<43/続100>玄蕃尾城(滋賀県・福井県) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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2024.06.01

 前回(2024.05.19)雨で断念した玄蕃尾城(滋賀県/福井県)に再チャレンジ。今回天気の心配はない。

 まず、余呉湖観光館で続100名城のスタンプをもらう。それから玄蕃尾城の駐車場に向かうのだが、ここで通るのが柳ヶ瀬トンネル。

長さ1.3kmでそれぞれの入口に信号機があり交互通行。当然中も狭くて暗い。怖いトンネルだ。

 実はこのトンネル、明治時代に長浜と敦賀を鉄道で結んだ時に掘削されたトンネルで、当時の一大事業だったらしい。開業は1884年(明治17年)だったという。

 トンネルを出てすぐ右折しそこから林道を進む。進むこと10分弱で駐車場に到着。

簡易トイレや続100名城のスタンプも置いてあった(←知らなかったぁ)。

 ここから登山。雨上がりで少しぬかるんだ山道を進む。

 歩き始めて20分ほどで山を登りきり、尾根に出る。玄蕃尾城の案内板が設置されていた。ここからは尾根伝いに進む。

 尾根をしばらく進むといよいよ玄蕃尾城のエリア内に入ってくる。南虎口は、土塁で囲われている。攻め手が進む際は何度も曲がらないと進むことができず、正面からだけでなく、横からも攻撃を受けてしまうつくりとなっている。

 玄蕃尾城は、本能寺の変で倒れた織田信長の後継者をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が対立し、1583年春の賤ヶ岳の戦いが勃発するのだが、その時の柴田勝家の本陣として築城されたと言われている。ただ、それ以前にすでに築城されていたのではという説もあり、よくわかっていない。

 虎口を抜け進んだ先に主郭がある。主郭は城の中心部分となっており、正方形に近い形で3方を土塁で囲われている。東側の曲輪とは土橋で結ばれており、さらに一段高くなった場所に櫓台跡がある。櫓台跡からは礎石なども発掘されたとのことで、二層とか三層の櫓が建設されていたのであろう。

 主郭から北に向かうと、大きな馬出跡をみることができる。

 三日月状に土塁が作られており、外側は深く掘られている。敵から攻められた時は守りやすく、逆に両サイドから味方の兵を繰り出し敵を撃退することもできる。実際見ると保存状態がよくかなり高低差があ流のだが、それを写真に撮るのが難しい。

 スマホのパノラマ機能で撮影しても凸凹感がいまいち伝わらないのが残念。

 さらに奥に進むと2重の土塁と空堀をみることができる。この城はどの方向から攻撃を受けても対応できるように設計されていた。

 結局賤ヶ岳の戦いで柴田勝家は敗れ、北ノ庄城で最後を迎えたため、この城はその後利用されることなく現代までこのような形で残った。保存状態がようのは奇跡だと言われることも多い。

 城の見学が終わり駐車場に戻る。次の予定は決めてなかったけれども、100名城でも続100名城でもない城「長浜城」に行く。

 まぁ実際、こんな天守はなかったのだけれども、最上階から見渡す琵琶湖は綺麗だった。 竹生島や小谷城、対岸の比叡山も望むことができる。また、かすかではあるが彦根城も見ることができた。

 今回のドライブはここまで。次回は現在計画中だが、暑くなる前(すでに暑いが)に北陸の山城巡りに行って一旦涼しくなるまで休憩といったところだろうか?お楽しみ。