「これからの人生はあまくない、こわいことが待ち受けているかもしれない」という漠然とした不安をいだかせました。そのうえ父がくり返し読んだので、忘れたくても忘れられない絵本になってしまいました。

 

 父の読み聞かせは4歳から6歳までのほぼ3年間で終わり、それ以降、大人になって自分の息子が生まれるまで、絵本を手にすることはありませんでした。