イスラエルと日本の類似点 | みきのすけブログ

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学校の歴史の授業で日本史を習いますが、いまいち日本人のルーツはわかりません。

 

学校の授業で習う内容では自分たちがなぜ今のような文化や言葉を持ち、今のような生活をするようになったのか、実感を伴って理解することが出来ない節があります。

 

私たちが現実として今の日本の文化・風習の中で暮らしているのは確かです。

 

教科書を見てもわからなければ自ら探求することになります。

 

そこで日本のルーツを調べるには日本に残っている言語、風習、文化、建物などの形跡から推測することが必要です。

 

そして日本に残っている言語や文化のルーツを深く掘り下げていくと、どうしても当たってしまうのが古代イスラエルと言われています。

 

私もイスラエルと日本人のつながりがあるという話に興味を持ちました。なぜだかはハッキリわかりませんが常識を超えるこのお話に期待を持ったのです。

 

イスラエルは中東国で東洋アジアの日本とは似ても似つかないと思われるかもしれません。

 

でも考えを柔軟にして見てみましょう。

 

 

・言語

 

今のヘブライ語(イスラエルの言語)と日本語は文法も違うので会話を聞いても同じ言語には聞こえません。


しかしヘブライ語の単語単語で見ていくと似ている響きのものが多くあると指摘されています。

 

聖書内の単語(人名・地名など)にも日本語の単語と似た響きの単語がいくつも登場します。

 

イド、ブキ、ナオミ、アンナ、ヨシヤ、モリヤ、シムラ、シャムライなどなど


これだけだと偶然だよと片付けられてしまうかもしれません。

 


調べていくと発音も似ていれば意味も似ているモノもあります。

 

リンク

 

 

このようにヘブライ語と照らし合わせると、意味の分からなかった日本語の掛け声や挨拶に隠れていた意味が見えてきますね。


ここまで来ると偶然ではなく十分に因果関係があることを考えてもいいレベルだと思います。

 

 

・文化

 

今回特に触れたいのは音楽です。

 

 

 

 

イスラエルの音楽を聞いていただくと何かに似ていることがお分かりになると思います。

 

演歌です。

 

他にもイスラエルの音楽を聞いていると日本の古き良き時代の活気が思い起こされるのは私だけでしょうか。

 

 

 

 

 

 

高校の文化祭のようなノリです。

 

昭和の歌謡曲をご存知の方は昭和の日本の歌謡曲に似たようなメロディーが多いとも感じませんか?


また日本の民謡にも似たようなメロディーがあるので、どこか懐かしさを感じるのかもしれません。

 

 

 

・その他の文化について


謂わゆる日ユ同祖論と言われるジャンルでは有名な話ですが、諏訪大社の十間廊がモーセの幕屋と同じサイズで作られていると言われています。

 

これら日本と古代イスラエルの特徴の相似点はインターネットで検索するとたくさん出てきます。

 

今回はこれについては多く取り上げません。

他の方の資料を見ていただく方がよくまとまっていて良いかと思います。

 

 

・神の裁きor救いを待つ。

 

日本人は自ら手を下すことを好みません。

 

見えない空気や雰囲気で人にわかってもらおうとします。

 

言葉数が足りなくても空気で察してもらうことを好みます。

 

神は肉眼では見えません。

 

見えない力(見えない神)がはからってくれるのを待つような気質とひとつ考えられます。

 

時が経つことで状況が好転してくれればと願った人はきっとたくさんいらっしゃるでしょう。

 

ダビデのようにイスラエルの民も神様の御手をよりどころとしてきた歴史が聖書に見られます。


 

 

・なぜイスラエルの民が遠い日本の地まで?

 

それはイザヤ書に、イスラエルの民は東の海の島々まで行きそこで神の御名を呼び、神を崇めるようになると記されているからと、考えられています。

 

イザヤ書 24章 15節

それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び/海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。 

 

聖書の文面からだけでは海の島々が日本を指しているとは言い切れません。


 

イスラエルの民には離散した歴史があります。

 

考えられるのは、神の預言者は神の御言葉に忠実であり、神がそうしろと言われたらその通り行うほど信仰心が厚いです。


神様が預言者や民のこれと思われる人に霊感を与え、東に行くように導いたということは考えられます。

 

ただ、イスラエルの民が日本まで来たとしたら、どのような境遇で来ることになったのか今はまだはっきりとわかりません。



 

 

 

・決まりに忠実

 

日本人は決まりに忠実に従う傾向があります。特に社会の決まりを破ることはかなりタブー視されます。

 

日本の社会行動基準は決まりに対してはあまり寛容ではないです。

 

日本の細かいルールの取り決めに無理が生じているのも事実なので黙認があるのも確かです。

 

ただそれでも、基本的にはルールを破ることには厳しく、ルールを平気で破る社会人は受け入れられにくいのが現実です。社会人は基本ルールを破ることを想像すると顔が引きつります。

 

旧約聖書のイスラエルの民にとっても神様から与えられた律法を破る事は罪になり賠償行為が必要で、場合によっては死です。


律法に忠実であることは古代ヘブライ人にとってとても重要なことでした。

 

 

 

 

 

 

イスラエルと日本の相似点については偶然似ているだけとも強く主張する方もいますが、ここまで似ている点が上がると偶然と横暴な一言で片付けるのはあまりに野蛮です。

 

なぜ強固に否定する態度がでるのかが不思議です。

 

日本人の先祖にイスラエルの民が入ると何か困ることでもあるでしょうか?

 

私は特に困りません。

 

むしろ何だかワクワクします。

 

 

 

日本人の先祖がイスラエルの民だったらどうなのか?

 

と言うと、それは日本人が本当の真実の神様に立ち返りやすいということです。

 

今まで日本国内には、多神教やら、偶像やら、天皇崇拝やら、物質主義やらで様々な神様を忘れさせる要素が浸透してきました。

 

でもこれらが広まることで一般市民の生き方の指標は混乱してきたと思います。


支離滅裂なことでも脅されながら信じなければいけないという状況であったと思います。

 

長い間日本人の内面的なアイデンティティーは難民のような状態にあったでしょう。

 

今の時代は、その混乱から抜け出し、愛が無くなりかけて疲弊した社会から救われるために本当の神様に立ち返るタイミングなのだと思います。

 

現に日本から現実的に聖書と神様と真理を探求し続けたRAPTさんが現れました。

 

Link : http://rapt-neo.com

 

 

 

キリスト教の歴史が始まり2000年たちました。


日本ではほとんどの人が西洋の宗教だとイメージしていたキリスト教です。


しかし日本人が知らずに求めていた神様がイエスキリストと同じ神様であり、イエスキリスト(肉体を持って生まれたナザレのイエス)と同じ先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブを持つすると、ファンタジー以上の展開です。

 

そう考えると神様はそれこそ人々が思いつきもしなかった展開をされる方なのだと感じられます。





 

 

 

 

閲覧ありがとうございました。