<44/続100>鮫ヶ尾城(新潟県) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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2024.06.14

 今回は新潟県、富山県、石川県の続100名城のうち5城を巡る夜発4日間のドライブ。

 1日目はできる限り最初の目的地の鮫ヶ尾城(妙高市)に近づくため、仕事終了後夜名古屋を出発。中央道を進み塩尻市で前日予約したホテルに宿泊。

 2日目は塩尻のホテルを出発し、長野道・上信越道で2時間弱。鮫ヶ尾城麓の「斐太(ひだ)歴史の里総合案内所」を目指す。

 新井スマートICから10分程で斐太歴史の里の駐車場に到着。駐車場から5分程山道を登った先に総合案内所がある。ちょうど、案内所がオープンした時間だった。

 まず、続100名城のスタンプを押印。その後、受付の方から登城ルートの説明を受ける。東登城道から登り、本丸等を見たあと北登城道から下山するのがいいですよと教えてもらったのでそのルートを選択。登りはなだらかな尾根沿いを進み、帰りは急坂を降りるルートとのこと。「暑いから(この日の妙高市の最高気温予想30度)気をつけて行ってきてください。あと熊鈴もあった方がいいですよ。先日近くの民家に熊が降りてきて、鶏2匹やられましたから」

とありがたい(?)お言葉をいただきいざ出発!

 いったん、「淡水魚の池」に降り池を1/3周程したらそこから山道に入る。途中には、弥生時代後期の住居跡である「斐太遺跡」がある。争いごとが多い時代だったのか、山の中腹に防御性を高めた珍しい遺跡であるとパンフレットには書かれていた。また近くには前方後円墳を2基あるとのことだ。「斐太歴史の里」の意味がわかったような気がする。

 途中、堀切(ほりきり)や郭等を見ることができる。道は歩きやすいところが多いが、1箇所、大きな堀切の所は急な坂となっており安全ロープが張られていたので、流石にここはロープに捕まって登った。その他心配された暑さだったが、木陰を歩くので水を持っていればなんとか耐えられる。ただ、汗っかきの僕の体からは当然のように汗が吹き出していた。2024年春の新緑山城登りシリーズ最後の旅だが、もう夏であることを実感した。

 休んだり、水を飲んだりとゆっくり登って40分ぐらいで本丸に到着。

 天気がよく気持ちいい。もう、新緑というのには少し遅い木々の葉。それでも太陽に照らされて綺麗だ。また遠くを見渡すと新井市の街を一望できる。遠くは少し霞んでいるが、ここに城を建てた理由が分かるような気がした。

 この鮫ヶ尾城は、実際に戦いがあり落城している。上杉謙信が後継者を決めず突然亡くなった(大酒飲みで脳卒中を起こしたというのが有力説)ため、甥の景勝と、北条氏康の七男で上杉に人質として出され、その後謙信の養子となった景虎が対立。1578年に「御館の乱」が勃発。争いは翌年まで続き、景勝側が優勢となり、敗れた景虎は最後鮫ヶ尾城に逃れたが、ここも攻められ自刃して果てた。

 そのため、本丸隣の米蔵跡からは、今でも落城時に燃え黒く焦げた米が出てくるとのことだ(国史跡のため持ち帰り等はできない)。さらに総合案内所には黒く焦げ炭となっているおにぎりが展示されている。

 本丸の東屋で風に当たりながら20分ほど休憩し、汗も乾いたところで北登城道から下山開始。ひたすら森林の中を降る。途中、上信越道の下をくぐり進んだ先が出発地点の総合案内所。降りは30分弱で戻ることができた。この後は、ゆっくり日帰り温泉でも探して入りたいところだが、この後高田城→富山城→金沢(泊)とスケジュールが詰まっているので先に進むことにする。

↑鮫ヶ尾城遠景

次回は、上越市の高田城へ。つづく