<45/続100>高田城(新潟県) | カメラ片手に日本百名城巡りのブログ

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2024.06.14

 鮫ヶ尾城から車で30分弱。上越市の高田城に向かう。夜桜や外堀のハスの花で有名な城。外堀のハスが生い茂るところを望む駐車場に車を停める。

 しばらく歩くと近代的な煉瓦造りの門跡が見える。昔、陸軍の師団が置かれていた名残らしい。

 城内は公園になっている。桜の時期はさぞかし賑わうことだろう。しばらく歩くと三重櫓が見えてくる。近年新たに木造で建築された櫓ではあるが、江戸時代を偲ぶことのできる建造物となっている。

 見た目他の城との違い、違和感を感じるのは、土塁の上に直接三重櫓が建てられていること。実はこの城はほとんど土塁で囲まれており、石垣は門の周りの一部にしか使用されていない。

 三重櫓が見学できるので行ってみる。途中土橋を渡るのだが、堀幅が広い。江戸時代初期の築城であるため、鉄砲や大砲が届かないようあらかじめ堀幅を広げたのだろう。

 三重櫓が近づいてくる。紫陽花が綺麗だ。

 三重櫓ないは資料館になっており、高田城の歴史がよくわかる。江戸時代の初め、家康の六男忠輝の城として天下普請(幕府が諸大名に命じる普請)によって築城される。しかし、忠輝は不行状により改易。その後、入れ替わりがあるが家康の曾孫(次男結城秀康の孫)松平光長が城主になる。しかしその光長も晩年に起こる“越後騒動”によって改易。最終的に徳川四天王の一人榊原康政の子孫が入府して明治維新を迎える。改易など不幸の多い城である。

 三重櫓に入ると、当時の模型などが展示されている。天守などはなく、三重櫓が天守の代わりを務めていたようだ。本丸には御殿があったとのこと。ちなみに現在の本丸は上越教育大学附属中学校の敷地となっている。

 その他三重櫓内では、日本海の重要拠点である上越市の3つの城、春日山城、福島城、高田城について解説されている映像の上映を見学した。

 最後に、当時枡形があった極楽橋に行ってみる。

 現在は木の橋があるだけだが、模型を見るとこの先に枡形と櫓門があったとのことだ。土塁もこの辺りは削られているので当時を想像することはできないが、きっと立派な枡形と櫓門があったのであろう。

 高田城の見学は以上で、次は富山城に向かう。

つづく